4.楽園の島へようこそ
木の上の家から螺旋階段を下りていくと、大樹の傍らに小さな泉が見えた。
「綺麗な水……」
透き通った水の中に、小さな泡がプクプクと湧き出している。水はあまりにも透明で、水底の砂地が浮いて見えるほどだった。
泉からあふれた水が細い川を作って、湖のほうへ流れていた。手をひたすと、ひんやりと冷たい。
「水はこれを使ってる。食料庫は、とりあえずこっち」
ヴォルフがわたしの手を取って導いたのは、家のある木の陰になっていた、大樹の洞。中に扉つきの棚が設置されている。
「この木の横に小屋を建てて、かまどや炉を作ろうと思ってる」
「凄い……!」
ヴォルフと一緒にいろんなことができそうで、わくわくしてくる。
「とりあえず昼にしようか」
「うん!」
* * * * *
昼ごはんをすませたあと、ヴォルフは温泉に連れていってくれた。
森の中を歩いていくと、湖畔に出る。
そこは細長い砂浜になっていた。白い砂浜は島の一部を取り囲んでいるようだ。
「ここに温泉が湧いているの?」
「ああ」
少し先に、小さな丸太小屋が見えた。
「一応、脱衣場だ」
丸太小屋の向こうには、砂浜を掘り下げた広めの湯船があった。目の前に、青く光る湖が広がっている。
「わあ! いい景色。湖を眺めながら、お湯に入れるのね」
「気に入った?」
「とっても! 早速入りましょ!」
脱衣場に駆けこんで、急いで服を脱いだ。エプロン、上着、靴下、スカート、ペティコート、コルセットにシュミーズ……。空っぽの棚があったので、そこに簡単に畳んだ服を置く。
ガタ、と音がして振り返ると、そこにはヴォルフがいた。
「ヴォル……フ?」
入口の扉に寄りかかって腕を組み、こちらをじっと見ている。
「え? ……あ!」
わたし、裸だわ!!
こんなに素敵な場所で湯浴みできるのがうれしくて、ヴォルフがいるのをすっかり忘れていた。いや、覚えてはいたのだけれど、ヴォルフと一緒に湯船に入る意味を考えていなかった。
明るい日差しの下で……すべてを見られてしまうんだわ。
ヴォルフは何も言わず、一歩も動かないまま、ただわたしを見つめている。
ヴォルフの金色の瞳は、強い熱を浮かべていた。ヴォルフの視線だけで、その場に焼きついてしまいそうだった。
「あの、わたし……」
手ぬぐいを持っていないのに気が付いて、両手で胸と秘所を隠す。荷物は全部ヴォルフが持ってくれていたんだった……。
「……わたし……」
どうしたらいいのかわからなくて、羞恥で涙ぐんだ瞳で、ヴォルフを見上げる。ヴォルフの視線はさらに鋭く、わたしを突き刺した。
「マリアーナ……」
かすれた声で名を呼ばれる。
生まれてからずっと呼ばれてきた名前が、何か特別なもののように感じた。
「頼むから……そんなに俺を煽るな」
「煽ってなんか……そんなつもりじゃ、なかったの……」
「わかってる。……とにかく、そのままじゃ風邪を引く。早く湯に浸かってくれ」
「は、はい!」
わたしは慌てて脱衣場から飛び出した。
後ろから、ヴォルフの大きなため息が聞こえてきた。
温泉は、透明でなんの匂いもしなかった。独特の匂いがするあの白い温泉とまったく違っていて、びっくりする。同じ湖にあるのに。
つるつるとした肌ざわりで、少しぬるいくらいの温度が気持ちいい。
そして、何よりも景色が素晴らしかった。
「マリアーナ、入るぞ」
「どうぞ」
煌めく湖に浮かぶ島々。緑輝く湖畔の森。遠くには白く霞んだ山脈が見える。
美しい眺望に目を奪われて、心ここにあらずの状態で生返事していると、近くでチャプンとお湯の跳ねる音がした。
何気なく振り向くと、ヴォルフが湯船の中に立っていた。
「…………!?」
裸で。
しかも、目の前に、立っている。
お湯に入るのだから、裸になるのは当然なんだけど。前を隠しもせず、堂々と仁王立ちだ。
「いい天気だな。遠くまで良く見える」
「ヴォ……ぜ……」
「ん? なんだ?」
「……全部! 見えてる!」
「ふーん。気になる?」
「なりません!」
あたふたしながら目を逸らすと、ヴォルフが大きな声で笑った。
わたしはバシャバシャと顔にお湯をかけた。
「ヴォルフ、いたずらしないで……」
体と髪を洗ったあと、わたしは朝食の時と同じように、ヴォルフの膝にのせられていた。温泉の中で。
「ん……」
「今は、だめだったら。また、のぼせちゃう」
あちこちを撫でたりくすぐったりするヴォルフの手の動きに困ってしまう。
「もう少し」
手を止めてくれたかと思ったら、今度は首筋の匂いを嗅がれて、舐められる。
こういうところは、やっぱり犬……違った、狼っぽい。
「そろそろ出ましょうか」
「ん、わかった」
うなじにチクンと小さな痛みが走った。
「何かしら? 今、虫に刺されたみたい」
「……大丈夫だ。何もいない」
「そう?」
「また虫が来るかもしれないけど、気にしなくていい」
「ヴォルフ?」
都合の悪いことを誤魔化している口調に、虫刺されではなくヴォルフが何かしたんだと想像が付いた。
もう……、ヴォルフなら、何をしてもいいのに。
でも、知らん顔のヴォルフがちょっと可愛かったから、そのままにしておいた。
* * * * *
家に着く頃には、空がうっすらと淡く赤みを帯びてきていた。
まだ十分に明るいけれど、これからあっという間に日が暮れるだろう。
「腹は減ったか?」
「ううん、まだ空かない」
「…………」
「ヴォルフは?」
「飯は……食料庫から、部屋に上げておく。水瓶も」
「え?」
ヴォルフが真剣な表情でこちらを見ていた。凄くおなかが空いているような顔をしている。
「腹が減ったら、いつでも食べられるようにしておく。だから……もう、いいか?」
「ヴォルフは、おなか減っているんじゃないの?」
ヴォルフの金色の瞳が、すっと細められた。
「……飢えてる。おまえが喰いたくて、気が狂いそうだ」
そして、二人はようやく結ばれたのでした♪
その夜の出来事をちょっとだけピックアップ。
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もう、聖女はいない。
わたしは、聖女ではない。
わたしが処女を失っても、愛するひとに渡せる女神の加護はない。
けれど、わたしは祈った。
すべての幸運を、このひとに――。
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次回「あぁ! 困ります、女神様!!」。




