3.聖獣さんの巣作り
女神様の現身である白い玉が消え去ったあとも、いろんな衝撃が心に残って、わたしは呆然としていた。
「マリアーナ、少し休むか?」
「えっ」
「ぼんやりしてる。疲れただろ?」
顔をのぞきこまれて、鼻先にちゅっと唇があたる。
「ヴォルフ……。わたし、あんな大切なこと、勝手にお願いしちゃってよかったのかしら……」
「聖女の話?」
「そう。聖女がもう、この国に現れないなんて……。わたしのせいで、みんなが不幸になったらどうしよう」
話しているうちにオロオロしてくる。
わたし、国の行く先を決めるような、大胆なことをしてしまった……。
「マリアーナは、聖女ひとりにすべてを背負わせるのは間違ってるって思ったんだろ?」
「うん……」
「誰かに――たとえば、人間の偉いやつらに相談したら、マリアーナの気持ちは変わったのか?」
「それは……ないと思う」
「じゃあ、いいんじゃないか?」
「え?」
優しく労るように抱きしめられる。大きな手が髪を撫でてくれる。
「マリアーナも、ひとりで背負う必要はない。みんなってのが、どいつのことかわからないが、そいつらの人生はそいつら自身が背負うものだろ」
そうだった……。
わたしは何度も考えたはずじゃない。
――聖女の初夜権。
それは、奪われた自由の象徴。
見知らぬ誰かを背負おうとするのは、その人の決定権を奪っているということだ。聖女の初夜権が、国王陛下に所有されているのと同じ。
聖女もまた、誰かの人生をその人の意志と関係なく決めてしまっている。
「……そうね。ありがとう、ヴォルフ」
「よし、寝台に運ぶぞ。つかまって」
わたしを抱えたままヴォルフが立ちあがる。危なげない足取りで室内に入り、静かに寝台へと下ろされた。
「少し寝ろ。目を閉じてるだけでもいいから」
「うん、ありがとう……。ちょっと眠くなってきたかも……」
本当にありがとう、ヴォルフ……。
横になって目を閉じてから、ふと気が付いた。
あれ、わたし今日、起きてから一歩も自分で歩いていない……?
* * * * *
寝台でうつらうつらしながら、女神様に言われたことを思い出していた。
『……わかったわ。聖女制度はやめましょう』
意を決して国王陛下に話しても何も変えられなかったのに、女神様に直接叶えてもらえるなんて。
その上、お詫びの言葉まで……。
『ごめんなさいね。つらい想いをさせてしまったのね』
いや、言葉だけじゃなかった。
『わたくし、お詫びになんでもお願い聞いちゃうわよ!』
そして、女神様は、なんと言っていたんだっけ……。
『眷属神ヴォルフと、聖女マリアーナの結婚を認めます! ついでに、寿命もそろえちゃう! 末永くお幸せに!!』
結婚……寿命……。
――って、寿命?
『違うの? でも、もう祝福しちゃったし、取り消せないわよ?』
はい?
寿命をそろえたって、なんですか……?
わたし……わたし、人間じゃなくなっちゃったの!?
「えぇぇぇぇ!? ……ヴォルフ! ヴォルフー!!」
階段をガタガタガタッとのぼる音がして、ヴォルフが飛びこんできた。
「どうした!? 何があった!?」
「あ、ヴォルフ……」
伸びてきた腕にすがりつく。
「大丈夫か?」
「大丈夫……」
「危険なことはなかった?」
「うん、何もない。……けど」
「どうした?」
「ごめんなさい……」
大きな体でわたしをつつみこんで、背中をさすってくれるヴォルフ。
優しいひと。優しい……神様。
「……ごめんなさい……」
「責めてるわけじゃない。何かあるなら、全部聞かせてほしいんだ」
ヴォルフは聖獣。女神様の眷属神。
じゃあ、わたしは?
どうなってしまったの?
「怖いの……」
「うん」
「女神様が……わたし達の結婚を認めてくれて……」
「うん」
「寿命をヴォルフとそろえたって」
「…………」
「わたしの体、変わったの? もう人間じゃないの? どうしよう。どうなっちゃうの? 怖い……」
「マリアーナ、大丈夫だ。大丈夫だから、落ち着いて」
ゆっくり背中を撫でる大きな手と温かい胸、陽だまりのようなヴォルフの匂いに、少しずつ心に吹き荒れる嵐が収まってくる。
ヴォルフが静かな声で、説明してくれた。
「おそらくマリアーナは、俺の眷属になっている。そんな絆を感じるんだ」
「ヴォルフの眷属……?」
「ああ。俺は女神レクトマリアの眷属神。マリアーナは、俺の眷属。神族ではないと思うが」
神族ではない……。
良かった。神様になったわけじゃないんだ……。
畏れ多くて、もの凄く怖くなってしまった。
眷属神と眷属がどう違うのかは、よくわからないけれど、
「ヴォルフの一族ってことよね?」
「そうだな。あんな女神だが、俺の命運はあいつが握っている。同じように、マリアーナの命は、俺の手の中にあるはずだ。……いやか?」
「ううん、いやじゃない。ヴォルフなら、うれしい」
「マリアーナ……愛してる」
柔らかく微笑んで、そっと唇を寄せてくるヴォルフ。
わたしの旦那様になるひと。わたしの命を預かってくれるひと。
「俺はいつ自分が生まれたのか、どうやって育ったのか、覚えていない。たぶん数百年前から、このままの姿だ。マリアーナも俺が死ぬまで、年も取らず死ぬこともないだろう」
「死ぬって……? 寿命はどのくらいなの?」
「どうかな。大神の考えることは、本当によくわからないんだ」
「そっか……」
「俺は近々、女神に頼もうと思っていた。マリアーナが老いて死ぬ時に、俺も滅してくれと」
「ヴォルフ? そんな」
「マリアーナがいない世界で、永遠に生きていくなんて真っ平だ」
ヴォルフは少し笑った。
「まあ、俺はマリアーナといられれば、どちらでもいい」
寝台から立ちあがって部屋を見回すと、工具などで散らかっていた部屋は、いつの間にか綺麗に片づけられていた。
寝台の脇に小物棚、奥のほうに衣装棚や化粧箪笥があり、机や椅子もきちんと置かれている。木製の家具類は、素朴な味わいを残しながらも、お洒落で可愛い。
「素敵な部屋ね」
「ああ、作れなさそうなものは街で買ってきたんだ。マリアーナに似合いそうなものを選んだんだが、どうかな?」
「わたしのために? ……とってもうれしい。ありがとう」
ヴォルフに抱きついて頬に口づけると、ヴォルフがうれしそうに目を細めた。
それにしても、わたし、そんなに深く眠ったつもりはなかったのに、いつお掃除したんだろう。
「ずっと寝ていてごめんね。わたしも何か手伝うわ」
「大丈夫だから、横になってろ」
「でも、もう楽になったから」
「なら、体力温存しとけ。今夜は眠れないかもしれない」
ヴォルフがちょっと悪い顔で、にやりと笑う。
「え、ええ!?」
「冗談だよ。無理はさせないって言っただろ」
子供にするみたいに、頭をガシガシと撫でられた。その仕草と落ち着いた声に、めまいがするほど愛しさを感じる。
「無理……じゃない」
初めてだけれど、まったく無知なわけじゃない。なまじ知っているからこそ、夜に起こるだろうことが想像できて、たまらなく恥ずかしい。
けれど、それは恥ずかしいだけで、いやではない。わたしも望んでいるのだと、伝えておきたかった。
「……マリアーナ。自分が言ってること、わかってるのか」
「わかってる……つもり。だけど、その前に、湯浴みがしたいな」
「…………」
でも、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい!
「えっとね、えっと……。あと、なんだかおなかが空いちゃったかも! もう、お昼はすぎてるのかしら」
「そ、そうだな。結構時間は経ってる。今、用意するから!」
いそいそと外に出ていくヴォルフに、慌ててわたしも付いていく。ちょっと挙動不審なヴォルフがおかしかった。
「わたしも行くわ!」
後ろから垣間見えたヴォルフの耳が、少し色づいていた。
いよいよ今夜――。
緊張はあるけれど、怖くはなかった。ヴォルフになら、何をされてもいい。なんでもしてあげたい。
……わたし達は、本当の初夜を迎える。
次回「楽園の島へようこそ」。
(マリアーナ待望の)温泉回!!




