岸崎花
生きたかった。
きみがすきなのは
ほんとうだよ
その日は、雪が降っているわけじゃない。
けれど桜の花びらが、まるでそれみたいだったから、少し足を止めて、それを両手で受け止めたりしていた。
綺麗だなぁ。
なんて乙女チックなことを思いながら、僕は別にそんなに乙女でもないのに。
いや、かといって、男らしいってこともないんだけど。なんていうのか、なにもかも曖昧に生きてきたものだから、自分がなんなのかもよく自覚してない。
ちなみに、浅海充祢、それが僕の名前なのだった。
ふわりと、肩につかないくらいの毛先の細い髪と、猫みたいに曲がり気味の背中。昔は小動物のようだと言われた。
「じゅっちゃん!」
背後から声。
が、したきがした。
「……」
居るわけが無い。
たまに起こる幻聴。ここに『あの子』は居ない。亡くなったんだから。
僕みたいに。僕以上に。
去年までいじめられていた、花という子が居た。それを庇っていた僕に、ある日待っていた現実。
それは、優秀な生徒であるいじめの犯人たちを見逃して欲しいといった先生からの懇願、それから当人たちからの嘲笑だったことは、今でもはっきり思い出せる。
「推薦を降りなきゃならなくなるなんて残酷だろ?」
学校の宣伝にもなるし、がついているのは、言わなくてもわかっていた。
――けれど、どうして?
怒りに震えた僕を止めたのは花で、彼女は困った顔をしながら、教師と当人たちに言った。
「私、もういいよ。済んだことだから」
彼女が学校を辞めたのは、その数日後だ。
なんでやめちゃったのだろう、そう思いながらもなかなか聞き出せずに居たある日、ごみを捨てに行った校舎の裏で会話が偶然聞こえてきた。
「あんときは推薦降りさせられるかと、ひやひやしたよ」
「大丈夫だよ、現に、そうだし」
「つーか、なんだろうな。たいしたことはしていないのに、大袈裟だったんじゃね?」
ぴたりと、壁に張り付いたようにしてそれを聞いていた。
内容がどうだったのかなどそりゃ僕にも判断出来ない、けれど、昔、目にした、花のあの怖がりようはなんだったのだろう?
そう思うと、ふつふつと違和感がふくれあがる部分もあったりする。
それに、花は死んだ。
辞めたときいた2日後。悲しい知らせが教室を満たした。
僕の靴箱に、
「ほんとはね、生きたい」
という名前いりのメモを残して。それは僕だけの秘密にしているし、先生にも誰にも告げてない。それに言ったところで、なんなのだろうか。
僕が守りたかったものは砂のお城みたいにあっさりと崩れて、みんなに水をかけられて、ただの砂になって、消えた。
「ほんとはね、生きたい」
――だけど、出来ないよ。
ずっと一緒だって、好きで居てくれるって言ってくれたから、僕は。
僕は、なんだっけ。
「花、なんで居なくなった? 本当は、何があった?」
木を見上げながら問いかけるという、無意味なことをする。
「なーにやってるの?」
背後から、声。
これ、は。
「充祢」
「あぁ壱染」
幻ではなく、クラスメイトの壱染 格。
背が高くて眼鏡をかけている。らしいのだが、僕は眼鏡をかける彼をなぜかほとんど見たことがない。
「こんな場所で黄昏てんですかー?」
にやにやしながら、おちょくってくる彼を気にせず、はははっと笑ってみる。
「うん。まあね。彼女を思い出していた」
「彼女?」
「花。昔居たんだ」
壱染は、少し前に転入してきたから、花について知らないはずだった。
けど、ああ、へえ、と、どこか挙動不審な対応が返ってくる。
「……知り合い?」
「花って人? うん」
知り合いだというのに、そりゃあ驚きはした。だがそれがそうならば、仕方がないだろう。
「そっか。じゃあ、死んじゃったのも」
「知っている。違うひとが生きるためだった、その代わりに死んだことにされたことも」
「え……」
ほんとはね、生きたかった。
あの文字が甦る。
でも、出来なかった。
それは別の誰かが生きるため?
どういう意味だ。
壱染は、失言だと思ったのだろう。
僕の顔色を見たとたんに、口を押さえて眉を下げて、困ったなという顔だった。
「な、なにか、知ってるなら!」
そいつの腕を掴むが、ひょい、とかわされてしまう。
それから笑顔のまま、壱染は突き放すように聞いた。
「お前も見殺しにしたんじゃないか、妹を」
妹?
「あぁ。双子の妹だよ。事情があって休学して、一度違うとこに編入していたんだ。でもクラスの様子が知りたいと思って、二年のときから、また通ってる」
「そう、だったんだ」
それは、とか、大変だったねとかは場違いな気がする。言葉を探した。
胸の中が、ぎゅうっとシワを寄せたように思える。苦しい。ヒリヒリした痛みがせりあがってきて倒れそうになる。
「僕は、守ろうとしたんだ。けど……ね」
視界が滲む。
「あぁ、そうか……花も別のものを守ろうとしたんだ。だから、居なくなったんだ」
優しい子だった。
少なくとも俺には優しかった。そう彼は言う
「ごめんなさい……」
ほんとはね、生きたかった。
崩れ落ちてしまいそうだ。花は、僕をどう思っていただろう。
守るものへの障壁?
それとも、嬉しいという感情も多少なりともあったのだろうか。
「なんで、身代わりになんかなるんだよ……!」
でも、それが、彼女が選んだこと。今更どうにもならないのに、勝手に涙が溢れてしまう。
「勝手に泣かないでくれ」
え?
と見上げると、冷めた目をした壱染が、まっすぐに僕を見ていた。
「泣いたって、どうにもならない」
そんなのは、僕にもわかっているから、悔しい。生きたかったなら生きろと言いたくて仕方ない。辺りでは、ひらりと花びらが溢れて舞っている。
「んな、の、わかってるんだよ!」
ああ、最悪。
クラスメイトに泣き顔を見られるなんて。
もしも、ネタにするタイプだったらどうしよう……
悶々と考えていたときだった。
「きみに、やるよ」
すっ、と、一枚の紙が渡される。それは展覧会の招待状。
「花が行きたがってたやつ」
「あ、っと。これペア」
「ああ。きみになら、話ができそうだからさ」
キンコンカンコン、とチャイムが鳴る。
急に日常の輪郭がはっきりしてくる。
今は放課後。
ここはグラウンドの隅。
「失恋を、慰めてやるよ」
「いやっ、あれは……!」
違うと言おうか迷った。格なりの、ジョークなのだろうか。
少し考えてから、ゆっくりそれを受けとる。
書いてある作者は、知らない名前だった。
本で読んだことがある。ひとは、知っているものを好きになる。
花は、なにか、この展覧会にある作品のような気分を、知っていたのだろうか。
(違わない、よな……)
認めたら、生き返るわけでもないのに。
「生きてくれれば、良かったんだ……」
マジかよ、ペアのチケットを貰ってしまった。
帰宅して部屋に直行し、ベッドに寝転んだり、布団をばふばふとしてから乙女かよ! と突っ込む。いや、乙女もしないかもしれないぞ。
こりゃむしろハムスターだ。しばらくテンションをあげていたが、ふと、水滴がシーツににじんでいたのを見た。
自分の両目から、熱を持っている。
「花……」
会いたい。
あいたい。
「はーいっ!」
……花
「そうですよん」
アニメじゃないんだから。
「はぁあーいっ! 見てる? いえーい」
え?
俯いてシーツに向けていた顔を、天井に向ける。
「久しぶりだよね、じゅっちゃん」
姿は見えないのに、明るい、天真爛漫な声が聞こえた。
「あぁ。ついに、おかしくなっちまった」
まあいいか。どうでも。
「私が幻聴だと思っているでしょ」
けらけら笑いながら、花の声みたいなのが言う。
「花、なのか」
「うんっ」
立ち上がり、ベッドの下を探す。「無いか、スピーカーかなんか!」
秘蔵本ばかり見つかる。
「スピーカーかなんか!」
がさがさと布団をめくる。ああっと、これは。
ずいぶん昔にやった雑誌の心理テスト特集だ。
真面目にチェック入れてる。
キャビネットを開ける。おおっとこれは。
ずいぶん昔にやってたゲームの攻略本だ。
「もう! 無いわよ!」
頭上から、頬を膨らませていそうな声。
「いや、だって……」
なんだこれは。
「姿は、無いのか」
「うーん。恥ずかしい。私、死んだときのままだからなあ」
「本当に」
「死んでる」
言葉がから回って、逆流して、息ができなくされそうだった。
「そ、うか」
「っていうかなんなの、部屋きたな」
「っるさいな!」
「あははは。じゅっちゃんは、いつも、すぐキレるー」
「キレてません」
ベッドに座りなおしながら、定番のことを思う。死んだ、でも、ここにいる、つまり。
「未練があるのか」
あるよな、そりゃあ。
「無いよ! 無いはず!」
なにか、隠してるみたいだった。言いたくないならいい。でも。
「ごめん、やっぱ幻聴にしか」
受け入れるのが怖い。
とにかく。目的や理由がわからないその声の主を、どうしていいかわからずそんなことを言ってしまう。
「幻じゃ、だめ?」
そう言われると。
どう返せばいいかわからない。
「あぁ! このチケット、お兄ちゃんとってくれたんだねぇ!」
ベッドに置いたままだった券を見つかったらしい。
「うふふふ、あいつと二人とか、デートかよ」
「僕は、花と行きたかった」
おどけてはしゃぐ声に、真っ直ぐに、言葉を落とす。しばらくの沈黙が、周囲をシンとさせた。
「花と、一緒に居たかった」
少し、泣きそう。
花も、少し震えた声で、それでも明るく言った。
「も、もー、なに言ってるの。 私は幽霊ちゃんだから、いつでも一緒にいられるぜ」
そんなことじゃないって、僕らは知ってるはずなんだ。なのに。
「そうだよな!」
何かを押し込めて、閉じ込めて、その場を、笑うほうを選んだ。
「いえいっ!」
と、無理にテンションをあげてる花が愛しくて、僕はそのまま、気づかないふりをして同じように明るく振る舞おうとおもった。
「なあ、花」
「なんじゃい」
「抱き締めたいのに、姿わかんないな」
「うわー、キザ! すごくキザイ」
「……ちょっと傷ついたぞ」
「やれやれ、手のかかる子だ。ぎゅーってしてあげるから、じっとしてな」
場が静かになった。
歩いてる?
それさえ、わかることが出来ない。
「えいっ!」
たぶん、抱きついたんだろう、少しして花がはしゃいだ。
「どーよ、幽霊の温もりは」
少し、蜘蛛の巣にひっかかったみたいな、ふわっとした違和感はある。
薄いレースの布が肌を掠めてるみたい。
これをどう表せばいいかわからない。
だけど、生きてる、感じじゃなかった。
「うん。あたたかい」
だけど。
とても空虚な気持ちになる。
なんて言えなくて、僕も触れたいのになと言った。
「え。やっだー! 変態」
とのことで。
それは彼女の気遣いだとわかるのには、鈍い僕は数時間を要した。