【第02話】嫁ができました
やられたな……。
妹鬼様の方が、恋愛関係は俺よりも一枚上手だったか……。
普段から大人しい妹の本性に、すっかり騙されたよ。
いや、結界オーライだったけどさ……。
妹鬼のシズク視点で見れば互いが好き合ってるのに、俺がヘタレなせいで前に進む気配が無いから、じれじれに痺れを切らせたのだろうけど。
俺の手に指先を絡め、恋人のように手を握り合ってくれる隣の女性は、幸せを噛みしめてると言わんばかりに終始ニコニコ顔だ。
時折りニヤケ過ぎた顔を引き締めようと努力するが、数秒も持たずにえへへと可愛らしい笑みを浮かべる。
とてもじゃないが、家に代々伝わる遺品の櫛を女性に渡したら、結婚を意味するとは知りませんでしたとは、口が裂けても言えない雰囲気だ……。
普通の人間とは違う異界の地に住む鬼の文化を、これからもっと知らないといけないな。
縁台に二人で腰かけ、寄り添うユズハ……いや、今日からはユズ呼びでと言われたばかりだったな……。
妻となった女性に腕も掴まれて身動きが取れない俺は、屋敷の中へ運ばれる段ボール箱を目で追う。
普段はしっかり者であるはずの姉鬼が、今日ばかりは心ここにあらずなポワポワ状態になってるので、俺が外に置いてきた荷物を妹鬼がせっせと運んでくれていた。
「やす、む」
と、シズクにしばしの休憩を促され、ここまで大荷物を運んで疲弊してた俺は、お言葉に甘えてしまったが……。
俺が苦労しながら持って来た手押し台車を、軽々と持ち上げる少女の姿を見れば、鬼と呼ばれる者達の力はスゴイと感心するしかない。
「あっ、シズク。ちょっと待って、その箱はそこに置いてくれ」
側面にマジックペンで『くだもの』と書かれた箱を、俺達の前に置いてもらう。
「シズク、開けてみて」
不思議そうな顔をしたシズクが、手を伸ばした箱を開いた。
「おー……」
「旦那様。もしかして、これは……苗木でしょうか?」
おもわず俺から腕を外したユズも縁台から立ち上がり、前屈みになって箱の中にある物を覗き込む。
「そう。リンゴやナシとかの一年生苗だってさ……。家庭菜園とかもしたことないからさ。種さえ買えば良いと思ってたけど、違うんだよね」
文明の利器とは便利なのモノで、ネットさえあれば全国からいろんな種類の苗木を取り寄せることができた。
「なえ、いっぱい……」
「果樹は実ができるまで、数年かかるかもしれないけどね……。これが、収穫できるようなった時の見本だね」
苗木を入れた容器の横に挟んだ、果実の一枚写真を手に取る。
「何年でも待ちますよ……。百年も待ったのです。今さら数年など、あっという間です……」
妹鬼と一緒に覗き込む姉鬼のユズが、目の端に涙を溜めて嬉しそうに目を細めた。
「じゃが、だけ。おわり?」
「ええ、そうですね……。これからは、土の味しかしないジャガイモだけでなく。たーくさん食べられますよ。ふふっ」
シズクを後ろから抱きしめ、ユズが目元から零れ落ちそうになったモノを指先で拭う。
「こんなにいっぱい……私達だけでは、食べきれませんね……」
「みんな、あげる?」
後ろに振り返ってシズクが尋ねると、ユズが少し複雑な顔をした。
「そう、ですね……。そちらもまた、彼らと話をしなければいけませんね……」
明らかに声のトーンが下がり、微妙な空気が流れ始めた。
「ばん、ごはん」
「あっ……いけない」
ユズが慌てて立ち上がり、日の傾きでも確認したのか、見上げた空からすぐに視線を外した。
「旦那様、晩御飯の支度をしてまいりますので、お部屋でゆっくりして下さいね。種と苗木については、明日からにしましょう」
「お、おう。荷物の整理でもしとくよ」
「はい。よろしくお願いします」
ペコリと軽く頭を下げ、パタパタと足早に屋敷の中へ駆けて行く、新妻の後ろ姿を見送った。
* * *
「うまそ」
「す、すごい沢山あるな……」
食卓にのせられた彩り豊かな料理に、正直かなり驚いた。
万が一のためにレトルト食品の出番も覚悟して、段ボール箱だけは開けといたが……。
「領都に使いを出して、食材は多めに取り寄せました……。本当は嫁にして頂けるとは思ってません……でしたから。数日分しかありませんけど……」
自分で嫁と言って恥ずかしくなったのか、ユズが指先をもじもじとしながら頬を赤らめる。
……可愛い。
よっぽど張りきったのか、三人で食べきれるか不安な量だな……。
うちの国とは白い濃霧を介して地続きだからか、見覚えのある具材を使った料理が多い。
この世界の鬼がパンではなく、米を主食としてるのが特にありがたいな。
目についた汁茶碗を手に取り、食欲の湧く匂いを嗅いだ後に味噌汁を口に含む。
これもまた、覚えのある味だった……。
百年ほど前なら、今と似たような料理もあるだろうしなと考えつつ、黄色のたくあんを口に含む。
ポリポリとした歯ごたえが……うん、美味い。
良い嫁になれそうと思ったが、俺の嫁だった。
「のこ、さない」
「ええ、当然です。そんな贅沢なことは許しません。残さずしっかり食べなさい」
妹鬼のシズクが、梱包材から取り出したばかりの小皿を左手に持ち、右手に箸を持つ。
手に持った箸をパチパチと嬉しそうに叩いた後、どの皿から攻略しようとかと悩まし気な顔で、迷い箸をしていた。
「こーら、行儀が悪いですよ」
「これ、あれ、それ」
もう全部で良いやとばかりに、シズクがそれぞれの皿から少しずつ取って、自分の小皿を山盛りにした。
水を飲むことさえ苦労してたのが嘘みたいに、バクバクと口の中に放り込んでゴクリと喉を鳴らす。
「ケホッ」
「ほらっ、慌てないの。もともと、余るくらい作ったのですから」
やっぱり、そうなんだ。
絶対に作り過ぎてるよね……。
喉を詰まらせそうになったシズクが、井戸から汲んだ水をゴクゴクと飲み干した。
それを横目に見ながら、俺もコップの中を覗き込む。
水を入れても底が見えるのが、普通なんだよな……。
透明な液体に目を細め、ここに来たばかりの悲惨な光景を思い出したけど、今は遠慮せず俺も水を飲み干す。
「旦那様、こちらもどうぞ……」
「え? お酒もあるの?」
「はい」
ユズが徳利を傾けると、手渡された小さなお猪口に濃厚な匂いがする酒が注がれる。
「以前、旦那様から頂いた栄養どりんく、ですかね? 大量に残った物は、すきにして良いと旦那様が言われましたので。欲しがる者達と取引をしまして、その際に頂いたお金があります……。ですからここにある食材は、旦那様のお金から買った物と同義です。遠慮なさらず、すきなだけ食べて飲んで下さいね」
「そうなんだ……」
そんな財源がどこからと一瞬、考えてしまったが……。
俺の考えを見透かしたように、お金の出処を説明したユズが微笑む。
なるほど……。
さて……困ったことに、酒は強くないのですが……。
「鬼が好む酒です。飲みやすい甘口ですので、一口飲んでみて下さい」
少しばかりためらう俺に気づいたのか、そう告げられて俺も騙されたと思って口に含んでみた。
「……甘いね。すごく飲みやすい……」
「ふふっ。意外かもしれませんが。私達は、甘口の酒を好みます。ささっ、どうぞ」
舌鼓を打ちながら、妻となった女性の料理を腹いっぱいに楽しむ。
異国の地だと舌に合わない食べ物が出るかと少し警戒してたが、好みが俺と同じようで安心した。
俺には食べきれない程あったが、妹鬼のシズクが残さず食べきってくれた。
お互いに酒を注ぎ合いながら、これからのことをお喋りして酔いもほど良く回り、まったりとした時間を過ごす。
「ふろ」
膨らんだお腹をポンポンと叩きながら、横に寝ころんでたシズクが急に起き上がる。
「ゆかげん!」
居間の障子を乱暴に開けると、縁側をバタバタと元気よく走って行った。
「もう。最近は、元気があり余って困りますね……」
「良いことだと思うよ」
最初に二人と出会った時は、土気色になって死んだように眠るシズクを見て、もう間に合わないと本気で焦ったからな……。
あの時、社畜精神で大量の栄養ドリンクを買い物袋に入れてた俺は、マジで良くやったと思うよ。
「旦那様、空いておりますよ」
お猪口に新しい酒が注がれ、俺の肩口へ甘えるように頭がのせられた。
「旦那様には、いくら感謝しても感謝しきれません……。私達姉妹がこうして生きてるのも、旦那様のおかげです……」
たまたま運が良かっただけかもしれない。
それでも、姉妹が助かってくれたのは本当に嬉しかった……。
悲劇を回避できた過去を思い出していると、うるさくバタバタと走る足音が耳に入る。
「さき、はいって!」
「はいはい……。旦那様、ご一緒しても宜しいですか?」
「う、うん……」
先ほど話をしてたので、一緒に入る覚悟は決めておりましたが……。
「しゃんぷーと、りんすの使い方が分からないので。右も左も分からぬ新妻に、手取り足取り教えて下さいませ、旦那様。ふふっ」
「お、おう……」
ユズも酔いが回ってるのか、からかうように耳元で囁いた後にクスクスと楽しそうに笑い、俺と腕を絡めながら居間を出る。
俺だけではなく彼女もまた、風呂よりも後のことが頭によぎってるはずだ。
なにせ、新婚の初夜だからな……。
「もし、よかったらですが……。寝室へ入る前に……お酒を、もう一杯飲んでも良いですか?」
「うん。俺も飲みたい……」
お互い考えることは同じらしく、興奮以上に不安と緊張を覚えたが……。
酒の酔いで少しばかり気が大きくなったのに任せて、なんとかなるだろうと俺の嫁と手を強く握り締め合いながら、一緒に風呂へと入った。