6.森の木陰の結婚式
大樹の陰の平らな草地に大きな敷物を出し、簡単な食べ物を並べて昼食にした。なぜテラスの机ではないかと言うと、女神様も加わりたがったからだ。
女神様とわたしが敷物の上に座って、ヴォルフがあちこち動きまわり、飲み物にパン、チーズ、野菜や果物を持ってきてくれる。
「ヴォルフー、わたくし葡萄酒がいいわ」
「酒はない!」
「ええー、気が利かないわね。葡萄酒くらい置いておきなさいよ」
わたしが手伝えないのは、単純に立てないから。足がガクガクして、産まれたての仔鹿のようになってしまうのだ。
ヴォルフは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。あからさまに甘い瞳がくすぐったくて、女神様の前だというのについ顔がにやけてしまう。
「いいわねえ、新婚さん。わたくしも誰か呼び出そうかしらね」
「誰か……?」
「そうだわ、忘れてた。誰かじゃなくて、眷属神達を呼ぼうと思っていたんだわ」
その女神様の言葉を聞いたヴォルフが、凄い勢いで戻ってくる。わたしを素早く抱きあげて、隠すように覆いかぶさった。
「ヴォルフ?」
「じゃあ、呼ぶわよ。みんな、いらっしゃーい!」
木立の前で、まぶしい光がパパパッと連続して弾けた。
「なに……?」
雷みたいな強い閃光が収まると、そこには――。
「……も……もふもふ……!?」
わらわらと、巨大なもふもふ達が集合していた!
雄々しいたてがみを風になびかせた漆黒の獅子が、大きく咆哮する。
その横には、高貴さと獰猛さを漂わせる、純白の地に黒縞の虎。
そして、なめらかな毛並みとふさふさした尻尾が美しい金色の狐。
「凄い……凄いわ……」
三頭の中では一番小柄な狐……それでも、わたしと同じくらいの体長があるけれど、その子が、可愛い白い花をくわえて、わたしの前に進んできた。
「まぁ! お花をくれるの?」
ヴォルフはいらいらしたように唸っているけれど、狐さんの気持ちは受け取りたい。
「ヴォルフ、少しだけ下ろして?」
「…………」
「わたし、立てないから、後ろから支えててくれる?」
「…………」
しぶしぶと腕の中から下ろし、わたしを背後から抱きしめたヴォルフの頬に、ちゅっと口づける。
「ありがとう、ヴォルフ。……狐さんも、お花をありがとう」
金色の狐が差し出す一輪の花を受け取ると、狐はぶんぶんと見事な尻尾を振った。
その後ろで、獅子と虎も軽く尻尾を揺らす。
「この子達がわたくしの眷属神。仲良くしてやってね」
「もちろんです! なんて素敵なの……」
ふらふらと近づこうとすると、背後のヴォルフに止められる。
「だから、いやだったんだ。マリアーナはもふもふが好きすぎる」
「だって、とても綺麗だし、抱きついたら気持ちよさそう……」
思わずうっとりしてしまう。
大きなもふもふ達に囲まれているところを想像して、頬を上気させていると、眷属神達がどよめいた気がした。
「……?」
「マリアーナ、男をその気にさせるな」
ヴォルフが腕の中のわたしをくるっと回して、広い胸に押しつける。視界からもふもふが消えて、ヴォルフだけになった。
「そんな可愛い顔を、他の男に見せるんじゃない」
「男……?」
ヴォルフが一瞬光ると、わたしの前に白銀色の狼がいた。そして、再び光り輝いた次の瞬間には、また人の姿に戻る。
「ヴォルフ……?」
「あいつらも、俺と同じだということだ」
同じだということ?
つまり……獅子も虎も狐も、みんな人化する?
「え、じゃあ……みんな、男のひと?」
眷属神達のほうを振り返ると、彼らは三者三様の視線でわたしを矯めつ眇めつして見ていた。
「うっふっふ、恋は波瀾万丈ね」
女神様が適当なことをつぶやくと、「さあ、これからが本番よ!」と叫んだ。
「ほ、本番って」
ヴォルフを見上げて確認しても、首を横に振るばかり。
女神様が片目をつぶって笑い、朗らかに宣言した。
「結婚式をするわよ、結婚式! 今! ここで!」
* * * * *
木々の間からこぼれる夕方の木漏れ日が、わたしとヴォルフを照らしていた。
昼食のあと温泉に入って禊をしてから、女神様が贈ってくれた雪白のドレスを身に着けた。
首から肩にかけての襟ぐりが大きく開いたドレスは、コルセットの部分が綺麗なレースで彩られている。少し裾が長くて、引きずってしまうのが気になるけれど、「そういうものだからいいのよ」と女神様は微笑んでいた。
ヴォルフはいつもとそんなに変わらない服装だ。白いチュニックに生成のズボン。
でも、普段からかっこいいので、今日も信じられないくらいかっこいい。
「ヴォルフ、ちょっと頭を下げて」
眷属神達が花畑から摘んできてくれた花々で作った花冠を、ヴォルフの頭にのせた。
照れくさそうな様子が可愛い。
「マリアーナも」
わたしの頭には、ヴォルフが花冠をのせてくれる。
大樹の二本の枝に長い紗の布がかけられていた。
二枚の紗の布の間に小さな机が置かれ、それが祭壇の代わりになっている。
供えられているのは、泉で汲んだ新鮮な水と、湖畔の花畑で摘んだ色とりどりの花、森の木々の恵みの果実。
「では、結婚式を始めます」
女神様が祭壇の後ろに立ち、わたし達を呼んだ。
「女神レクトマリアの眷属神、銀の狩人ヴォルフ。そして、眷属神ヴォルフの眷属、最後の聖女マリアーナ」
三頭の眷属神がお客様だ。黒獅子と白虎と金狐が、わたし達を見守ってくれている。
小鳥達のさえずりや小川のせせらぎが、森からの祝福のよう。風が紗の布を揺らし、夕暮れの島に夜の空気を運んでくる。
「女神レクトマリアに、命の灯を捧げます」
ヴォルフと声をそろえて言いながら、ふたりで持った蝋燭を祭壇に供えた。蝋燭の炎がゆらりと大きくなる。
女神様が厳かな声で、わたし達に問いかけた。
「ヴォルフ、マリアーナ、お互いを唯一の番として、いかなる時もその心と体を愛し慈しむことを誓いますか」
ヴォルフが胸に手をあてて宣誓する。
「マリアーナを唯一の番として、どんな困難からも守り、生涯をかけて愛することを誓う」
「わたしも……ヴォルフを唯一の番として、何があっても信じ、いつまでも大切にし、一生愛することを誓います」
気が付いたら、涙がひと粒こぼれていた。
子供の頃、神殿で見た親戚の結婚式を思い出す。綺麗な花嫁さんと、誇らしげな花婿さん。
当時からもう、わたしは愚図な子として、街の人達からはからかわれたり、遠ざけられたりしていた。そんな『蕾のマリアーナ』が、まさかこんな美しい結婚式ができるとは思いもしなかった。
「女神様、ヴォルフ、眷属神のみんなも、素敵な結婚式をありがとうございます」
女神様は優しい顔で、「幸せになるのよ」と笑った。
「それでは、誓いの口づけを!」
ヴォルフのたくましい腕が、わたしの腰を引き寄せる。隙間がないほど密着した熱い体から、ヴォルフの鼓動が聞こえてくる。
わたしはヴォルフを見上げ、静かに目を閉じた。
「マリアーナ……」
ヴォルフの唇がそっと降ってくる。
すぐに離れていくかと思ったそれは、わたしの上唇を舐め、下唇を食んだ。そんな時ではないのに、かすかな痺れが背筋に走る。
「……ん、ぁっ」
ヴォルフの大きな手が、わたしの後頭部を掴んだ。
逃げられない体勢でガクッと腰がくだける。
「あらあら、お熱いわね~」
わざとらしく顔を隠した両手の指の間から、こちらを見ている女神様。そしてその後ろ……。眷属神達も興味津々な顔でのぞきこんでいる。
「ヴォルフ、だめ」
「ん……」
「……もう……、ヴォルフ、もうだめ……。待て、よ……、ヴォルフ。『待て』!」
ヴォルフがピタッと止まった。目をぱちくりとさせている。
反射的に言うことを聞いてしまったみたいで、自分でもなぜ止まったのかわからないらしい。
「ヴォルフ、またあとでね」
背後で女神様も眷属神も大笑いをしていた。眷属神達は獣の姿なので、おかしそうにおなかを抱えて吠えているのだけれども。
「はあ~、あの銀の狩人が、しっかりしつけられてるとはね。いい夫婦だわ。笑った笑った」
ひとしきり笑った女神様が涙を拭きながら、改めて祝福してくれた。
「ヴォルフとマリアーナに、女神レクトマリアの祝福をめいっぱい贈ります。可愛い仔眷属神をいっぱい作ってね」
女神様が片目をつぶり、意味ありげに目配せしてきた。
「はいっ!?」
えぇぇ、こ、仔眷属神……!?
もふもふ大集合!
そして、女神様の号令で、マリアーナとヴォルフの結婚式が行われました。
次回「それから……」。




