2.少女はもふもふと旅に出る
「クゥン」
背後から聞こえてきた聞き覚えのある鳴き声に、わたしは驚いて振り返った。
恐ろしいほど低いのに、甘えた仔犬のようなこの鳴き声は、まさか……。
「クゥーン」
「ヴォルフ……ヴォルフなの!?」
深淵の森の密集した木々の間から、白銀に輝く巨体が現れる。
「……ヴォルフ!!」
とっさに走り出して、木の根に足を取られかける。転びそうになったその勢いのまま、狼の首に抱き着いた。
「クゥン、クン?」
ヴォルフは、危ないだろう、気をつけろと言っているようだ。
「逢いたかった! 逢いたかったの、ヴォルフ」
涙があふれた。
もう一度、逢いたかった。
女神様のみもとに行く前に、もう一度だけでいいから彼の白銀の毛並みにうずもれたかった。
「クゥンクゥン」
俺も逢いたかったと言うように、顔を舐めまわされる。
涙も舐め取られてしまった。
「もう、くすぐったいったら。ヴォルフ、舐めすぎよ。そんなにペロペロしないで?」
「ク――――ゥン!」
なぜかまた興奮してしまった……。
わたしはヴォルフが飽きるまで舐められたのだった。
ヴォルフが満足して落ち着くと、彼の足もとに大きな包みが置かれていることに気づいた。
「これは何?」
「クン」
開けてみろってこと?
荷物を開くと、その中には野宿に必要なものが一式そろっていた。
固焼きパンや乾物などの食料に、水の入った水筒。料理用の鍋、ナイフ、火打ち石などの道具類。毛布や雨具の代わりにもなるフードつきのマント。
「……これは……」
なぜこんなところに?
わたしが家で着ていた服や、下着まで入っている!
「ヴォルフ、どうしてわたしの服がここに?」
「クーン」
ちょっと恥ずかしそうにそっぽを向いている。
「よくわからないけど……、助かったわ。ありがとう、ヴォルフ」
少し伸びあがってヴォルフのほっぺたにチュッと口づけた。
「キュ――――――ン!?」
突然の口づけに驚いたのか、ヴォルフがひっくり返った。
もふもふの毛につつまれていて顔色なんて見えないのに、なんだか顔が赤くなっている気がしておかしかった。
「さあ、これからどうしよう」
「クゥン?」
ヴォルフが素早く体勢を立て直して、鼻先で荷物の中の食料をつつく。
「お腹、空いたの?」
首を横に振る。空腹なわけではないらしい。
「わたしに食べろって言ってるの?」
「キュン!」
「そう言われれば、お腹が減ったかも……」
ずっと食欲なんて感じなかったのに、ヴォルフの顔を見てほっとしたからか、急にお腹がグルグル鳴った。
そこで、突然気がついた。
「……音が」
森のあちこちから聞こえていた不気味な鳴き声が消えている。
ヴォルフと二度目に逢ったあの不思議な夜みたいに、すべての動きが止まっているわけではない。ただ、深い森は何かを畏れるように静まり返っていた。
「クゥン?」
「ううん、大丈夫。森が……急に静かになったから不思議で」
ヴォルフはまわりを見回して、ちょっと偉そうに「クフン」と鳴いた。
「もしかして、ヴォルフが何かした?」
「クン」
「ヴォルフは……いったい何者なの?」
ちょっと困ったように首を傾げる。どう説明したらいいのか、悩んでいるようだ。
――あの夜。
白い月の光の中で、すべてのものの時が止まっていた。
夜は、女神レクトマリアの力が最も高まる時間。
そして、闇に輝く月もまた女神の象徴。
そして、今。
魔獣が棲むという深淵の森ですら、ヴォルフの気配に畏怖している……。
「そうか……、わかったわ」
「キュン?」
「あなたは女神様の御使い。聖なる獣なのね……?」
女神レクトマリアに狼の御使いがいるという伝承は聞いたことがないけれど、御使いはさまざまな形を取るという。
きっとそうだ。
「キュ、キューン?」
なんと答えたらいいのか、迷うヴォルフ。
「聖なる獣……、聖獣さんね?」
「……クゥン」
うーん、まぁいいか、という風情だ。
「でも……、女神様はきっとわたしのこと、怒っているわよね。御使いを遣わしてくれるなんてありえない……」
そうだ、わたしは聖女の名を汚してしまったのだった。
ヴォルフが女神様の御使いなら、わたしがヴォルフにふれることも許されないのではないだろうか。
わたし……。
やっぱりヴォルフのそばにいちゃ駄目なのかな。
「クゥン、クゥゥン」
ヴォルフが焦ったように、わたしの頬を舐めた。
「あ、また泣いてた……? 心配かけてごめんね」
「クーン」
「女神様は……ううん、ヴォルフは、わたしを許してくれる?」
「クゥウゥン」
何を言っているんだ、当たり前だ。
そんなふうに聞こえる。
「ふふ、ありがと」
わたしは罪を犯した。
けれど……。
自分勝手な解釈かもしれないけれど、ヴォルフはわたしを許し、すべてを受け入れてくれているみたいだった。
ヴォルフといると大きな優しさにつつまれているようで、誰といるよりも安らぎを感じた。
白い月の夜。
わたしは思っていたはずだ。
ヴォルフと一緒にいたい、と。
聖女や初夜の儀のことなど忘れて、ただヴォルフのそばにいたいと……。
今、願いは叶った。
わたしはもう聖女ではないし、あんなに逢いたかったヴォルフはここにいる。
それなら何をくよくよすることがあるだろう?
「ヴォルフ、これからもわたしと一緒にいてくれる……?」
「クゥン」
うん、決めた。
わたしはもう、一回死んだも同然。
この森を出ても、故郷にも実家にも戻らない。
ここからは普通の女の子として、新しい人生を歩いていくのだ。
「ヴォルフ……ずっとよ? 一生だよ? それでもいい?」
「キュ――ン!」
ヴォルフが厚い舌で激しくわたしを舐めるものだから、また押し倒されてしまった。
ヴォルフとなら不自由な旅もきっと楽しい。
「安住の地を探しながら、一緒に世界を冒険しましょう。ね、ヴォルフ」
わたしは初めて、自分で自分の進む道を決めた。
深淵の森のおどろおどろしい空気さえ爽快に感じた。生きる力が体にみなぎってくる。
わたしは自分の足で、新しい人生の最初の一歩を踏み出したのだ。
やっぱりヴォルフがいるとお話が明るくなりますね。
もふもふバンザイ!
次回「聖獣さんとわたし」。
もふもふ二人旅、異世界絶景スポットへ♪




