【第04話】座敷童子と枯れ鬼
「さすがに、三日で戻って来るとは思いませんでしたね……」
「はい。ちょうど牛鬼の被害に困ってるところがありまして。運良く稼げました」
俺の横で地に片膝を突いて、報告をする若い鬼男のマコトへ目を移す。
「……牛鬼?」
敷布へうつ伏せになった俺に跨り、腰を揉んでくれるユズが手を止める。
「家畜の牛に邪気が混ざり、妖魔化した鬼ですね。帝国人達は、牛のモンスターと呼んでるようですが……」
俺のつぶやきに、肩口から覗き込んだユズが答えてくれた。
「厄介なのは人間よりも力の強い牛が人の知恵を持ち、帝国人の武器を扱えることです」
「へー……」
「一体でも倒すのに、数人掛かりですが。群れとなった時には、もはや手も付けられず。怪物狩りを専門にする討伐組織へ、お願いするらしいですよ」
「はい、ユズハ様の言う通りです。もともと先約があったのですが、他所の妖魔を討伐するのに断られたらしく。二人では厳しかったかもしれませんが、アカネがいましたのでなんとかなりました」
「そうですか……。それは良いことですね」
「はい。ユズハ様が、アカネを寄こしてくれたお陰です」
「うめぇ、うめぇ。この味噌汁、うめぇ! 米と野菜がうめぇぞ、シズク!」
「アカネ、うっさい!」
俺がさっきまで腰を曲げて一緒に作業してた畑では、俺の国で買った小袋のパックを開き、シズクが一つ一つ丁寧に種まきをしていた。
「おい、シズク。シズクの言ってたイモが、白と黄色あるぞ! ……むぐ、ん? 味も違うぞ、何でだ!」
「じゃがいも、さつまいも、じゃま!」
飯を食ってるアカネもなぜか畑に入っており、妙にハイテンションのアカネが汁茶碗から具材を一つ一つ箸で摘まんで見せつけては、眉間に皺を寄せたシズクの耳元で叫んでる。
「ジャガイモ? 嘘つけ! これ白いぞ? 黒イモじゃねぇぞ!」
「そっち、ほんもの! アカネ、じゃま!」
「いでぇっ!?」
スネにおもいっきりシズクの蹴りを入れられて、汁茶碗を握り締めたアカネが畑の外まで飛び跳ねた。
「うおぉっ!? 味噌汁!」
空中を舞い掛けた味噌汁を器でキャッチし、危なかったとアカネが一安堵する。
しかし、人参らしき新しい赤色の具材を見つけると、性懲りもなく箸で摘まんで畑の中へ入って行った。
シズクと同い年だからなのか、妙に懐いたな……。
「ほらそこっ。揉めないのよ。ちょっと待ってたら、次のができるからね!」
張り上げた女性の声が聞こえ、そちらへ目を向けた。
広場で炊き出しが行われており、マコト達が稼いだ金で領都から持ち帰った大量の食材を使い、ユズから料理を習った女性達が汗だくで作っている。
野菜を切っては大鍋に放り込み、つまみ食いをしながら米を一生懸命に炊いていた。
器が足りないと、米を入れた上に味噌汁を流し込み、火傷するのもお構い無しに箸で口の中にかき込んでいる。
三つの村から集まった人達で行列ができており、骨と皮になるまで飢えた鬼達のお代わりもひっきりなしだから、料理が間に合ってないようだ。
あれだけの食べっぷりなら、持ち込んだふりかけとかの味付けを増やさなくても、みそ味だけでも当分は持つ気がする……。
定期的に仕事を貰える話になったらしい依頼主から、牛二頭を借りて運ばれた荷牛車の上では、三士族の村長とシラヌイが余らした食材を袋詰めにして、分配作業を大忙しにしていた。
サボリ中のアカネは、あっちを手伝わなくて良いのか?
食べ終わったのか、お代わりをしに行ったアカネが首根っこを捕まえられ、目を吊り上げたシラヌイに引きずられて行く。
「ん、ありがとう。ちょっと楽になった。続きをやるよ」
「あまり、無理をなさらないで下さいましね」
「うん。俺も早く、トウモロコシを食べたいからさ」
見てるだけで美味しそうな、黄色の目立つ写真が表面にある小袋を手に取る。
鬼の奥様方に呼ばれて、ユズも料理を手伝いに行った。
マコトもシラヌイに呼ばれて、荷車の方へ足を向ける。
お代わりの待ち行列にちゃっかり並んでいたアカネが、シラヌイにゲンコツされていた。
「さて……。どこまでやったかな?」
自分が担当していた畑の前でウロウロしていると、目の前で半透明の振袖がヒラリと舞う。
「お? そこからか、ありがとう」
俺が畑に入ったからか、土の中で眠ってた他の子達も顔を出す。
「男の仕事は鍛冶だけど、女の仕事は畑を耕すことよ」と言わんばかりに、半透明の裸足で土を踏み始める。
何を植えてもろくな実が成らなかったらしい、荒れた大地を褐色肌の少女が飛び跳ね、次こそはと豊作を祈る舞いをするように躍り出した。
「ねえ、ユウ君……。おばあちゃんの屋敷にはね、座敷童子がいるんよ? お母さんも小っちゃい時に、おばあちゃんの畑で見たことがあるの……本当よ?」
あれは、たしか……祖母の一周忌だったかな?
小学校へ入学したばかりの時に外へ嫁いだ母方の実家に、親父の運転する車内で母に言われた時の、ぼんやりとした記憶だ……。
祖母が亡くなってから親族に屋敷を取られ、祖母が趣味でやっていた畑はアスファルトで埋められてしまい、俺が屋敷を再訪できた時は親族の駐車場になっていた。
でも俺が幼過ぎて、あんまり覚えてないだけで。
もしかしたら俺は、君と出会ってたのかもしれないな……。
「今度はちゃんと、ばあちゃんに負けないくらいのトウモロコシ畑を作ってやるからな……。待ってろよ」
先祖達について行って異国の地へ渡ったのか、他の畑を飛び跳ねる三つ編みの少女達とは違い、古めかしいオカッパ髪の少女が白い歯を見せて嬉しそうに笑う。
祖母の若い写真と似た着物の振袖をヒラリと舞い上がらせ、土の幼精霊の少女が裸足で踏みしめた故郷の大地を、他の誰よりも高く、力強く飛び跳ねた。
* * *
「精霊使い殿が、息子達に力を与えてくれたおかげで、我々は何十年ぶりか分からぬ、まともな食事をした……。まずは、これを感謝する……」
「はい」
白髪の村長ヤマドが口を開き、山盛りだった米を空っぽにした百円ショップの茶碗を地面に置いた後、正座をしながら深く頭を下げる。
それに倣うかたちで、左右にいる村長二名もまた額を地につけんばかりに、片角が折れた白髪頭を下げた。
「正直な話をすれば、我々は精霊使い殿を疑っておった……。この地に精霊がいることは知っておったが、彼女達は我々の声など一度たりとも聞いてくれたことは無かった……。時折り畑から顔を出しては、丘の上にある屋敷をじっと見ては消えるを、百年も前から繰り返してると……祖父から父へ、父から俺に伝えられていた……」
「ですが。旦那様がお見えになったことで、実際にこうして雲隠れをなさっていた土の精霊様が、豊穣を祈る舞を躍ってくれるようになりましたね」
ユズが動かした視線に合わせて、皆の視線もまた畑の方へ注目する。
トウモロコシ畑になるのを楽しみにしてるのか、俺がワラベと名付けたオカッパ頭の土の幼精霊少女が、半透明の裸足で楽しそうに飛び跳ねている。
振袖和服少女のワラベを中心にして、他所の畑から集まった数人の土の幼精霊少女達もまた、荒れた大地の上をピョンピョンと飛び跳ねていた。
「さて、守人の姫から我々のことをどこまで聞いておる?」
「百年前の大馬鹿者達が、鬼の一族の力だけで南の領都を頂けるまでにのし上がったのだと驕り高ぶり。田畑と自然を愛する精霊使い様との契約が途絶えると、見事なまでに衰退し……。敵対国に連戦連敗を繰り返し、弱いと嘲笑っていた人間達に領地を奪われ、皇帝の怒りを買い。都落ちして、故郷まで泣いて逃げ帰った馬鹿な種族だと、簡単な話を旦那様に伝えました……」
「耳が痛い話だな……。俺も、だいたい同じことを父から聞いている。人間達に枯れ鬼と馬鹿にされ、泥を啜りながら生きる俺達に。そんな時代があったとは、どうにも信じられんがな……」
骨と皮だけのやせ細った、七十代くらいの白髪の老人にしか見えない男が、力無く溜め息を吐いた。
まだ十代であろうマコトの年齢から推測しても、父親であれば実年齢は三十代から四十代頃になるはずだ。
しかし、長いことまともな食事をとらなかったせいか、見た目が変わる程の若さと生命力を、飢餓に奪われてしまったのかもしれない。
「まず我々が、第一に願うことは。今日のような日が、これから続くことだ……。それが約束されるのであれば、屋敷の近隣に住む三士族は間違いなく、喜んで力を貸すであろう」
三つの村から這いずるようにやって来た鬼達が、食うことに全力を使い果たしたと言わんばかりに地面へ寝転がり、満足気な顔で腹を擦りながらいびきをかいて寝ている。
種まきに一区切りをつけて休憩していたシズクも、腹いっぱい食べて座りながら眠りこけるアカネと互いに背中を預け、ウトウトして船を漕いでいた。
天気の良い青空の下、そよ風に身を任せたくなるような。
昼寝にはもってこいな、平和で穏やかな昼下がりだ……。
「荒れ地に種を植えるのは構わんが。今まで、まともな実は成ったことがないでな。申し訳ないが、息子達のように領都へ妖魔を狩りに出掛けて、稼ぐのでは駄目かの? 土の鍛冶精霊様に頼んで、鍛冶の力を我らにも頂けたら……」
「駄目ですね。豊潤な土地になってこそ、土の鍛冶精霊様が大地の力を貸してくれるのですから。このやせ細った大地では、数人に力を与えるのが限度なのですよ」
「そうか。ふーむ……となると、やはり畑を育てねばならぬか……」
白髪の村長ヤマドが、数日前のどこを見てるのか分からぬ虚ろな目とは違い、手に持った空の種袋にある見本写真を真剣な眼差しで見下ろしていた。
「しかしの守人の姫よ……。無駄に広い土地こそあれど、鬼の数も足らぬし。すぐに腹を満たせぬ種を植える作業など、やせ細った他の者達が長いことやる気力は湧かんぞ。そもそもの話だ……泥土と変わらぬ黒イモを育てる我々は、まともな畑を作ったことが無いのだぞ?」
俺は種を持ち込むことはできたが、農家でもなく家庭菜園すらしたことがない。
水をやれば育つんじゃないくらいの素人知識では、果たしてまともな実がどれくらいできるかは、見当がつかないな……。
今の俺達に共通する一番の悩みは、先のビジョンが見えないことだ。
険しい表情で、皆が腕を組んで頭を悩ませてる中、村長であるヤマドの肩が叩かれる。
「ヤマド。巡視だ……」
「あん? なんだと? 枯れ鬼の我らに、納める税など無いと言うておるのに……。あのイボ豚蛙め」
田畑の間を通る道を、村長のヤマドが鋭く睨みつける。
土埃を巻き上げて、俺達の方へ駆けて来る武装した者を乗せた馬へ、皆の視線が集まった。
* * *
「な、何て言ってんだ?」
革の胸当てをした戦士が、馬から降りて来るなり槍を振り回しながら、三人の村長を怒鳴り散らしている。
茶髪を乱雑に切ったベリーショートに、口元を布で巻いた目つきの鋭い戦士が喚いてるが、何を言ってるのかさっぱり分からなかった。
青い瞳の外国人に見えるが、英語では無いことだけは分かる。
これが、この大陸の帝国人なのか?
「鬼語では無いですからね。旦那様には、私が訳しますね」
「うん、よろしく」
今までユズ達と普通に会話ができたから、あまり気にしてこなかったが。
我が国の文化が色濃く浸透してるのは、鬼が住むこの土地までらしい。
『領主様に納める税も無いくせに、領都で大量に食材を買ってる枯れ鬼がいると聞いたぞ。どういうことだ』
村長達も異国語を喋れるのか、村長達の話を聞いた後に荷牛車の方へ、帝国人の巡視が歩いて行った。
荷牛車の中を検分した帝国人が、空になった布袋を持ち上げる。
『おい。この荷車に積んでいた、食材をどこにやった?』
「もしかしてなんだけど。さっき、シラヌイ達に屋敷へ持って行かせたのは……」
「はい。帝国人に取り上げられては困るので、隠すためですね」
異国語を訳してくれるユズに耳打ちすると、笑顔で答えくれた。
えらい慌てて村長達が布袋に小分けして、若者三人に屋敷まで持ち運ばせたと思ったら、そういうことか……。
布袋に手を突っ込んで、キュウリを齧りながら運ぶアカネの尻を、シラヌイが蹴り飛ばしてたけどね。
「はぁあ? なんじゃってぇ?」
三人が揃ったように、耳に手を当てて尋ねる。
さっきまでまともな会話ができたはずなのに、数日前に時間が巻き戻ったかのようなボケ老人っぷりだ。
『枯れ鬼のくせに、舐めやがって……』
さすがにやり過ぎたか、巡視が苛立ったように柄を握り締め、村長達に向かって槍を突き出した。
「あまり彼らをイジメないでもらえますか、巡視さん……。私達は泥を啜るような生活を、百年にも渡って続けてきました。お仕事なのは分かりますが。今日くらいは、多めに見て欲しいですわね……」
『離せ、枯れ鬼』
穂先近くの柄を掴んだユズが村長の前に立ち塞がり、巡視が怒りを含んだ眼光で睨みつける。
『きさま、自分が何をしてるのか分かって……』
巡視が、ユズから槍を奪い返そうと試みる。
しかし、華奢に見えるはずのユズはニコニコと笑顔のまま、その場から一歩どころかピクリとも動かない。
眉間に皺を寄せた巡視が、片手から両手に槍の柄を持ち直す。
それでも駄目らしく、まるで大地に根が張ったの如く、ユズは微動だにしなかった。
『お前、本当に枯れ鬼か?』
「シズク。その馬を抑えといて下さい」
「わかった」
巡視の背後から、突然に悲鳴混じりな馬のいななきが聞こえた。
驚いた巡視が、自分が乗って来た馬のいた方向へ振り返る。
『やめて。領主様の借り物なのよ』
……ん?
「シズク、それも食うのか! 肉か? 切るのか!?」
シズクとマコトの二人が暴れる馬を押し倒し、馬の首を狙ってアカネが肉切り包丁を振り上げた。
さすがにそれはマズイと思ったのか、シラヌイが寸前で止める。
いや、馬の手綱を握っとけばいいだけの話では?
それよりも……。
『あなた、槍を離しなさいよ』
綱引きをするように、巡視が両足に力を入れるが、腰の入れ方に妙な違和感が……。
『領主様に、言いつけるわよ』
「なるほど、女性でしたか……」
「キャン!?」
いきなり手をユズに離され、尻餅を突いた巡視が悲鳴を漏らす。
痛そうな顔で尻を撫でた巡視が、口元に巻いてた布が無くなってることに気づく。
「これを、お探しですか?」
『返して。それが無いと、山賊に女とバレて襲われるんだから』
実は女性だった巡視が慌てて立ち上がるが、奪われた槍の穂先が自分に向けられてることに気づき硬直する。
後ろに振り返れば、馬を取り押さえれる程に元気な若者の鬼達に、逃げる手段も奪われていた。
「少しだけで良いんです。私達のお話を聞いてもらえませんか? ……それとも、沢山の野盗が山に潜んでる道を歩いて帰りますか? 女の巡視さん、ふふふ」
ユズの悪い笑みに釣られて、女性巡視が引きつった笑みを浮かべた。