3.女神の加護は渡さない
「聖女殿の説得には時間が足りなかったようだな。それとも、聖女殿の気持ちは若い男に傾いたのか?」
国王陛下は中途半端に伸びた王太子様の手を払いのけ、わたしの腕を強く掴んだ。
「痛……っ!」
「どうなのだ、聖女マリアーナ」
「そういうわけではありません、けれど」
「なら、よい。エウスタシオ、出ていけ。近衛騎士を呼ぶぞ」
王太子様は、陛下とそっくりな皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「どうぞ。呼びたければ呼ぶといい。騒ぎになることは、父上にとっても望ましくないのでは? 王太子が国王の譲位を求め、聖女に加護を賜るように直訴したなど……、格好の醜聞だ」
「エウスタシオ」
「また父上への不信感が高まるのではないでしょうか。それをわかっているからこそ、あなたは大声で騒ぐことができない」
ふたりはしばし睨みあっていたが、陛下が余裕のある表情で断言する。
「聖女殿の気持ちが決まっているのだから、何を言っても無駄だな。女神の加護は私のものだ」
王太子様がくっと悔しそうに唇をかむ。
「あの……お待ちください」
わたしがおずおずと口を挟むと、ふたりがそろってわたしのほうを向いた。「ひっ」と小さな叫び声が漏れる。
国王陛下と王太子様、町娘のわたしには天の上の世界の人だ。畏れ多いし、恐ろしい。
でも。今こそ、言わなければ。
わたしの想いを。
「まず……申し訳ないのですが、陛下、わたしの腕を離してください」
陛下がわたしをじっと見つめて、手を下ろす。とりあえず言うことを聞いてくれて、ほっとした。
「どうかわたしの話を、聞いてください。……わたしは、本当は聖女になんかなりたくなかった。でも、陛下とこの話をするために、聖女として国に戻ることを決意しました」
「あなたは、聖女になりたかったのではないのか?」
驚いたように言う陛下に、王太子様も同意するようにうなずき、鋭い目でわたしを見た。
「聖女にも、神殿にも王宮にも、興味はありません。わたしは平凡な町娘のままでよかった。ただ、なりゆきで聖女になってしまいました。そして……聖女の存在がどういうものかということを学びました」
「聖女とは、女神レクトマリアの加護を為政者に与える者だ」
「はい……。だけど、それでいいのでしょうか」
「どういうことだ」
わたしは拙い言葉を一生懸命つなげて、陛下と王太子様に話した。
――一人の女性が、自分の気持ちとはなんの関係もなく、国王に操を捧げる。女神の加護を為政者に移すためだけに。
そして、初夜の儀を経て女神の加護を失い、普通の女性に戻っても、元の暮らしには戻れない。聖女は聖女で在りつづけなければならない。
この国は、そういう聖女達の連綿とした犠牲の上に成り立ってきた。
「この国は、本当にそれでいいのでしょうか……」
「国で最も尊い女性となり、王族と並ぶほど豊かな暮らしを送り、国を治める王に寵愛される。すべてが思いのままになるというのに、何が不満なのだ」
「……本当にそうですか? 先代の聖女様もそうでしたか?」
「…………」
「そういう方もいるかもしれません。でも、それは聖女本人には選べないこと。人によっては、とてもつらいことかも」
誰かを想うことも、子を持ち慈しむことも自分に禁じ、ただひたすら国民の幸福を祈る。それだって、一つの尊い生き方なのかもしれない。
自分では選べない、という厳然とした事実をのぞけば。
「確かに、先々代の聖女は早世したな」
早世……。
「すぐに次の聖女を探し、先代の聖女と相見えることができた。先代は従順な大人しい女だった」
そうか……。もしかしたら、女神の加護は聖女から完全に失われるのではなくて、国王と聖女のつながりの中に残るのかもしれない。だから、聖女の死でも、国王の死でも、その代の加護はそれで終わる。
聖女が亡くなった時は新たな聖女を探して国王のものとし、国王が亡くなった時には聖女はようやく引退できる。
「だが、だからなんだと言うのだ。国より重いものはない。聖女ひとりのために国民を犠牲にせよと言うのか」
「いいえ、そうではなくて……。わたし達は女神の加護に頼りすぎているのではないでしょうか。突然選ばれて、人生を決められてしまった代々の聖女の犠牲にあぐらをかいて、平然と生きていくのは……本当に女神様の望むことなのでしょうか」
恋愛話が大好きだという女神レクトマリア。
愛する人のために強くなれと教えてくれた女神様。
「愛を司る女神様が、愛も恋もないような聖女の献身を望むでしょうか」
むしろ自分の幸せは、自分で動いて掴み取れと言うのではないだろうか……。
「平民の小娘がわかったようなことを」
「申し訳ありません。でも、わたしは、このことを陛下にお話したかったのです。女神様の真の願いをもう一度考えてみていただきたくて」
陛下は苦虫をかみつぶしたような顔で、わたしを見下ろしている。
王太子様は、何かを考えこんでいるような表情だった。
「さあ、遊びは終いだ。エウスタシオ、今度こそ出ていけ。私はレクトマリア神聖王国の国王だ。聖女マリアーナの初夜権は私にある」
「父上……!」
王太子様の腕を後ろにねじあげ、陛下は王太子様を力ずくで双月の間から出した。
ガチャと内扉に鍵がかけられる。
続いて、陛下は廊下への扉も施錠した。
「聖女殿、もう逃げられぬぞ」
昏い炎が陛下の瞳に灯った。
大人の余裕を見せて微笑む、いつもの陛下ではない。獲物を見定めた肉食獣のような、猛々しい気配がにじみ出る。
本能的な恐怖がこみあげた。
逃げなければ……!
「窓、は……」
だめだ。
ここは高さのある三階建ての建物の最上階。とても窓からは下りられない。
それでも窓に駆け寄り、外を見ると、煌々と明るい月光が広い庭園を照らしていた。
聖女継承の儀は、女神レクトマリアの力が最も強くなる、月の満ちる夜に行われる。
今夜は、その満月の夜。
「私では不満か?」
陛下の大きな体が、ゆっくりとわたしに近づいてくる。
「良くしてやろう。若造にはできぬほどにな」
声も出なかった。
絶体絶命の窮地なのに、手も足も動かない。
「マリアーナ、寝台に行くぞ」
わたしは簡単に囚われ抱きあげられ、広い寝台の真っ白なシーツの上に落とされた。
次回「神狼の咆哮」。
国王に純潔を奪われそうになるマリアーナ。
そこに現れたのは!?




