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140-4000

フシギのキのマチ

 小型端末で何でも調べられるこの世の中でただひとつ、街の中心にある大樹のことだけが検索しても出てこない。

 かつて知ることが出来なかった“この世での終わり”から“あの世での始まり”でさえ、つぶさにわかるようになったというのに――。


 その端末は、辞書や図鑑に特化した製品だった。世の中に存在する生物や植物にカメラのレンズを向ければ、たちまちその対象物の詳細を閲覧できる。未登録のものはすぐに学者に報告され、その詳細が解析されるや端末に情報が反映される。

 端末が発売されてすぐの頃、面白がって調べまくった人間が続出した結果、新種の生物や植物が星の数ほど見つかった。

 道端の雑草だって、端末に付いたカメラのレンズをかざせば人間が付けた学術上の名称が画面上に表示される。

 人間が足を踏み入れることができる場所に、人間が名前を付けていないものはもう存在しないと言われているのは、この時代に生きるものなら誰でも知っている有名な話だ。

 なのに、誰もが知っているこの街の中心にそびえ立つ大樹にレンズを向けると、画面にはこう表示される。


【NO DATA】


 紙の図鑑にも学術書にも、森羅万象の検索結果にすら書かれていないその樹のことを、私たちはこう呼んだ。


“不思議の樹”


 以前は樹のすぐ近くまで行けたと街の長老たちは言う。しかし、現在は樹や人の安全を考慮し、根元までは立ち入れないよう、柵が設けられている。

 その話はどちらも街の歴史書に史実として書かれている。しかしその歴史書には、樹がそこにあり、現在はもう近付けないということしか書かれていない。街ができる以前からあるようだが、種類や名称、その樹がもたらした恩恵などは一切書かれていない。

 とりまく環境のことはわかるが、その樹自体の詳細が一切わからないのだ。


 ある日の夕暮れ、大樹のそばを通りかかると誰かに呼ばれたような気がした。辺りを見回すが誰もいない。普段ならある程度の人通りがある時間なのに誰もいないとは珍しいと思いつつ、歩を進めようとしたところで、もう一度、誰かが言った。


 ――そこの人間――


 ふと見上げると、不思議の樹が夕焼けに照らされ穏やかに光っていた。自然と動いた足が柵を越え、樹の根元へ向かう――と、呑まれた。


 樹に、身体を、丸ごと。


 暗く、天地も左右もわからない空間で、しかし不安な気持ちは一切なく、むしろ居心地が良い。

 背後で雑踏が聞こえて振り向くと、そこには歴史書で見た“かつての街並み”が広がっていた。



 樹の足元や胴体、腕によじ登り遊ぶ子供たち。登るのに苦労している子供がいれば手助けしてやり、落ちそうな子供がいれば安全を確保する。

 樹には自我があり、意思があった。

 樹を慕い、集った人間たちがその周りに住居を構えた。樹が暖かく迎え入れたそれは集落から村へ、村から街へと発展を遂げる。

 誰もが樹を愛しみ、尊重し、保護し、そして人々は樹に保護されていた。樹は人間や動物たちと友好な関係を築き、程よい距離感で共存をしていたのだ。


 年月が経ち、子が親へ、親が祖へとなる頃、その街の権力者が欲に溺れた。


『あの樹を切って材木にしよう。それを使って空いた土地に家を建て、賃料を得る。そうすれば、財力と共に街はもっと繁栄する。この街を、都市にするのだ。』


 反対する人々の意見を聞こうともせず、その権力者は独断で自分の欲望を実現しようとした。

 樹の周りを囲い、重機を用いて樹にやいばを向ける。しかし、それが樹に触れることはなかった。

 生い茂った細かな枝葉が操縦者の視界を遮り、重機の侵略を阻んだのだ。

 別の角度に移動しても同じ現象が起きる。自分がかつて子供だったころ樹に助けられたことを忘れた操縦者は、気味悪がってその役目を放棄した。

 身勝手な怒りに震えた権力者は自ら重機に乗り込み、粗雑にレバーを押し引きして車体から伸びたアームを樹に振り下ろそうとする。しかしそれは実行されなかった。


 できなかった。


 権力者が胸を押さえ、操縦席で倒れたのだ。

 緊急で病院に運ばれ命に別状はなかったが、それ以降、樹をる計画が実行されることはなかった。

 権力者は元々心臓を患っており、急激な興奮状態が原因で発作を起こしたのだが、それを知らない住民たちの間に“樹を伐ろうとすると災厄が降りかかる”という噂が流れた。

 大人たちは樹を避け始め、子供らに近付いてはいけないと説く。

 噂を真に受けて街を出ていく者も現れ、権力者の思惑とは真逆に、街は衰退していった。

 それを悲しむように大樹は葉を落とし、泣き続けた。取り払われなかった囲いの中に、落ち葉が積もっていく。


 雨が降り、日が射し、雪が降り、風が吹き――。


 月日が流れたある日、樹木の医師と名乗る人物が街へやってきて、不思議の樹を診ると言った。どこからか樹の噂を聞きつけてきたらしい。

 ほとんどの葉が落ちてしまった樹に聴診器を当て、耳を澄ます。肌質や根元の視診、触診を終えると、医者は意気消沈した街の権力者に伝えた。


『この樹は人間同様に生きている。感情を持ち、幹や枝を動かす力を備えている。しかし、それを他言してはならない。人が恐れ、また伐ろうとする。街の下に張った樹の根は、この土地を支える基盤であり、人間でいう血管のようなもの。それがなくなればこの街は土地もろとも壊滅する。樹はそれをっていて、この街を守ったのだ。樹の傷を癒し、体力を回復させれば再びこの地は繁栄する。私が力添えすることも可能だから、希望するなら声をかけて欲しい』


 権力者は予言のようなその言葉を信じて、医師へ樹の復活を願う。

 医師は街に滞在し、樹の治療を始めた。一週間もすると葉が生い茂り、樹が元の姿に戻り始めた。

 それを確認すると同時に権力者は自らの病気を公表し、あの日倒れたのは“樹の呪い”が原因ではないと説いた。住みやすい街にするよう、いままで過負担となっていた税金を下げたり、環境の整備などに力を入れ、樹の傷を癒すことにも注力した。

 元の街に、樹に戻りつつあるという噂を聞きつけた、その地を離れて行った者や違う地に住んでいた者が移住を始め、街は徐々に活気を取り戻した。


 権力者は医師から聞いた樹の話を子孫へ口伝することにした。そしてその口伝は、子に街を引き継ぐとき、親から語り継がれることになった。



 そこまで見て、私は樹から吐き出された。

 いつの間にか囲いの外に立っていて、周囲にもいつもの雑踏が戻っていた。


 なるほど、だから私はまだ知らなかったのだ。


 樹が見せた一連の風景が、いまの私の状況を把握させた。 

 きっと来週、私はこの街のいまの権力者からその話を聞くだろう。


 私ももう、この樹を伐ろうとは思わない。そう決意して見上げた樹は、風と光を受け、優しく揺らめいた。



end

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