1.少女ともふもふの逃避行
町を出てから、妙な視線を感じるようになった。
厚手の衣類を購入しおいしい串焼きを食べた、あの町だ。
最初に気づいたのは、もちろんヴォルフだった。わたしの手を握りまっすぐ前を向いて歩きながら、小声で話しかける。
「マリアーナ、そのまま前を見ていろ」
「……なぁに、ヴォルフ?」
「あとをついてくるものがいる。森へ入って、撒くぞ」
町を囲む城壁を出るとのどかな畑や牧場が続き、さらに小一時間歩くと木々が増え、森が見えてくる。
木々に囲まれ視界が遮られたところで街道を外れ、森の中へと入っていく。
「しっかりつかまっていろよ」
ヴォルフは人間の格好のままわたしと荷物を背負い、ある程度奥まで進むと狼に変化し疾走した。
わたしはただ必死でヴォルフにしがみついていた。
けもの道もないような深い森を抜けると渓谷に出た。
険しい山間を縫うように川が流れている。
ヴォルフが川面に顔を出している岩を飛び移りながら上流に向かうと、轟音が聞こえてきた。
「滝だわ……!」
激しい勢いで雷のような音を立て、水が流れ落ちていた。
幅はそれほど広くないけれど、落差が大きい。滝のてっぺんを見上げると首が痛くなる。王宮の塔より高そうだった。
「すごい! わたし、こんなの初めて見た」
こんな時だけれど、感動して声を上げてしまった。
「クゥン」
そうだろ、とヴォルフが言った。
大きな岩の上で荷物を下ろし、わたしに差し出す。
「なに?」
荷物を開けて中身を確認しているとヴォルフがマントを鼻で指した。雨具にもなる、フードのついたマントだ。
「これを着ればいいの?」
「クン」
雨が降っているわけではないのになぜだろう?
あ、もしかして……。
「クーン!」
正解とヴォルフが吠え、急げと体を伏せた。慌ててマントを身に着けヴォルフに飛び乗る。
ヴォルフが岩をいくつか足場にして、勢いよく跳躍した。
強い風が巻き起こり、流れ落ちる滝の水が一瞬大きく舞いあがる。その中をくぐり抜け、滝の中に飛びこんだ。
「わあ……」
わたしたちはあっという間に滝の裏側にいた。
滝の裏には洞窟があり、その入口でヴォルフはわたしを下ろしてくれた。
「クゥン」
「……こんな世界があるのね」
激しい水流のカーテンに閉ざされた空間は薄暗いけれど、あちこちに日が差しこんで水飛沫が輝いて見える。
大きな水音で耳が潰れそうだ。
「まだ奥があるの?」
曲がりくねった暗い洞穴を奥に進むと、滝の轟音も少しマシになってきた。
何度目かの角を折れると、やや開けた場所があった。
どこからか細く光が差しこんでいる。洞窟の壁がきらきらと光る様はとても幻想的で、神聖な空気すら漂っているようだった。
「ここは?」
安心していいと言わんばかりに、白銀色の狼がごろりと横になる。
「あなたの秘密の隠れ家の一つなのかしら」
わたしもマントを外して、その巨体に寄りかかって座りこんだ。
「ヴォルフのお腹のもふもふ、気持ちいい」
「キューン」
「ヴォルフ、綺麗なものを見せてくれてありがとう」
ヴォルフがわたしの頬を舐める。
何に追われていたのかわからないけれど、ちょっと日常が戻ってきたようでホッとした。
* * * * *
夜が更けたころ、ふと目覚めるとヴォルフが首を上げて滝のほうを見ていた。
月の光がわずかに入ってくる暗い洞窟に金色の瞳が光っている。警戒しているようだ。
「何か来たの?」
「グゥゥ……」
低い声で唸るヴォルフ。
やがてわたしをかばうように立ちあがって暗闇を見据えた。
「あれは……?」
滝の音が響く方角からふよふよと白く光るものが漂ってくる。
つるりとした球体は神殿で見た聖なる水晶みたいだった。
「グルゥゥゥ」
光る玉はヴォルフの威嚇などまるで気にせずにゆっくりと近づいてくる。
怪しさ満点なのに、なぜか恐ろしく感じない。
ヴォルフがいてくれるからというのもあるけど、ふよふよと浮かぶ呑気な様子に害意を感じないからかもしれない。
「なんだろう。何か……話しかけてる?」
白い光はわたしたちから人一人分くらい離れたところで止まり、空中で浮いたまま動かなくなった。
光がチカチカと点滅する様子が意志を持っているように感じられる。
「ヴォルフ?」
目の前でパッと稲妻が閃いたかと思ったら、そこに人の姿のヴォルフがいた。
白銀色の長い髪がぼんやりと発光している。月光のようで、とても美しかった。
「なんの用だ。呼んだ覚えはないぞ」
わたしではなく光の玉に向かって厳しい声で問いかける。その口調は光の正体が何かを知っているみたいだった。
光がさらに強く点滅した。
『呼んでくれてもいいのよ? 遠慮しないで』
え……光の玉がしゃべった?
白い光が明るくなったり、暗くなったりする。その明滅に合わせて頭の中に声が響いてくる。
それと同時に重いものに圧迫されるようなかんじがして、息苦しくて声が出なくなった。
「神力を放出するな。マリアーナが怖がるだろう」
『あら、ごめんなさい。水晶の幻影は調節が難しくてね……』
白い玉の発する光がぐっと弱まり、ようやく息を吐くことができた。
止まっていた考えが回りはじめる。
……水晶の幻影?
まさか本当に聖なる水晶なの?
『聖なる水晶はわたくしの小さな現身。これはその幻。わたくしの欠片をこの世に送るための影』
光はわたしの心中の疑問に答えているようだ。
わたしの心を読んでいるのかもしれない。
『心の中も外も、わたくしには意味のないこと』
「何をしに来た」
ヴォルフが会話に割りこみ、わたしを抱き寄せた。
『まぁまぁ、悋気なの? 氷の如く冷徹で炎の如く苛烈だと謳われる、銀の狩人たるものが、ほほほ』
聖なる水晶を現身とする白い光。
眷属神であるヴォルフを軽くあしらう、強い神力。
もしや……もしやこの方は。
女神レクトマリア……。
体が凍りついたように固まって動かなくなった。
町を出て、ヴォルフの隠れ家に逃げこんだ二人。
そこに現れたのは、女神レクトマリア!?
次回「牙の下に飛びこむ」。
さまざまな謎が明らかになり、マリアーナの気持ちにも変化が……。
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