5.女神様の事情
「その木の実、気に入った?」
「ええ、とってもおいしい」
温泉から上がったあと、涼しい木陰で簡単なお昼にした。
ヴォルフが採ってきてくれた新鮮な果実と干し肉、汲んだばかりの湧き水。
「よかった。また採ってくる」
ヴォルフが狼じゃなくて大人の男のひとの姿なのはまだ慣れなくて、なんだか恥ずかしいけど……。
わたしを気にかけてくれる様子は、狼のヴォルフのままでほっとする。
「やっぱりわたし、ヴォルフと一緒にいられて幸せ」
ふふ、と無意識に笑みがこぼれる。
小さな丸っこい果物を空にかざす。赤い果実は陽の光を受けて紅玉色に輝いた。
「聖女の宝石よりも綺麗だわ……」
ヴォルフはなぜか「うぅぅ」と唸って、ガシガシと頭をかいた。
「マリアーナは無防備すぎる」
「え?」
「こんなに可愛くて、可憐で、健気で……。俺は国王がおまえに惚れないか、国王に求愛されたおまえがその気にならないか、気が気じゃなかった」
「うふふ、まさかそんなことありえないわ。国王陛下は聖女を必要としていただけ。それが、わたしでもモーリーンでもよかったのよ」
わたしの腰をつかんで引き寄せ、長い脚の間に抱えこむヴォルフ。
「でも、なぜヴォルフは国王陛下がわたしに、その……甘い言葉をかけたって知っているの?」
ヴォルフは金色の瞳で、じっとわたしを見た。
「ずっと見てた。つらかったんだろ? 俺を呼べば、すぐにおまえをさらってやったのに」
妹の身代わりの聖女として国王陛下に口説かれ、神官たちに敬われ、贅沢な暮らしをしていた大神殿の日々。
わたしはちっとも幸せじゃなかった。
「でも、マリアーナが逃げるのを望んでいなかったから我慢した」
「ヴォルフ……」
みんなの期待に、ぬぐえない罪悪感に、囚われていた自分。
とても苦しかったけれど……、人に流されてばかりだったわたしが自分で道を選んで歩き出せたのは、ヴォルフが待っていてくれたおかげだ。
「ありがとう。ヴォルフ、大好き」
「ああ……もう! 可愛いな! 女神の思惑なんかクソ食らえだ」
「女神様、くそ……!?」
あまりの悪態に愕然としたわたしを、ヴォルフがぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「御使いとか聖獣とか、人間の考えることはよくわからない」
ヴォルフはわたしを持ちあげてくるっと回し、湖のほうを向かせた。後ろから抱っこして、わたしのうなじに顔をうずめる。
この体勢が好きみたい。
「そんなに間違ってはいないと思う。俺は女神レクトマリアの眷属神だ。女神に創られ、女神の意志を汲むもの」
その声は淡々としている。
眷属神……、ヴォルフはやっぱり女神様の使者だったんだ。
背中を覆うヴォルフの体温が急に遠く感じられて、胸が締めつけられた。
「だが、あいつは悪趣味なんだ」
「女神様が悪趣味……?」
「愛と豊穣の女神なんて言われているが、本当は愛と性を司る女神なんだぜ?」
思わず振り返って、ヴォルフを見る。
「愛と、せ、性!?」
「そう、性。夜の営み、閨の秘めごと。率直に言えば、交尾だ」
「こ……交尾の女神様」
「色ごとで世界を満たすことが生き甲斐っていう、変わった女神だ。恋愛話が大好きで」
ふうっと深いため息をつくヴォルフ。
「初めてマリアーナと逢った時、俺が浮かれていたんで、目をつけられた」
「浮かれて……?」
「俺を手当てするマリアーナが一生懸命で可愛くて。だけど、俺が舐めると急に色っぽくなって。かと思えば、突然いなくなってしまいそうな儚さがあって……」
すぐ夢中になった――低くかすれた甘い声が、耳もとでささやく。
「ヴォルフ……」
体にぞくぞくした痺れが走った。
なんだろう、これ。
ヴォルフに抱き着きたくてたまらない。
「あの時の耳のかすり傷は、魔獣を退治していたからなんだ」
「……魔獣!? でも、女神様の護りがあるから、神殿の森には魔獣は近づかないって」
「ああ。ただ最近女神の影響力が薄れていて、普段は守護されているようなところに、突然強力な魔獣が現れた。それで俺が出ることになった」
「女神様のお力が弱まったのは、先代の聖女様が亡くなったから?」
「それだけじゃない気がするが……」
ヴォルフはくんくんとわたしの匂いを嗅いだ。
「ひゃっ……」
ヴォルフの息を素肌に感じて、また胸が締めつけられる。けれど、さっきみたいな苦しさはなくて、とくん、とくんと、ときめきで胸が躍る。
「あー、いい匂い」
わたしの鼓動は気づかれなかったみたいで、ヴォルフはそのまま話を続けた。
「俺はもっとマリアーナといたかったのに、急に女神に呼び戻されて、何かと思ったらマリアーナの話を聞きたがって」
「わたしの……」
「俺が最初にマリアーナを見た時、どう思ったかとか、これからどう接近するつもりかとか、根掘り葉掘り」
「ねほりはほり」
女神様の心象が少し変わってきた。意外と親しみやすい方なのかしら……。
「今回もさ、マリアーナと旅に出るんだとついこぼしたら、『人間の女には必要なものがいろいろあるのよ~』とか言って買い物に行かされるし。あいつ、俺が右往左往するのを楽しんでやがる」
旅の準備がやけに万端だったのは、女神様のおかげだったのね。
「女神様に感謝しなくちゃ。わたしなんかを気にかけてくださって」
「気にすんな。大神は気まぐれだ。その意図を考えてもキリがない」
「そっか……」
体をひねって、ヴォルフの瞳をのぞきこむ。
蜂蜜みたいに甘くとろけた黄金色の目が、わたしを優しく見つめていた。
「あなたと離れなくてもいいのなら、なんでもいい」
「マリアーナ……」
そっと近づいてきた唇を、目を閉じて迎え入れる。
花の蕾がほころぶように幸福が体からあふれ出した気がした。
その気持ちがなんなのか自覚しないまま、ヴォルフのくれる幸せに溺れるマリアーナ。
次回「不穏な噂」。
旅の途中、立ち寄った町で聞いた噂話とは――?
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