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【第01話】異界渡り

 

「この往復も、すっかり慣れちゃったな……」

 

 視界を真っ白な霧に覆われても、最初の頃に比べれば不安を感じない。

 どこを見ても白化粧の中、古びた櫛を指先でこするたびに手元が青白く発光し、小さな光のつぶが溢れ出る。

 ホタルみたく宙を舞い、淡い青の光に導かれるまま、白い霧の奥へ迷わず進み続けた。


 昔から聞く神隠しも、こんな感じなんだろうな……。

 そんなことを考えてたら、不意に視界が晴れた。

 どうやら、濃霧を抜けたみたいだ……。

 百年ほど前にタイムスリップしたような、一軒の古びた屋敷が目の前に現れる。

 

 一部を樹のツタに浸食された古い屋敷の前に、和服を着たボブカットの少女が立っていた。

 男物の着流しみたく、腰元を帯のみで結んで胸元をはだけさせないようにした、現代ではあまり見ない格好をした少女だ。

 俺の姿を見つけるなり、首を長くして待っていたとばかりに、俺が買ってあげたサンダルをパタパタと鳴らして、笑顔で駆け寄って来る。


 黒髪の少女は、俺と同じ形の櫛を大切そうに両手で握り締め、互いに所持する櫛同士の間を青い光の粒子が飛び交っていた。

 嬉しそうに俺を下から覗き込む、小柄な少女の額からは二本の角が生えており、まるで妖怪の鬼を連想させる異質な姿をしている。

 もはや見慣れた姿なので、俺は驚かずに可愛らしい少女へ微笑む。

 

「お土産、あるよ。コンビニで駄菓子を売ってたからさ……。俺のおすすめは、コーンポタージュ味かな」

 

 コンビニ袋に手を突っ込み、ガサガサと音を鳴らして目的の物を取り出す。

 初めてみる駄菓子に興味津々な少女の前で、地球産のお菓子である小袋を開く。

 美味しそうな匂いのする薄黄色の縦長ブロックに鼻を寄せ、小動物のように鼻先をスンスンと小刻みに動かした。

 小さな口を開いてサクッと齧った少女が、クリクリとした黒い目を丸くする。

 

「どう、美味しい?」

 

 鬼の二本角を生やした少女が、コクコクと無言で頷く。

 薄黄色の棒をサクサクと齧り、あっという間に少女の口内へ消えてしまった。

 

「まだいっぱいあるよ」

 

 コンビニ袋を広げ、十本以上ある駄菓子を目にした少女が、今度は首を横に振った。

 広げた両手も左右に振って、そんなに貰えないと言いたげだ。

 

「大丈夫。駄菓子って、ビックリするくらい安いんだから。ほら、お姉ちゃんにも持って行ってあげな」

 

 姉の分もあると分かるやコンビニ袋を握り締め、少女がスキップ混じりに駆けて行った。

 

「はぁー。おっも……。よいしょっと」


 可愛い妹鬼ちゃんの前だけはとカッコつけていた笑みが崩れ、溜め息混じりに本音が漏れる。

 登山用リュックは流石にしんどくて、背負っていた荷物を地面に置いた。

 姉妹の喜ぶ顔を見たいがために、家の周りの散歩を日課にし、登山用リュックへ荷物を詰めて体力をつけてきたけど。

 気合で頑張ってきたが、シミュレーションした以上に足腰が疲労で震えて……。

 

 今日までの苦労を思い出していると、周囲を覆っていた白い霧が晴れた。

 俺のよく知る都会のコンクリートジャングルとはまったく違う、田舎でよく見るような光景が俺の目に映る。

 大海の如き青空の下、どこまでも大地と深緑の森が広がり、丘の上からは遠目にポツンと沢山の畑に囲われた村らしき集落が見えた。


 ちょっと日本に似てるが、明らかに日本では無い風景。

 祖母達が住んでいた屋敷の裏側にある山から、時たま山を覆うほどの濃霧を通して繋がった、異国の地をぼんやりと眺める。

 少なくとも俺の国には、本物の鬼(・・・・)はいないからな……。

 

「お帰りなさいませ、ユウト様」

 

 内巻きでショートカットな妹鬼とは違い、カラス色の黒髪を腰まで垂らした女性が、妹に連れられて現れる。

 気の強そうな吊り目をしてるが、俺の顔を見るなり目尻が下がり、いつもの柔らかい笑みを浮かべた。

 両手を太ももの前で重ね、妹と同じく二本の白い角を生やした女性が、「お待ちしておりました」と丁寧に頭を下げてくれる。

 

「あの、ユウト様……。この大量の箱は、どうされたのでしょうか?」

「ん? 石鹸とかシャンプーとか、買えるだけ買ってきた」

 

 業務用の台車に載せた大量の箱を見て、姉鬼であるユズハが困惑した顔を浮かべる。

 手押しでここまで運んで来るのは、ちょっと大変だったけど。

 お店に行ける機会も、最期だったしな……。

 ほのかに良い香りがすることを妹のシズクが気づいたらしく、石鹸が入ってる箱に顔を近づけて鼻先をスンスンと小刻みに動かしていた。


「仕事も辞めて、アパートも引き払ってきたよ……」


 一ケ月ぶりに現れた俺の発言を聞いて、驚いたように姉妹が目を見開く。

 

「では……。本当に、ここで……」

「ああ、こっちの世界で生きることにしたよ。せっかく井戸からも、綺麗な水が汲めるようになったのにさ。俺が居なくなってから二人がまた呪われて死んだとか、さすがに後味が悪いよ……」

「ユ、ウト、さま……。もう、かえれ、ない……」


 少し息苦しそうにしながらも、妹鬼がかすれた声で言葉を発しようとする。

 喉に広がった黒紫色の痣は完全に消えてないが、喉から顔にかけて半分以上を呪いに覆われてた頃に比べれば、遥かにマシだ。

 

「無理しなくて良いよ。まだ痛いんだろ?」


 俺がそう尋ねると、シズクが首を横に振る。


「もう……だい、じょぶ」

 

 少し舌足らずだが、一言も喋れなかったあの日に比べれば、彼女の状態が快方に向かってるのは一目瞭然だ。

 

「住むよ……。こっちの世界に」

 

 電波の繋がらなくなったスマホを、ポケットから取り出す。

 今月で契約も切れるし、もはや無意味になった携帯端末のボタンを長押しすると、電源を落とした。

 

「もし、戻れるとしたら……。次は、百年後だっけ?」

「はい、おそらくは……。ですが、本当に宜しいのですか? その、私達のために……」


 姉鬼が胸元に手を置きながら、申し訳なさそうな感情と嬉しさが入り混じった、複雑な顔で俺に尋ねてくる。

 事故で両親を亡くしてから遺産も親族に持ってかれた、ろくでもない家しかないさと口に出して苦笑した。


「仕事も、ほぼ休み無しでブラックだったし。それに比べれば、ここの方が遥かに天国さ……」


 通勤途中のコンビニで店員とやり取りするくらいしか、プライベートに彩りの無い生活と比べたら、ちょっと容姿が変わってる美人姉妹と一緒に暮らした方が楽しそうだ。

 下心がゼロかと言えば、もちろん嘘になる……。


 奇跡的に取れた長期休暇中に、この地を何度か通って鬼の姉妹から呪いを消すための協力をしてきた。

 俺が異界渡りをできる理由も知り、百年に一度の機会が終わりに近付くと、次が最後かもしれないと名残惜しそうに手を離してくれなかった、姉鬼であるユズハの寂しそうな顔を思い出す。

 いくら女心が分からない俺でも、鬼の姉妹が俺に何を求めているかは察することができた。

 

「えっと、荷物なんだけど……」

「はい、こちらにそのままで。後で私達が運びますので。それよりも、ユウト様。私共も気合を入れて部屋を片付けましたので、どうぞ中へ」

「ゆっくり、する」

「お、おう……」


 鬼の姉妹二人に手を引かれ、屋敷の中へグイグイと引っ張られる。

 華奢な身体に見えて、さすが鬼の血を引く家系と言いますか、並の男以上に力が強い……。


 玄関を目前にして、シズクのパタパタと鳴るサンダル音が耳に入った俺は、あることを思い出す。

 シズクへの誕生日祝いに、可愛らしいサンダルをプレゼントしたが、姉鬼のユズハにはコレと言って渡せてあげるものが無かった。

 妹とは一つ違いとはいえ姉だからか、妙に大人びたユズハに渡すモノがどうしても童貞の俺では決めきれず、知人レベルでいきなりアクセサリーは重いしキモイよなとか悩んでるうちに、今日が来てしまったが……。

 

「あ、あのさ。ユズハ、さん……」

「はい、なんでしょうか? ユウト様」


 俺に声を掛けられ、鬼の姉妹が足を止めた。


「えっと……その。ユズハさんも、十六歳の誕生日を迎えたと、妹さんに聞いておりまして……」

「え? ……そ、そうですね。三日ほど前に……」


 ぐぬぅっ!

 ホントは当日に上手いこと渡したかったのに、アホ上司の嫌がらせによる引継ぎのせいで……。


「そのさ……。プ、プレゼントを考えたんだけどさ……。もしよかったら、俺の櫛をさ……」

 

 遺産争いで唯一親族に奪われず、肌身離さず持っていた櫛を、姉鬼であるユズハの前に差し出す。

 俺の持ってる物は、本来は二つで一組となる異界渡りに必要な目印であり、コレがあるからこそ霧を迷わずに進んで異界に渡ることができた。

 本命の女性が好むモノが思い浮かばず、藁にも縋る想いで姉の好きな物をシズク様へ聞いた時に、俺の持ってる古い櫛が一番喜ぶと教えてくれた記憶を思い出す。

 

「ユウト様、それは……。ユウト様の大切な、形見の……」

「もう、あちら側には帰らないからさ。俺は必要ないし……。それに、女性物の櫛だからさ……ね?」

 

 緊張で言葉がまとまらず、上手く伝えるための語彙が最期まで思い浮かばなくて、急に恥ずかしくなる。

 ねってなんだよ。

 そんなんで、伝わるかよ……。

 

 ああっ!

 ここにきて彼女いない歴が年齢な、童貞男の駄目なところが発動して……。

 

「あの……。本当に、私が受け取っても宜しいのでしょうか?」


 戸惑いながらもユズハが、上目づかいでじっと見つめてくる。

 いつの間にか少し離れた所で立っていた妹のシズクが、ニヤニヤと笑いながら俺達を眺めていた。

 イケメンじゃない俺が肌身外さず持っていた物は、やっぱり童貞臭くてオッサン臭が酷いから嫌だとか、そんな理由なのでしょうか!?


「祖母や、母は使ってたかもしれませんが……。お、俺は一度も使ってません。だ、大丈夫です。綺麗だし、臭くないですっ!」

「えっと……そうですか……」


 ああっ!?

 その微妙な反応から察するに、俺はまた選択を間違えましたかね!?


 もしかして恋愛フラグはやっぱり童貞な俺の盛大な勘違いで――。

 心の中で頭を抱えそうになりながら早口で喋ってると、男の俺とは違う華奢な女性の細腕が伸びて、俺の指先から櫛が離れていく……。

 受け取った俺の櫛を両手で胸元に抱き、姉鬼のユズハが頬を赤らめながら、上目遣いで俺をじっと見つめ返す。


「あの……もう、絶対に返しませんよ?」

 

 ……可愛い。

 十六歳の女の子にメロメロになる、ロリコンなオッサンと変態扱いされても、今日だけは許されるのではないだろうかっ!?

 いや、俺が許すん!


 ついでに、結婚して下さいと言っても……さすがに、それは無理だよな……。

 女の子にプレゼントしたくらいで、結婚までイケると考えてたとか、童貞思考が酷すぎて絶対に引かれますよね……。

 一人脳内で盛り上がり、一人でテンションがダダ下がりになる、二十六歳のヘタレな男が俺です……。

 

 とりあえずは、プレゼントは受け取ってもらえたから良かったよ。

 ここで気まずい空気になった場合、最悪ダッシュで霧の中に戻って、オタッシャデーのルートも発動する予定だったからな……。

 既にやり切った感がスゴイぜ。

 では、改めて新居に……。

 

「ようやく十六を迎えた私に、『契りの証』を受け取れと言われまして……。とても嬉しゅうございます」

「……え?」


 俺がプレゼントで渡した櫛を胸元で強く抱きしめ、姉鬼のユズハが黒い瞳を潤ませていた。


「ユウト様は、こちらに骨を埋める覚悟で来て下さりました……。それに応えないのは、守人を継いだ私がお役目を放棄してるも同義……。私も一ケ月の間、お優しいユウト様ならもしかしたらと想い。妹とも相談しながら、じっくりと……。心の整理をしておりました」


 ……な、何の話だ?

 ちょっと、妹さん?

 説明ぷりーず?


 妹さんへ尋ねるように目を遭わせたら、懐から出したもう一つの櫛を「私も、もう返さないよ」とばかりに胸元で強く握りしめ、満面の笑みを返された。


「至らぬことが多い不束者ふつつかものですが、これより妻として妹共々。この身が果てるまで、旦那様にお仕えします。どうか末永く、よろしくお願いします」


 額から二本の角を生やした、黒髪の美しい姉鬼が深々と頭を下げる。

 隣りの姉にならうように、妹も揃って深々と頭を下げた。


「よろ、しく」

「……え?」


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