多分もう手のひらの恋
3ヶ月に1度
「もうそろそろ髪切りに行かなきゃだな〜」
仕事の昼休憩で一息ついている時に前髪が邪魔だなあと思い、鏡で見て見たらなかなか伸びている。今回は急な出費もあり、美容院に行く機会を逃していた。
「髪切りに行くの?私の通ってるとこいいよ〜紹介してあげようか?」
同期で昼食を一緒に食べる仲の新山絵里子がそう言った。
「んー…最近は決まってるとこあるんだ〜」
「あ、美容院ジプシーやめたんだ〜」
そんなたわいもない話をしながら休憩時間は過ぎていった。
水口芽衣もつい最近まで美容院を転々としていた。ここがいい、と思える美容院がなかなか見つからなかったからだ。それが定着したのはそう、1年前のことだった。
前髪が鬱陶しくなってきた梅雨の時期。ピンで留めても結んでもなんだか邪魔でそろそろ美容院行かなきゃとなってきた時、ネット検索で見つけた今回のお店は自分の使っている駅から2つ先の駅近くで、行きやすさとお店の雰囲気の良さに惹かれて予約した。
恐らく開店して間もないのかレビューもまだなく、評判も分からなかったがこういうのは評判がいいから自分に合っているかなんてわからないし、と思い勢いで予約した。
カランカランーー
お店はすぐに見つけることができた。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?お名前を教えていただけますか?」
受付のパツキンピアスのチャラそうなお姉さんが笑顔と丁寧な言葉遣いで声をかけてくれた。
「はい、10時に予約した水口です。」
「はい、水口様ですね、お待ちしておりました。こちらの用紙に記入をしてお待ちください」
そう言われ用紙とペンをもらい、待合の椅子に腰掛けた。
名前と住所、好きなスタイルなどを記入し、待っていると
「こんにちは、お待たせしました。今日担当の里中です。よろしくお願いします。」
声のする方を見るとすらっとした長身の男の人だった。髪色は少し明るい茶色だ。耳にはピアスを付けている。
「はい、よろしくお願いします。」
芽衣は初対面の人に対してのコミュニケーションがあまり得意ではなく、節目がちにそういうと、里中さんの後をついていった。
「今日はどんな感じにしますか?」
美容室ではお決まりのセリフだ。大体聞かれるのにあまり理想の髪型があるわけでもないので絶対に答えられない。この時間が無駄だとわかっているんだからちゃんと考えてこいよ、と心の中で自分に文句を言いながら悩んでいた。
「前髪切って、少し整えてもらえれば特には…」
里中さん絶対困ってるしイラッとしている…と思うもののそれ以外何も本当に考えていなかった。
「整える以外決まってないなら僕に任せてみませんか?3㎝くらい切ってイメチェンしてみません?可愛くしますんで」
里中さんはそう明るい声で言った。特に決まっていなかったが3㎝も切るつもりもなかった。しかし、鏡越しにみた里中さんの笑顔を見たら流れるように頷いてしまっていた。つまり、長身イケメンの笑顔にやられたのだ。
「決まりですね。先にシャンプーするのでシャンプー台まで移動お願いします。」
里中さんは長身イケメンと言うだけではなく、シャンプーの技術もカットの技術も素晴らしかった。
あっという間にカットまで終わり、鏡を見ると今までで一番自分に合っていると思えた。感動だ。
「どうですか?気に入りました?」
里中さんは鏡の芽衣に笑顔で問いかけた。
「はい、とても気に入りました。ありがとうございます。」
自然と芽衣も笑顔になった。最初強張っていた表情も緩んでいた。
「よかった。ぜひまたうち予約してってください。あと、僕に切らせてもらえたらうれしいな」
なんて営業上手な長身イケメンなんだ。絶対来る。
「はい、またきます。」
そう言って席を立ち、受付で会計を済ませた。絶対里中さんを指名しよう。そう思った。
それから芽衣の美容院はずっとそこだ。もちろん担当は里中さん。通い出した当初はまだ開店したてということもあってまばらだった客も今や日によっては予約できない人気店になっていた。
さて、今日は3ヶ月に1度の美容院の日。2週間前に予約をとった。
里中さんに会えるのが楽しみだ。
「いらっしゃいませ〜掛けてお待ちください」
今日はいつもと違う若い男の子が受付をしていた。
「あ、水口さん!お待ちしてました。少々お待ちください」
いつもの調子で里中さんがそう言ってまた奥へ消えていった。恐らくこの美容室で里中さんが一番人気なんじゃないかと思う。予約一番取りにくいし…こんな忙しい時に予約してすみません、と心の中でつぶやいた。
10分ほど経って里中さんがもう一度やってきた。
「お待たせ、では奥へお願いします」
里中さんがそう言って案内してくれる。
「里中さんお忙しそうですね」
最初は人見知りを発動していた芽衣も今では少しぐらいは会話もできるようになっていた。
「ありがたいことにね。たくさんお客さん来てくれて嬉しい限りだよ」
里中さんはそう言ったが、なんだか疲れているように感じた。
本人を目の前にして言うことでもないので言わなかったが、次は里中さんじゃない人を指名するのもありかもしれない。なんだか申し訳ないような気がした。
「はい、今日はちょっと前髪作って、後ろは軽めにしたよ。これも可愛いね」
里中さんがそう言って鏡の私に笑いかけてくれる。自然と私も笑顔になった。
「次の予約はどうします?」
「えと、3が月後くらいで、担当はいつもの人以外にお願いしようかと…」
受付の男の子に節目がちにそう答えた。
「はい、承りました。ではこの辺りでどうですか?」
日にちを提案され、その中から次の予約をとった。いつもは2週間前くらいに電話予約をしていたが、なんだか担当を違う人に、と上手に言える自信がなかったのだ。
「それではまた、お待ちしてますね。」
受付の男の子にそう言われ扉を開けて外に出ようとした時、パッと手を掴まれた。咄嗟の出来事にびっくりして後ろを振り向くと、それは里中さんだった。本当にびっくりした。
「水口さん、なんで次の予約僕じゃないの?」
忙しい里中さんは芽衣の髪を切った後、次の予約のお客さんの相手をしていたはずでは?里中さんの質問よりも仕事大丈夫かな…という気持ちになってしまった。
「ねえ、聞いてる?」
質問に答えない芽衣にもう一度聞いてくる。表情がいつもの里中さんよりも固くて怒っているのかと思った。
「えと、里中さん忙しそうかと思って…」
こんなこと本人に言うものではないが、里中さんの迫力に嘘はつけなかった。1人担当の客が減ってしまうのもしかしたら里中さんのプライドを傷つけたのでは?もしかしたら査定に影響するのかもしれない…など里中さんの怒りうる理由を瞬時に自分の中で考えた。
すると、里中さんはため息をついた。
…やっぱりまずかったのか?芽衣は所在なさげに里中をみる。
「ねえ、僕はずっと水口さんの髪を切りたいよ。忙しいとかそんなの気にしないで。僕が切りたいんだ。だから次も僕に切らせてよ」
里中さんはそう言って芽衣の手を握った。とても本心で言ってくれていると感じた。やはり担当の客が減るのは困るのだ、と思った。
「はい、すみません勝手に。私も里中さんのカットとても気に入ってるので引き続き里中さんにお願いします」
勝手に担当を変えようとしたこと、なんだか申し訳なくなった。何よりこの美容室に通っているのは里中さんのカットが気に入ったからだった。
「もう、僕のカット気に入らないのかと思って焦っちゃった」
いつもの里中さんの柔らかい表情に戻っていた。
「はい、いえ、そんなことは全くないんです、変な誤解をさせてしまってほんとすみません」
「じゃあ、これから芽衣ちゃんって呼んでもいい?」
「はい、え、なんで!?」
里中さんは話の流れをぶった斬った。
「はいって言ったね。やった、じゃあこれから芽衣ちゃんって呼ばせてもらうね」
里中さんが笑顔でそう言った。否定もなんだかできなくてまあいいか…と思ったのといつもの里中さんの笑顔で嬉しくなったので私も笑顔を返した。それでは、と言ってお店を後にする。里中さん、仕事熱心だな…3ヶ月後のカットも楽しみだな。そんなことを思いながら芽衣は家路に着くのだった。
「里中さん、めっちゃわかりやすいっすね」
「だよね、俺めっちゃわかりやすいよね?でも伝わっている感はない」
「伝わってないと思いますけどどさくさに紛れて名前呼びを確約する里中さんすごいっす」
「…一歩前進かな?」




