4.純情美形 vs. 天然小悪魔
「おはよう、ヴォルフ。んー、いい朝ね」
「ク――――ン」
大きく伸びをして、朝の空気を吸いこんだ。
ヴォルフも前脚を伸ばして、ぐぐっと背中を反らす。
「クゥン?」
「あら、ばれてたの? 大丈夫、寝不足じゃないわ。それまではちゃんと寝てたんだから」
実は夜明けとともに目が覚めてしまったのだ。ヴォルフは気がついていないと思っていたのに……。
夜空が次第に紺から紫へと色を変え、やがて丘の向こうに朝日がのぼり、湖がキラキラと光り出す。その光景を、眠るヴォルフのぬくぬくした毛にうずもれて、ずっと眺めていた。
とても満ち足りて幸せだった。
「よく寝ていたから、起こしたくなかったの。ごめんね」
「クゥン」
いいよ、と軽く言われて、頬を舐められた。
わたしもヴォルフのほっぺたにチュッと挨拶の口づけをした。
朝ごはんを食べてから確認しに行ったら、茶色かった川の水は無事元の白濁した温泉に戻っていた。
「素敵! ほんとに湯船みたいになってるわ」
ヴォルフの掘ったところだけ少し深くなっているから、浅瀬の一部が丸く切り取られているように見える。
「どうしよう。まだ朝だけど、早速湯浴みしちゃう?」
「クン!」
ヴォルフも賛成だ。
川縁に手頃な大きさの岩があったので、服と下着を脱いでポイポイと掛けていく。
その時、「キュイ――――――ン!」と焦ったような鳴き声がして、バシャーンと大きな水音がした。
「ヴォルフ、どうしたのっ……、えっ!?」
えぇぇぇぇ!?
――川の中には。
男のひとがいた。
……全裸の。
「だ……だれ!?」
呆然としてしまって、ほかに言葉が出てこない。
色白だけど、たくましい体つき。
白銀に輝く長い髪が広い背中に流れている。
彫りの深い顔立ちは女神の恩寵を受けたかのように整っていて、神々しいほどだ。
その端正な顔の中で、ひときわ印象的な鋭い金色の瞳がこちらを睨みつけた。
甘く響く低い声がわたしに命じる。
「マリアーナ、前を隠せ。丸見えだっ」
「は? ……はあ!?」
そっちこそ!
と怒鳴りたいのだが、口が回らない。
ああっ。
そうだ、わたし裸だったんだ!
慌てて手ぬぐいで体を覆い、お湯の中に飛びこむ。
「なっ、なんでこっちに来るんだ!?」
「だ、だってっ」
白いお湯の中のほうが、肌が見えなくていいかと思ったのだ。
涙目になって、男を見あげる。
「ぐっ……」
その瞬間、恐ろしいほどの美形は鼻血を噴いて倒れたのだった。
「は、鼻血、大丈夫?」
わたしに背中を向けて、お湯に浸かる美形。
びくっとうしろ姿が震える。
その怯えた動きが母親に叱られた街の男の子たちのように見えて、つい子供をあやすような声を出してしまった。
「こ、怖くないわよ、何もしないから」
「それは、こっちの台詞だ!」
美形さんがガバッとこちらを振り返って、また慌てて向こうを向く。
「…………」
「…………」
「あの」
「俺は」
声が重なってしまった……。
「…………」
「…………」
「どうぞ……」
「……ああ」
美形さんは一つ息を吐く、ゆっくりと振り返って、わたしのほうを見た。
微妙に目線がずれているような気もするけど。
「……こっちの格好じゃないと、狭くて一緒に入れないから。驚かせて悪かった」
「え?」
「……?」
「……?」
見つめあって、二人で首を傾げる。
「こっちって? あの、あなたは……?」
「俺はヴォルフだが……」
「…………」
「…………」
「……え?」
ひゅっと息が止まった。
「ヴォ……ル……フ? ……え? えぇぇぇぇぇぇ!?」
「うわ、びっくりした」
「ご、ごめんなさい。でも、本当にヴォルフ? 狼の? な、なんで? 人間になれたの?」
そして、なんでそんなに、び、美形なの!?
そりゃあ、ヴォルフはかっこいい狼だけど。
逞しくて頼り甲斐があって、綺麗で優しくて、世界一の狼だけど!
「女神様のお力なの? なぜ今まで隠してたの? どうして」
ああ、聞きたいことだらけでまとまらない。
「落ち着け。俺は逃げないから。ずっと一緒にいるって約束しただろ?」
ひゃーっ。
人間の男のひとの姿で言われると、ものすごく恥ずかしい。顔が熱くなる。
「それはっ、だって聖獣の、狼だったから」
「なんだよ、やっぱり狼のほうがいいのか……」
途端に、しゅんとする美形さん――ヴォルフ。
ああ、か、可愛い……。
もふもふした狼じゃないのに、すねて肩を落とした姿が可愛すぎる。
「隠してたわけじゃないんだ。マリアーナが、もふもふが好きだって言ってたから」
ぶっきらぼうな低い声。
「キューン」と落ちこんだ鳴き声がどこからか聞こえてくるくらい、うなだれている。
「だから、できるだけ獣の姿でいようと思ってたんだけど……、俺、お湯に浸かるの初めてで。一緒に湯浴みがしたくて」
大人の男のひとで、すごくかっこいいのに、性格は狼のヴォルフのまま。
だけど、胸がどきどきする。
「ごめんね、ヴォルフ。わたし、驚いてしまって」
なんだろう、この胸の高鳴り。
ヴォルフが可愛いから……?
「狼の姿はもちろん好きだけど、もふもふだから好きなんじゃないの。……ヴォルフだから、好きなの」
「マリアーナ……本当?」
「うん。大好きだから、ずっと一緒にいたいの」
「マリアーナ!」
突然ヴォルフが飛びかかってきた。
「わっ!」
でも、狼の時みたいに押し倒されたりはせず、二本の腕でギューッと強く抱きしめられる。
「マリアーナ、俺も好きだ」
そして、ふうっとため息をつく。
「たぶん、マリアーナはわかってないんだろうけど。俺はマリアーナが大好きだよ」
広い胸……。
ここがわたしの一番安心できる場所。
強くて、あたたかくて、優しいヴォルフ。
白銀の毛並みに擦り寄る時みたいに、頬をすりっとこすりつける。
「うぅ……」
ヴォルフが低く唸った。
「そういうところだぞ、マリアーナ。なんでいつもそんなに小悪魔なんだ……」
ヴォルフがブツブツと何か言っているけれど、気にせずに胸もとにちゅっと口づける。
「く……っ」
あれ、そう言えば。
わたし、狼のヴォルフによく口づけてた。
狼のヴォルフもわたしを押し倒して、舐めまわして……、え!?
それって全部、この美形さんと同一人物ってこと?
「……ヴォルフ」
嘘でしょ……。
わたしもう、どうしたらいいのか。
くらくらしてきた。
「ん?」
「暑い……」
わたしは久しぶりのお湯にのぼせてしまっていた……。
ヴォルフ、全裸で登場!!
というわけで、温泉回でした(笑)。
次回「女神様の事情」。
つらい展開が続きましたが、これからラブ強めになっていきます♪




