7.それから……
レクトマリア神聖王国、最後の聖女――。
史上最強の加護を持つ彼女は、国王と女神の御使い、ふたりの男に愛された。
聖女は御使いが神の一柱であると知りながら、人と神との禁断の恋を選び、ともに女神レクトマリアのみもとへと旅立っていったという……。
「そのキンダンの恋の御使い様がねー、すごい美形なんですって!」
「…………」
世間では、そんな噂が立っているらしい。
確かに、ある意味、その通りなんだけど……、事情を知らない人には、わたしがまるで死んでしまったように聞こえないかしら? 女神様のみもとに旅立ったって。
「でも、ヴォルフよ、ヴォルフ! 笑っちゃうわよね~」
噂話を持ってきたのは、最近下界の出来事に興味を持ちはじめた女神様。
しばらく人の世に飽きていたのだけれど、わたしとヴォルフの事件から、また好奇心が復活したらしい。
「ヴォルフは美形で、かっこいいです」
「どっちのヴォルフ? 狼? 人の姿? 狼ならわかるけど!」
「狼のヴォルフは……その、かっこいいのもあるけど、可愛いです」
「かわ……!?」
頬を染めるわたしに、なぜか爆笑する女神様。
だって、神々しい白銀の巨体で「クゥンクゥン」と甘えてくるヴォルフは、本当に可愛いのだ。
「『クゥンクゥン』……!!」
あ、女神様が心を読めるのを忘れてた!
面倒なので、ほとんどの時間はその読心の能力を抑制しているのだけれど、時々心の言葉が飛びこんできてしまうんだって。
今回は運悪く、聞かれてしまったようだ。
女神様はツボにはまってしまったようで、おなかを抱えて、なんだか苦しそうに笑っている。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、ふー、苦しかった。笑いすぎたわ」
「…………」
「ごめんなさいね。あなたのヴォルフのこと、笑っちゃって。ぷぷぷ」
また笑いがこみあげてきたのを、なんとか自制する女神様。
ヴォルフがいなくてよかった……。
ヴォルフは、今、外で眷属神のみんなと作業をしている。砂浜の温泉で、浴槽を広げたり、日差しを遮る屋根をかけたりすると言っていた。
「お詫びに『月の道』を一度開いてあげるわ。会いたい人がいるんでしょ?」
「月の道を? あ、ありがとうございます!」
* * * * *
満月の夜、ひそかに向かった先は、王都にある大神殿だ。
月の道とは、女神様の通り道。
眷属神達も満月の夜だけは、女神様の力を借りて月の道を通り、遠くの場所へ一瞬で飛ぶことができるらしい。
わたしが身代わりの聖女になったばかりの頃、王家の離宮の庭へヴォルフが突然現れたのもそうだし、初夜の儀でわたしを助けてくれた時もそうだ。
「急に現れて、大丈夫かしら」
「女神を祀っている神殿なんだろ? なら、神使と聖女が来たって、別にいいんじゃないか?」
呑気なヴォルフと腕を組んで、聖宮の庭を歩く。
大神殿の最奥にある聖宮は、しんと静まり返っていた。一階の一部の部屋だけ、わずかに明かりがついている。
わたしは大神殿でお世話になった女性神官達が気になっていた。
とても良くしてくれたのに、ひと言の挨拶もできないまま、ヴォルフの花嫁になってしまった。きっと彼女達は、わたしが女神様のみもとに行った――死んだと思っているだろう。
明かりのついた窓の中をそうっとのぞきこむと、そこには数人の女性神官がいた。
しんみりとした雰囲気で、言葉少なく刺繍をしたり、何かを書いたりしている。わたしに聖女教育をほどこしてくれたジャネリーさんもいた。
軽く窓を叩いてみる。声をひそめて「すみません、こんばんは」と呼びかけると、ジャネリーさんがこちらを向いた。
「ジャネリーさん、こんばんは。怪しい者ではありません。マリアーナです。開けてもらえますか?」
「え……ええ!?」
ジャネリーさんの叫び声に、まわりの女性神官達もこちらを振り返った。
「何……!?」
「せ、聖女様の幻が!」
「嘘! 聖女様はお亡くなりになったはず」
やっぱり、わたし、死んだことになっていたのね……。
「心配かけて、ごめんなさい。マリアーナです。生きています。中に入れてもらってもいいですか?」
「えっ、えぇぇぇ!?」
「と、ともかく、外では目立ちます。な、中へ!」
なんとか自分を取り戻したジャネリーさんが扉を開けてくれ、わたし達は室内に招き入れられた。
「聖女様、本当に生きておられたのですね……」
部屋にはジャネリーさんをはじめとした三人の女性神官がいた。ジャネリーさんはわたしの手を握ったり離したりしている。わたしの実在を確かめているようだ。
「こちらのお方は……もしや?」
「はい。女神様の御使いのヴォルフです」
「御使い様……!」
女性神官達が一斉に平伏する。
「ああ、俺のことは気にしなくていい。今日はマリアーナの付き添いだから」
「は、はい! 今、国王陛下と新しく就任した神殿長に知らせてまいりますので、少々お待ちくださいませ!」
飛び出していこうとした神官を、慌てて止める。
「あの、大丈夫です! 今日は皆さんに会いに来ただけなので、内緒にしてください」
「内緒に……?」
「ええ。国王陛下も神殿長様も、わたしが生きていることはご存知だと思います。それに……わたしは、愛するひとと結ばれました。もう聖女ではありません」
にこっと微笑んで、横に立つヴォルフを見上げる。
「わたしが死んだと巷で噂になっていると聞いて……、お世話になった皆さんには、元気でいることを知らせたかったの」
それから、ジャネリーさんがお茶を入れてくれて、わたし達はしばらく話をした。
「そう言えば、神殿長様はもうおやめになったのですか?」
「はい……」
神殿長は聖女継承の儀の直後に職を辞し、モーリーンとともに北方神殿へ向かったそうだ。
初夜の儀の場に女神の御使いが現れ、聖なる水晶や聖剣を跡形もなく破壊し、最後には聖女をさらっていった――その出来事で、王宮も神殿も大混乱だった。神殿長がその騒ぎの責任を取るという形で、とりあえず事態を収めたらしい。
「モーリーンは……」
「モーリーン様は、ずっと抵抗されていましたが、陛下に説得されて北方に向かわれました」
わたしとモーリーン、二人の娘を失った両親は、親戚の子供を養子に迎え、跡継ぎとして育てることにしたとのことだった。
「あと、近々、国王陛下が退位されるそうです」
「退位……そうですか。王太子様が、次の国王に?」
「はい。王太子殿下は即位の前に、ご自分の政見を民にも広く告示されました。皆、とても驚いたようですが……、今は概ね受け入れられているようです」
新国王としての王太子様の方針は、聖女に頼らずに国の政を行っていくというものだ。
『――女神レクトマリアより、今後聖女に加護を与えることはせぬとの神託があった。そして、その徴として、女神は聖なる水晶を風に散らし、大地に戻された。
何故、女神レクトマリアは、我々から聖女の加護を取りあげたのか。
それは、女神がレクトマリア神聖王国の国民を見捨てたからではない。本当は、我々ひとりひとりに、既に女神の加護が与えられていたからである。そのことに民が気づいていない現状を、女神は嘆いているのだ。
これからは、愛と豊穣の女神にふさわしい国になるよう、さらに妻を愛し、夫を愛せよ――』
「……告示と同時に、王太子殿下のご婚約も発表されました。即位されたらすぐに、ご結婚されるそうです」
なんとお相手は、幼馴染みのご令嬢!
ふたりは幼い頃から愛を育んでいたのだけれど、ご令嬢のほうが、いずれ聖女を『第二の妻』とする王太子との婚約を断っていたらしい。
王太子様、わたしに「私の聖女になってほしい。私とともに、国を支えてもらえないだろうか」なんて迫っておきながら、本当は心に純愛を秘めていたのかしら。
「それでは、聖女様……マリアーナ様、どうぞ御使い様とお幸せに」
「ありがとうございます……。皆さんもお元気で」
夜が更けた頃、月の光に照らされた神殿のお茶会は終わった。
聖宮の庭でお別れの挨拶をする。ジャネリーさんも他の女性神官も、涙を浮かべながら見送ってくれた。
繊細な彫刻のほどこされた、美しい聖宮を見上げる。
短い間だけれど、わたしも暮らした代々の聖女の館。
国のため国王に処女を捧げ、人を愛することも家族を作ることも許されず、ただ独りで国民の幸せを祈りつづけた、歴代の聖女達。その想いが詰まった、孤独の城。
もう、ここに来ることはないだろう。
「女神様の祝福が、皆さんとともにありますように……」
懐かしい人達との再会と、マリアーナとヴォルフが去ったあとにあったこと。
みんなそれぞれ自分の人生を歩きはじめました。
次回「なぜかもふもふに溺愛されています」。
本編の最終話です。




