2.初夜の儀
浴室の付いた豪華な部屋だった。
「こちらが、初夜の儀を行う『双月の間』でございます」
案内してくれた王宮の侍女が、厳かな口調で言う。
机や椅子、こまごまとした装飾品もあるけれど、ひときわ大きな存在感を放っているのは、部屋の中央にある寝台だった。白い天蓋に囲まれた巨大な寝台は、大人が三、四人寝てもまだ余裕がありそうだ。
そして、
「扉が三つ……?」
一つはわたしが入ってきた扉、二つ目は浴室の扉。
もう一つはなんだろう。
衣装部屋とかかしら。
「こちらの扉は、陛下が休憩されるお部屋へと続いております」
「陛下はこちらにお住まいなのですか?」
「いえ……、双月の間を含め、この館全体が初夜の儀のための特別な建物でございます。普段は使われておりません」
「凄い、ですね……」
田舎者丸出しなわたしの言葉には慎み深く何も答えず、侍女はわたしを椅子に座らせ、他の侍女達と一緒に、複雑に結った髪をほどきはじめた。
「聖女様には、まず禊をしていただきます。その後、陛下がいらっしゃいますので、『孤月の誓い』を立てていただき、初夜の儀となります」
孤月の誓いとは、生涯夫も子供も持たず、女神様に仕えるという誓いだと、大神殿での聖女教育で教わった。
どういうふうにするのかわからないけれど、国王陛下と閨をともにしても子ができなくなるらしい。教育係の女性神官は、先代の聖女様にも子供はいなかったと言っていた。
「孤月の誓いとは、何をするのでしょう……」
「わたくしどもは知らされておりません。陛下に直接お聞きになってくださいませ」
髪に続き、聖女の装いもすべて脱がされて、浴室へ連れていかれた。
数人がかりで体も髪も綺麗に洗われ、丁寧に乾かされる。全身に良い香りのする油を塗りこめられ、リボンや刺繍で飾られた薄手の寝衣を着せられた。
「それでは、わたくしどもはこれで失礼させていただきます」
侍女達は深々と礼をして双月の間を出ていった。
とうとう、その時が来た。
鼓動が激しくなる。
わたしはなんとか落ち着こうと、深く息をした。
愛しい白銀の狼を思い描く。
「ヴォルフ、わたし、できるわよね。大丈夫、きっと上手く行くわ……」
* * * * *
わずかに音を立て、ついに扉が開いた。
陛下の部屋へとつながっている扉だ。
「…………陛下?」
「やあ、驚かせたらすまない」
「え……」
張りのある若々しい声に驚く。
入ってきたのは陛下ではなく、王太子エウスタシオだった。
「お、王太子様!?」
聖女継承の儀の時はにこにこして穏やかだったのに、酷く固い真剣な表情をしている。
「王太子様、何故こんなところに?」
「聖女殿に相談がある。突然で申し訳ないのだが、本当に今しかないのだ」
「相談、ですか」
王太子様は、わたしの目を真っ直ぐに見つめる。
「時間がないから、率直に言うよ。マリアーナ嬢、私の聖女にならないか?」
「は……っ!?」
国王陛下に似た黒褐色の髪はやや長めで、瞳は王妃様に似た明るい榛色。背は高いけれど、国王陛下ほど体に厚みはない。
真面目な顔をしていると、頭の良い文官のように見えた。
「驚くのも当然だ。しかし、これはよく考えた末でのことなのだ」
「……どういうことですか?」
この部屋にはわたし達以外の人はいない。
でも、王太子様は一歩わたしに近づき、声をひそめてささやいた。
「父上……、国王陛下への求心力が落ちている」
「それは……聖女継承の儀の失敗で?」
片方の眉を上げて、わたしを凝視する。
「気づいていたのか。聖女継承の儀を二度失敗したことは確かに痛手だ。だが、それだけではない」
「…………」
「明らかにここ数年で国力が低下している。作物の不作が続いていることを知っているか?」
「はい。わたしは仕立て屋の娘ですが……、農村での不作の噂は聞いています」
「やはり民は不安に思っているのだな。問題は、それが回復する兆しがないということだ。悪天候が頻発し、続く災害に悩まされている地域も多い。国民だけではなく、貴族達も国内が不穏な状態になるのではないかと恐れている」
そう言えば、東方神殿に聖女選定の儀を受けに行った時、集まった女性達が話していた。天候が不順で作物の出来が悪い、なかなか子宝に恵まれなくなった、というようなことを。
そして、それは愛と豊穣の女神レクトマリアの力が薄れているからではないかと噂されていたのだ。
「女神様のお力が……?」
「さすが聖女殿。もしや女神の宣託があったのか!?」
「いえ、違います! そういうわけではなく、あの、これも街の噂です」
「そうか……」
みんな、漠然と不安を感じていた。
聖女が見出された時、国中の人が慶事だと大喜びしたのはそのためだ。
新たな聖女が決まれば、若い力で女神様の加護も強まるのではないか。また、不安のない豊かな生活が戻ってくるのではないか。
そんな期待が強く感じられた。
「でも……わたしは、女神様のお力のせいだけではないように思います……」
「私には女神レクトマリアの御心はわからない。しかし、一つ言えることは、新しい治世が必要だということだ」
「新しい治世って……?」
王太子様は深く長く息を吐くと、意を決したようにこぶしを握りしめた。
「王国への女神の恩寵が薄らいできたかのように思える今、民の不満を抑え貴族達の不信を一掃し、王国が一つになって、この不安定な情勢を乗り越えていかなければならない」
「はい……」
「そのためには、民心が離れる前に、代替わりが必要なのだ。私は人心を一新して、新たな国を創りたい」
代替わり……、譲位。
国王陛下はそんなことはまったく匂わせていなかった。
もしかして王太子様は、政変を起こすと言っているのかしら。そんな大変なことを、わたしが聞いてしまっていいの?
「しかし、父上にはご納得いただけなかった。だから、私はあなたにお願いに来たのだ。マリアーナ嬢、私の聖女になってほしい。父ではなく私とともに、国を支えてもらえないだろうか」
王太子様がわたしの手を取ろうと動いた、その時。
背後から太い声がした。
「そこまでだ、エウスタシオ」
内扉を開けて、くつろいだ室内着に着替えた国王陛下が入ってくる。
「父上」
「陛下……!」
陛下は、皮肉っぽく笑った。
「聖女殿の説得には時間が足りなかったようだな。それとも、聖女殿の気持ちは若い男に傾いたのか?」
次回「女神の加護は渡さない」。
国王 vs. 王太子の聖女マリアーナをめぐる争い。
そして、マリアーナは……!?




