3.女神は少女達を翻弄する
あくる日の午後、モーリーンが帰宅した。
花のような明るい笑顔で帰ってくるかと思いきや、様子がおかしい。
モーリーンは人目を忍ぶように裏口に馬車をつけ、姉妹で使っている二階の部屋に戻ると閉じこもってしまった。
「モーリーン……、どうしたの? 何かあったの?」
母さんが扉の前でおろおろしている。
わたしは何かありそうな予感がして、いつ用事を言いつけられてもいいように階段の下で待機していた。
しばらくするとモーリーンが顔を出し、母さんを部屋に招き入れた。
それからまた少し時間が経ち、今度は母さんが出てきて、わたしに言った。
「マリアーナ、父さんを呼んできてちょうだい」
「……はい」
店にいた父さんを呼び、父さんが娘の部屋に入っていくと、ふたたび階段で様子をうかがう。
一体どうしたのだろう……。
得体の知れない不安がこみあげて、前掛けの布地をぎゅっと握りしめる。
何が起こったのか。家族は何を話しているのか。
わたしはそれを教えてもらえるのだろうか。
時間の過ぎるのがひどく遅く感じて、いつの間にか前掛けはしわだらけになってしまっていた。
* * * * *
「え? わたしが、聖女に……?」
わたしが部屋に呼ばれたのは、夕方近くなってから。
しかも、なぜかモーリーンの代わりに、わたしが聖女になるという話になっている……。
どういうことなの?
何がなんだか、わからない。
モーリーンは自分の寝台に座って、扉の前に呆然と立つわたしをうるうると涙ぐんだ瞳で見あげた。
「別に、マリアーナに女神の加護があるというわけじゃないのよ。それはわかってね? 自分の力だと誤解しちゃうと、あとでマリアーナがつらい思いをするから」
わたしとモーリーン、二人で使っている部屋は狭く、寝台が二つ並ぶと椅子を置く場所もない。
わたしの寝台には父さんと母さんが並んで腰かけていて、わたしの座る場所はなかった。
「でも、あたしにはあんなこと、とても無理。聖女のお役目なんて、きっと耐えられないわ」
モーリーンがはらりと透明な涙をこぼす。
母さんが慌てて立ちあがり、両手で顔を覆うモーリーンを強く抱きしめた。
「そうよね、モーリーンは繊細だから……。そんなこと、できるわけがないわね」
「おまえはやっぱりうちの店を継げばいい。モーリーンなら、喜んで婿になってくれる男がたくさんいるだろう」
父さんはむしろほっとしたような口調だ。
少し鼻をすすったモーリーンが、涙声でわたしに話しかける。
「マリアーナなら……大丈夫。マリアーナはしっかりしてるもの……。きっとうまく行くわ」
母さんはけなげに微笑むモーリーンの頭を柔らかくなでた。
「おまえは優しすぎるのよ。聖女の名誉まで、マリアーナに譲ってあげるなんて」
「ううん、全部あたしのわがままなの。でも、双子のマリアーナにしか頼めないの。……マリアーナ、ごめんね」
申しわけなさそうに涙をぬぐうと、モーリーンはきゅっと口元を引きしめて真剣な顔をした。
「神殿の神官から、家族にも知られないようにって念を押されたの。だから、誰にも言わないでね。あたしが話してしまったことがばれたら、父さんや母さんもどうなるかわからない……」
そして。
わたしと同じ顔をした、双子の妹は。
身代わりで聖女になるわたしに、最後の宣告をした。
「聖女の本当の役割が、娼婦みたいなものだったなんて――」
聖女は、娼婦……。
モーリーンが神官から聞いた聖女の真実とは、とても女性には受け入れがたいものだった。
モーリーンは聖女になれば、みんなに大切にされて優雅な生活が送れると思っていたらしい。聖女として王国に幸いをもたらす報酬として。
もちろん聖女には王族にも匹敵する豊かな生活が保証されているのだが……、それには条件があった。
「聖女は……依り代?」
「そうよ。聖女であるあたしには、女神様の加護がある。要するに、その加護を国王陛下に移すための道具みたいな扱いよね」
洗い忘れた雑巾を見つけた時のように、険しく眉をひそめるモーリーン。
「しかも、その手段が……なんて汚らわしいの! 聖女の初めてを捧げなければいけないなんて。いくら国王陛下とはいえ、五十過ぎよ。おじいさんじゃない」
確かにそんなの、いくら人々の幸せのためだと言われても、さすがにつらすぎる。見たことも会ったこともない、ずいぶん年上の男性に、乙女を捧げるだなんて。
そう。
聖女の『初夜』には、特別な意味があった。
聖女が処女を与えた男は、女神の加護を得るのだ。その代わり、聖女はただの女性に戻ってしまう……。
「マリアーナならあたしとそっくりだし、きっと大丈夫。もう少し愛想よくすれば、きっとおじいちゃんにも可愛がってもらえるわ」
「でも……、わたしは本物の聖女じゃないし、女神様の加護も持っていないのに……」
「その辺はうまくごまかしてね。マリアーナはそういうの、得意でしょう?」
「え……?」
ごまかすのが得意? わたしが?
わけがわからず、言葉に詰まる。そんなわたしに母さんと父さんが追い討ちをかけた。
「結婚するあてもなかったのに、国一番の玉の輿じゃないの。よかったわね、マリアーナ」
「おまえたちがよく似た双子でよかった」
あ然とするわたしを置いて、三人はどうやって自然に入れ替わりをすませるかを話しはじめた。
……わたしは、モーリーンとそっくりなことだけが取り柄なの?
わたしはモーリーンの控えにすぎないの?
誰か……誰か、わたしを見て。
わたしだけを愛して。
心の中の悲鳴は、誰にも届かなかった。
* * * * *
聖女が神殿に上がるための準備に与えられた猶予は十日間。
その間、体調が優れないからとモーリーンは部屋にこもり、わたしもその看病のためという名目で外に出してもらえなかった。
実際はわたしがモーリーンの身代わりになった時、多少陰気でも病みあがりという理由でうやむやにできるようにするためだ。
モーリーン自身はしばらくわたしのふりをしてから、やはり体調を崩したという理由で、隣町の叔父夫婦の家に静養に行くことになった。
そして、ひと月かふた月ほどしたら、別人のように回復した『マリアーナ』が帰ってくるという段取りだった。
いくらわたしとモーリーンが似ていると言っても、そんな冗談みたいな計画がうまく行くはずがない……。
否応なく聖女になることが決まってしまったわたしは、不安で不安でたまらなかった。
聖女の真の務めとは、国王に処女を捧げ、『女神の加護』を譲り渡すこと……。
モーリーンは自分とそっくりなマリアーナにその役目を押しつけました。
次回「王家の馬車が迎えに来ました」。
マリアーナが身代わりの聖女として旅立ちます。