イヤホン
今日はいつもより寒い朝だった。
だからと言って哲也は、朝寝坊する事は滅多に無い事だが、今日に限って寝坊してしまった。
目が覚めて、呆然と目覚まし時計を見つめるや、急いで出かける支度をし始めるのだった。
哲也は慌ててドアの鍵を締めると、直ぐに走り出した。
まだ外は寒かった。
哲也は走りながら神に祈った。
「いつものバスに間に合いますように!」
そして、息を切らしながらバス停に着いた哲也の前には、神様はいなかったのである。
「やっぱり、駄目だったか。」
哲也が道路に沿って視線を移していくと、そこにはいつものバスが遠ざかって行く光景が目に入ってきたのだった。
「いつもは、20分も遅れて来るくせに、今日に限って時間通りに来るんだよな。だから嫌だよ。バスは。」
ぶつぶつと文句を言いながら、息が落ち着き始めた頃に次のバスが来た。
てちやがそのバスに乗ると
「あれっ、バスが空いている。」
「一本違うだけで、こんなに違うものなのかな。」
そう、哲也がいつも乗っているバスは、ひどいもんだった。
化粧して、おしゃべりばかりしている女子高生や幼稚園に行く子供の声、サラリーマンのどキツイ香水の匂い。
人ごみが苦手な哲也にとっては、まるで地獄であった。
しかし、その地獄は3つ後の停留所が過ぎると天国に変わる、だから我慢して毎日乗っているのだ。
バスが空くと哲也は、いつもの後ろから3番目の左窓側に席に座って、他の人の話し声が聞こえないようにipodを大音量で聞きながら寝るのが習慣だった。
この日も、丁度その席が空いていたので、いつものようにipodを取り出し耳にあてながらその席に座ると直ぐに眠りについていった。
しばらくして、哲也はふと右肩が急に重くなっている事に気付いた。
てちやは、右目を少し開け自分の右肩の方に視線をやると、驚いた事にそこには人間の頭が目の前に現れた。
てちやは、びっくりして両目を開けると、姿勢を正そうと動いた瞬間その頭が動着始めた
哲也は、何故か動くのを辞めた。
だが、哲也は決して気長な性格ではない。
自分のお気に入りの時間を邪魔された事で、幾分腹が立っていた事もあって、その頭の持ち主を起こそうと、その人の肩に手を伸ばした。
その瞬間、また目の前の頭が動き、哲也はドキッとした。
そこには、気持良さそうに寝ている若い女性が、とても幸せそうな顔をして寝ている顔があったのだ。
その顔を見て、てちやは手を引っ込めるしかなかった。
そして仕方なさそうに
「まあ、いいか」
と、その姿勢で再び眠りについていった。
バスが終点近くになると哲也は目を覚ます癖がついていた。
哲也が目を覚ますと、いつものようにバスは終点に着く手前を走っているところだった。
そして期待していた状況とは裏腹に変わらない右肩の状況に気付く。
相変わらず、自分の右肩は彼女の枕になっていた。
そのまま、バスが終点に着くと周囲の人達が席を立ちバスを降り始めだした。
それにもかかわらず、横に目をやると隣の女性はまだ幸せな顔をしている。
哲也はとうとうしびれを切らし、女性の肩を軽く叩いてみた。
その途端、彼女はスイッチが入ったロボットの様に突然目を開け、勢い良く頭を上げたのだった。
徹夜はどの動作にびっくりして、しばらく口が開いたままだった。
しかし、女性はバスの中を見渡すと、今の状況を把握しようと一生懸命に見えた。
それを見て、正気に戻った哲也が
「着きましたよ」
と軽く囁くと、彼女は自分を見るや
「はっはい。」
と言って席を立ち上がろうとした瞬間、奇跡が起きた。
哲也と女性の耳が同時に引っ張られたのだった。
同時に二人が
「痛っ!」
と叫んで、自分の耳に手をやった。
哲也は耳から外れてイヤホンを見て、その原因が分かった。
そう、哲也が手にしているイヤホンは、自分のものではなかったのだ。
そして女性が持っているイヤホンもそうであった。
簡単に言うと彼女のイヤホンが自分の耳に、自分のイヤホンが彼女の耳に入っていたのだ。
その状況に、我を忘れ二人が同時に
「ごっ、ごめんなさい。」
と頭を下げて誤った。
そして顔を上げると、イヤホンを交換しながら顔を真っ赤にしてお互い笑っていたのだった。
それもつかの間、バスのスピーカーから
「すいません、終点ですが」
と言う運転手の声がした。
二人は、慌てて早足でバスの降り口へ向かう事に。
そしてバスを降りると、二人は何事もなかった様に正反対の方向へ歩きだした。
哲也は駅に向かいながら思った。
「どうして、あの時女性を起こさなかったのだろう?」
「どうして、イヤホンが入れ替わってたんだろう?」
「でも、右左違う音楽を聴いてたら普通どっちかが起きるだろう?」
哲也はその瞬間、足を止めた。
「もしかして・・・まさかな・・嘘だろう?」
急に足を止めて、哲也は後ろを振り返った。
そこには、いつもと変わらず人ごみでごったがえしている駅前の風景があった。
その時、哲也は思った。
「明日も寝坊しようかな。」
・・・・・終わり・・・・・・