2.男は狼、女は聖女
『で、気持ちが通いあったのに、こんなにお互い大好きなのに、なぜマリアーナちゃんはまだ処女なの?』
気持ちが通いあって、お互い大好き……。
傍からもそう見えるのかしらと、少し照れてしまったけれど、白い玉はぷんぷんと怒っている……ように思える。
『だって、わたくし、愛と性であまねく世界を満たしたいのよ。心は幸福であふれ、体は快感で満足する。みんな、幸せになれるでしょう?』
女神様の言葉を聞きながら、やっぱり女神様は、聖女の犠牲なんて望んでいない気がした。
――聖女とは、女神レクトマリアの加護を為政者に与える者だ。
昨夜の国王陛下の言葉がよみがえる。
愛とか恋とか関係なく、女神の加護を移すためだけに、国王に処女を捧げる存在。己を殺し、誰かを愛することも許されず、国民の幸福を祈りつづける聖女。
聖女という存在は、なぜこの世に生み出されたのだろう。
「じゃあ、なんで聖女なんて創ったんだよ」
ヴォルフがわたしが考えていたのと同じことを言った。
『浪漫じゃないの。女はみんな愛を知って、聖女になるのよ!』
白い玉が楽しそうに、ふよんふよんと飛びまわる。
『乙女がただ一人愛したひとへ送る、幸運の加護。まぁ、ちょっとした幸運だけどね。マリアーナちゃんもヴォルフにあげたいでしょう?』
「で、でも、わたしは聖女になってしまったので……本当は、国王陛下に操を捧げなければいけないのでは……」
『……はい? 国王に操? 愛するひとがいるのに?』
「……え?」
『……あら?』
何か、話が噛みあっていない?
ヴォルフを見ると、ヴォルフも思案顔をしていた。
「確認するぞ」
『……はい』
女神様も神妙な雰囲気で、大人しく返事をする。
「まず、聖女とは破瓜によって、女神の加護を男に与える者か」
『……はい』
「その男とは、この国の王か」
『……なぜ、王に?』
「では、この国を統治する者?」
『どうして統治者と加護がかかわってくるのか、意味がわからないわ』
ヴォルフはまたひとしきり考えると、質問を続けた。
「聖女は国にひとりだけか?」
『いいえ! 女はみんな聖女だって言ったでしょう』
聖女は、国にひとりではない……。まさか、本当に?
それは衝撃的な真実だった。
「この国では、聖女は常にひとりしかいないと言われているらしい。そうだな、マリアーナ?」
「え、ええ。先代の聖女が亡くなると、新たな聖女が選ばれて……。国を豊かにし、国民が安定した暮らしを送るために、聖女の初夜権は国王陛下が有する、と教わりました」
「女神の加護のために?」
「聖女だけが持っている女神の加護を、国王陛下に差しあげるために」
白い玉は空中で停止し、ぴくりとも動かなくなった。
『…………』
「……聖女、いやすべての乙女か。乙女が男に加護を与えるという仕組みを作ったのはいつだ?」
『……ずっと前。もう覚えていないけど……かなり前ね。数百年? もっとかしら』
「その間、実際にどんな状態になっているか、下界を確かめてみたことはあるのか?」
『……ない』
「神々にとっては一瞬でも、人間には長い歳月だ」
神あるある、だな……と、ヴォルフがちょっと疲れたようにつぶやいた。
「時代とともに、女神の加護が薄れていった可能性もある。初めは誰もが持っていた奇跡だったのかもしれない。だが、今では、それはただひとり、聖女と呼ばれる女だけのものになった」
『…………』
「貴重な幸運の加護だ。愛ではなく、欲のために利用されるようになってもおかしくはない」
空中で止まっていた白い玉が、ふらふらと果物のお皿に落ちる。赤い実の果汁が、白い玉の表面に付いた。
「あ、女神様、汚れてしまいます!」
「マリアーナ、大丈夫だ。女神がそんな気分になっているだけで、実際は汚れていない。実体ではないからな」
『ヴォルフ、酷い。マリアーナちゃんが優しくしてくれたのに』
「優しくされる価値があるのか?」
皮肉っぽく眉をつりあげるヴォルフ。
白い玉は、心なしかシワシワとしぼんでしまったようだ。
『マリアーナちゃん』
「は、はいっ」
『ごめんなさいね。つらい想いをさせてしまったのね』
「はい……いえ、でも、おかげでヴォルフと出逢えましたから」
ヴォルフに、にこりと微笑みかける。
確かにつらいこともたくさんあったけれど、今はヴォルフがいる。すべてはヴォルフを愛する勇気を持つための、そしてヴォルフに愛してもらうための試練だったと思える。
ヴォルフが大好き。
ずっと、ずっと、一緒にいたい。
みんなが愛する人と出逢えたら……、こんな幸せを知れたらいいな……。
「あの、女神様」
『なぁに』
「お願いがあるんです」
『まぁ、何かしら。わたくし、お詫びになんでもお願い聞いちゃうわよ!』
しょぼんとしていた女神様が、張りきってぶんぶん飛びまわる。ヴォルフの言っていた通り、赤い染みは消え、真っ白な玉がピカピカ光っていた。
『ヴォルフとずっと一緒にいたいって言ってたわね。了解、了解、承ったわ!』
「え?」
『眷属神ヴォルフと、聖女マリアーナの結婚を認めます! ついでに、寿命もそろえちゃう! 末永くお幸せに!!』
「えっ、えぇぇぇぇ!?」
ヴォルフがやれやれと肩をすくめた。呆れているけれど、少し笑っている。
わたしは慌てて声を上げた。
「女神様、ち、違うんです!」
白い玉が、ふよんと一回弾んで止まった。
『違うの? でも、もう祝福しちゃったし、取り消せないわよ?』
「いえ、それは違わないというか、ヴォルフと、け、結婚できるのはうれしいんですけど!」
ヴォルフもわたしをじっと見ている。わたしはヴォルフの服の裾をギュッと握って、女神様に向き直った。
「お願いしたかったのは、聖女のことなんです。聖女の……お役目を解いてもらえないかと思って。わたしだけじゃなくて、これからずっと……」
『今後、聖女に加護を与えない、ということ?』
「はい……。ただひとり、聖女だけが女神の加護を持つ今の状態が続けば、聖なる水晶がなくても、いつかはまた聖女が見出されるでしょう。そして、見つかれば、加護を欲しがる誰かに捕まってしまう」
ふよふよと漂う白い玉。
「閉じこめられて、愛してもいない人に抱かれて……」
『……わかったわ。聖女制度はやめましょう』
「あ、ありがとうございます」
『乙女の贈る幸運の加護、良い思いつきだと思ったんだけど……、うん、また何か新しいことを考えてみるわ! ぐえっ』
ええ!?
ヴォルフが女神様を握りつぶしている!?
「やめとけ。また手に負えなくなるぞ」
『だってー』
ヴォルフのこぶしの中から、ブツブツと女神様の不満そうな声が響いていた。
聖女システムは、女神様の浪漫(思いつき)から始まったのでした!
そして、放置(神あるある)。
次回「聖獣さんの巣作り」。




