5.大樹の棲み家
突然、目の前にあった月が消え、意識が途切れ……。
ふっと気が付くと、そこは人けのない森。木々の葉がさわさわとかすかな風に揺れている。
深い森ではない。軽く重なる枝の隙間から、白い月が見えた。
それほど時間は経っていないようだ。空はまだ暗く、月は変わらず煌々と輝いていた。
わたしは、大樹の根もとに寄りかかって座っていた。体に巻きつけたシーツが落ちていないことにほっとする。胸もとをもう一度きつく巻き直して、大樹を見上げた。
とても大きな樹だ。森の中の開けた平地にぽつんと立っている。幹の横幅は馬車一台分くらいはあるかもしれない。
森はどっしりと根を張った大樹を中心にして、なだらかな丘になっているみたいだった。
ここはどこだろう。
ヴォルフは……?
傍らにぬくもりがないことが、急にさみしくなった。
「ヴォルフ……」
「起きたか? 待たせてすまなかった」
「きゃっ」
びっくりした。
ヴォルフの声だ。
大樹の陰から、人の姿のままのヴォルフが現れる。
「ヴォルフ……。幻じゃ、ないのよね。本当に、ヴォルフ?」
「ああ、俺だ。幻じゃない」
「わたしは、助かったの? 国王陛下や騎士の人達は?」
「大丈夫だ。おまえに手出しする者は、もういない」
涙がひと粒こぼれた。
穏やかな安堵感が胸の内にあふれてくる。
「怖かった……。さみしかった。ヴォルフ、抱きしめて」
「マリアーナ……」
ヴォルフがかかんで、その腕につつみこんでくれる。大きな手が、ゆっくりと頭を撫でる。
「ひとりにして悪かったな。寝台の準備をしてた。まだ全部はできあがってないけど、とりあえず寝られるから」
「寝台?」
「作ったんだ」
両腕をわたしの背中と膝裏に入れて、そっと抱きあげ、ゆっくりと歩きはじめる。
「大丈夫か?」
「え?」
「何か、飲まされたんだろ。匂いがする。……発情、しているような」
「は、発情……」
「うん。いい匂いだが……、薬みたいな匂いも混ざっている」
「……王家の秘薬。避妊のために飲まされて……媚薬の効果もあるって」
「チッ……クソが!」
「えっ?」
「いや、すまない。王家なんて阿呆ばっかりだな」
阿呆!
ヴォルフの砕けた口調に、くすくすと笑ってしまう。
「王族に阿呆なんて言えるのは、きっとヴォルフくらいよ。今は……ちょっと胸がどきどきするけど、熱は治まっているみたい」
もう薬が消えたのならいいけど……、体の奥にはまだ何かがある気がした。薬の効果には波があるのかもしれない。
「こっちが入口だ」
大樹の裏側には、根もとから枝分かれしたもう一本の木が立っていた。大樹よりは細いけれど、十分に立派な木だ。
その木の幹を取り巻いて、螺旋階段があった。
「階段……? ええ!? もしかして、これ、おうちなの!?」
木の上には、小さな家が建っていた。太い枝をまたぐように床が作られ、丸太を組んで壁にしてある。
のどかな田園風景が似合いそうな、可愛らしい小屋だった。
「ヴォルフが……作ったの?」
「ああ。いつかマリアーナと暮らせたらと思ってな」
照れくさそうに、ヴォルフが笑った。
ちょっと顔が赤くなってる。目を逸らして笑うヴォルフが可愛い。可愛すぎる。
たまらなくなって、わたしは彼の首に抱きついた。
「ヴォルフ……、ヴォルフ、大好き!」
「わかってる。俺も好きだ」
「わたし、あなたと離れて、国王陛下のもとに行ったのに……あなたはあきらめてなかったの?」
「あきらめられるわけがないだろう。俺の唯一の番なんだから」
わたしの唇に、軽い口づけが降ってくる。
わたしもちゅっと、口づけのお返しをする。
「つがい……ふふ」
「さあ、家に入るぞ」
さらに顔を赤くしたヴォルフが、ぶっきらぼうに言った。
わたしを抱っこしたまま、螺旋階段を上がる。そんなに広い階段ではないけれど、ヴォルフの腕の安定感は抜群だ。
「わあ……」
玄関の前には、広めのテラスが付いていた。ここに小机と椅子を出して、お茶を飲むのも楽しそう。
明るい色の板戸を押して、家に入る。
「まだ工事中?」
「うん」
家の中には仕切りがなくて、全部が見渡せた。ふたりで暮らすには、ちょうどいい広さかも。
木の板や工具があちこちに置いてある。
部屋の片隅には寝台があった。柔らかそうな布団に新しいシーツが敷かれている。
ヴォルフはそのシーツの上に、わたしをそうっと下ろした。
「こっち、見てみろ」
寝台の横には、大きめの窓があった。
その窓から見えたのは……、
「湖!?」
森の木々の向こう、月の光がキラキラと反射しているのは、見覚えのある湖だった。あちこちに小さな島が浮いている。
ヴォルフが小川の浅瀬に温泉を掘ってくれた、あの美しい湖だ。
「気に入ったか?」
「ええ……ええ! 凄く素敵」
「温泉、気に入ってたから。ここは、湖の中で、一番大きな島なんだ。調べたら、この島にも温泉が湧いてた。明日、入りに行こう」
ヴォルフも寝台に上がってきて、湖が見える位置に座った。
わたしを軽々と持ちあげて、背後から足の間に抱きこむ。ヴォルフの好きな体勢だ。
背中に、ヴォルフの鼓動を感じた。
「ありがとう……。ほんとにうれしい」
ヴォルフは、わたしの頭のてっぺんに顎をのせ、ふっと息を吐いた。
「やっぱり、ここにマリアーナがいると落ち着く」
また、涙があふれ出した。
いつもの姿勢で、ヴォルフのぬくもりと匂いにつつまれる。それがどんなに貴重で、幸せなことか。
もう二度と、この腕の中には戻れないと思っていた。
「泣くな……。マリアーナ、魂の番、おまえを愛してる」
「うれしくて、涙が止まらないの。わたしも、あなただけ。あなただけを愛してる」
わたしの肩に、ヴォルフがぐりぐりと鼻先をこすりつけた。そのまま首筋を舐めると、うなじを何度も甘噛みする。
「……んっ……」
くぐもった声が出てしまう。
体の奥でチロチロとくすぶっていた炎が、急に大きく燃えあがった気がした。
「おまえが俺を選んでくれたなら、俺はすべてのものからおまえを守る。だから、俺を選んでくれ」
まるで懇願するかのようにささやく低い声。
わたしは振り返って、深い想いを浮かべる金色の瞳を見つめた。
「忘れちゃった? 深淵の森で、ヴォルフに助けられて……。あの時、わたしは生まれて初めて、自分で自分の道を決めたの。……あなたと一緒に生きていくんだって」
「マリアーナ……」
「あなたとずっと一緒にいたい。あなたのそばに、いさせてください」
返事はなかった。
言葉よりも遥かに熱い口づけが、二人の誓約の印となった。
次回、第五章「聖女に愛を乞う獣」スタート!
一話目は「愛と性の女神」です。
女神様、暴走中!?
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