ギターを弾こう
岸崎花を見かけたのは、ある日の放課後だった。
雨がふりだしそうな空の下で、帰宅するところだった僕は近くの楽器店のウインドウを眺めていた彼女を見つけた。
「あ……」
声を、かけるか迷った。
すごく楽しそうだったから。なにか思い出でもあるんだろうか。
「あの」
僕が一歩、二歩と近づこうとすると、彼女は急に振り向いた。
「なんだ、居たんだ」
「うん」
この前のことを謝ろう、と口を何度か開閉させたままの僕に構わず、彼女はウインドウを指して言った。
「やっぱり高いなぁー。見てこれ、60万だって」
「あ……うん」
視線の先には、真っ白いクラシックギターがあった。
ところどころに可愛らしい花と小鳥の絵があしらわれている。名前は外国のものだったけど、正直さっぱりわからない。
高そう、ということ以外。
「そういうの、好きなの?」
「……見てた、だけ」
えへへと、彼女は少し苦笑いする。
「まあ、どちらみち幽霊には関係がないからね」
そう、幽霊。
彼女は死んだんだ。
ずきっと痛む心と裏腹に彼女は楽しそうだった。
「そうだ! 今暇でしょ?」
「見ての通り、帰るトコです」
僕は、何かを言うタイミングをすっかり見失っていた。
けれど、今わざわざ、気分を暗くすべきかはわからなかった。
「いろいろ、あったけどどうせ、私はもう幽霊だからさ、いつまでもこの場所に居るよりかは優先してやりたいこと、考えていこうと思ったんだ。この身体だと、良いことも、あるんだよ」
彼女は、実に幸せそうにそう言った。
「ひとつ、聞いていいか」
居るような居ないような彼女にけれど中身のあるどこか確信の伴う質問を思い付いた。
なにも答えがなかったのを肯定ととる。
「自由に――なりたかったんじゃないか、それが、理由だろう」
彼女は、しばらく、黙った。
もしかして成仏したのかとも思ったが、まだ気配はあった。
「僕はあれから考えて、考えて、気がついたんだ。
自分の間違いにも。
周りの間違いも。
家も、学校も。
花が泣いて良い場所は、嫌われても、嫌なことを言っていい場所は無いようだったよ、
まるで重たすぎる執着が、幾重にも絡んでいて、
笑顔が当たり前のように強いられることにすら、妬まれているようだったよ」
「花の気持ちを、あれから考えてみたんだ。
学校から、帰る、このときまでたくさん考えた。
あんなダメな兄が居て、あんな友達ばかり居て、僕を含めて、みんなどっか、楽観していて、エリートは、ただ妬んでて――
重くて、重くて、重くて、
生き地獄のようだった」
「中に、入ろうよ!」
岸崎花は、楽しそうに笑った。崖に咲いたまま、誰からも認められず、波にさらわれても、誰からも救われない花のようだった。
「中に、入ろうよ!」
少し、くもの巣が肌に触れるような、さらっとした違和感が、僕の腕に伝わる。
彼女が腕をひいてるらしい。
「私ね、楽しいことがね、したかったんだ」
「楽しい、こと?」
「いやあーうち狭いから、楽器とか置けないんだよねー」
くるくると、はしゃぐように回る気配。僕は自然と店内へと足を進める。
その後、店員さんになんとか説明して飾られた60万をどうにかさわらせてもらった。
「弾いたことあるー?」
「音楽で少しやっただけだよ」
「私も!」
「あぁ、そう……」
「じゅっちゃんなんか弾いて、ほらほら!」
そっと触れると、びいーん、と思っていたより渋い音だった。
「確か、ミ、ラ、レ、ソ、シ、ミ……だっけ? ……えっと……」
としばらく葛藤した後、とりあえずカントリーロードを弾いておいた。
……あまりうまくなかった。
「わー! ぱちぱち!」
と花がはしゃいでいたが。
「すごいねー! 結構渋い音だねー! あははー!」
壊れたレコードみたいに、花は、ただ陽気だった。違和感がありあまって、こういうデフォルトだったかのようだ。
「次は、恋は水色がいいなー!」
けらけら笑い、僕の羞恥プレイを継続させようとする。
逃げたい。
なんでこんなことしてるんだろう、親指が、ヒリヒリとひきつってきた。
そう思うのに彼女は微塵も思わないのか、ずっとぱちぱち手を叩いている。
客自体そう混み合うわけでもないためなのか、暇なのか、店員さんものんびりと僕を眺め、珍しそうにしている。
60万なんか持ってないのに……いいんだろうか。
「いいよいいよー、若いもんが来るの久々だけん、ゆっくりしときー」
おじさんはおおらかだった。
「……ありがとうございます」
うろたえる僕だった。
あれ、えっと。
何が、何のコードだったっけ。 混乱した僕はそのまま立ち上がり、ギターを店員さんに渡しつつ頭を下げる。
あの、ぶしつけなお願いで誠に申し訳ないんですが、弾いてもらえませんか、というようなことを言ってみた。
「いいよー」
……なぜか、承諾されてしまった。
花は相変わらずぱちぱちと拍手していた。
……。
誰に対してもとりあえずそんな感じで接するやつのようだ。
愛想とはまた違う、評価は評価というか、感情は感情というか。それは、どこか妬ましくも不思議と、悪い気はしなかった。
二時間くらいがそのまま経過していた後で礼を言い、なんだかんだで店を出る。
「いやあ、幽霊なりに楽しかったなー」
「……楽しい?」
「うん! 生きてるって、感じ!」
――幽霊とデートしている。
不思議な感覚は、僕には、どう処理していいのか、まだどこか戸惑っていた。
「次は、どこ行こうかな!」
「はたから見たら、僕はどう見えるんだろうか」
「彼女にふられて一人寂しく街を徘徊する男?」
「うわ、ひど!」
追いかけようにも、姿がわからない。諦めると、花は、あははは!と楽しそうな笑い声をあげた。
「生きてる、私、生きてるよ! こんなに生きたの、初めて!
生きてるって、すごいね!」
――幽霊とデートしている。
生きているのは、すごいと、とても、幸せそうな幽霊。
「次はゲーセン行って、心霊プリクラね!」
「どんな罰ゲームなんだよ」
心霊プリクラを撮る運びとなって、驚いたことが、プリントシールの値段は、案外高いってことだった。
「普通は一人で撮らないからさ、こーいうの、ワリカンだったりして、一人100円とかで、気にならないんだよねー」
「今、気になるんですが」
一人で400、500円の消費か……
「だって、幽霊は、財布持てないもーん」
バカにしたように僕をからかう花だった。
「くっ……」
「どれにする? 落書きあるやつがいいな!」
ゲーセンに入ると、すぐの左隅のスペースに6台くらいの機械があり、それぞれ賑やかな音を立てていた。
「うーん。キラキラ姫か、partygalPAーTHIだとどっち派?」
「派とかないよ」
周りは女子ばかりだった。女子の遊びは謎だ。
「あ、見て、新しいスタンプ入ったってさ!」
垂れ幕?に確かにお笑い芸人のリアクションが実写でスタンプとなっているらしいのが宣伝されていた。
「私居なくてもお笑い芸人と撮れるじゃん! えっやめてよねー一人疎外感~」
「なんにも言ってないよ」
値段が手頃なやつでいいかと、そちらに向かおうとした、ときだった。
花の気配が、ぴたりと、停止したまま、動かないのに気がつく。
背後ではガヤガヤ、楽しい音楽が時間を急き立てているが、僕の感情は、背反し、どこか、浮わついて、空回っている。
「――花?」
「や……」
「あの、行かないの?」
「私、鏡に映らないんだったね」
「……」
「――私、私……」
「花」
「わたしって生きてるの?」
1月3日
じゅっちゃんに誘われてらーめんを食べてきました。
私のどこがいいんだろう。それはずっと、わかんない、ただ楽しかった。
また行きたいなぁ。
体力が落ちてる、歩こうかな、
あれから実は、ひとが前より怖くなってしまった。
苦しくて、生きてるの恥ずかしい。だから見られたくないなあとか。
自棄になったときだけは、楽しく歩けるのにな。
でも、慣れていかないとだめだよね。強くなりたい。
月 日
たまには夜のお散歩もいいな。
周りには誰もいない。
いないのに安心する。
月 日
眠くて起きられません。
とても眠いのと、なぜかとてもお腹がすく。
今は、一日四食。
五食のときもあった。
おなかがすくと動けないし眠いと動けないし。
なんでこんなに二大欲求がやたらくるのでしょうかね……
帰ったら、食べて、また食べてお風呂入って寝る……
おなかすいた……
月 日
4d0973212342318
に日記が見られていた。