第89話【餓鬼の断壁と奈落への道行きその5】
先頭に立つ鏡猿の腹には、偉人と言われる巨匠の作品よりも、彫りが深い筋肉が映り込み、それを見ながら洗練されたポーズを、幾度となく繰り返すバルクスだが内心ビクビクしていた。
(多勢に無勢とは正にこの事だな……俺の筋肉だけでは、この愉快な猿軍団は倒せん。出来るだけ時間を稼ぐと同時にアイナさん達に知らさなければ!!)
無数の猿達は一人の人間に――――否、《《たった一人の》》漢に夢中だった。
波の如く押し寄せる群れが、我先にと見たいがために、仲間を手で押し退けたり、時には足で蹴り上げる者もいた。
攻撃を仕掛ける者や、石を投げて邪魔をしたり、横槍を出す者は一匹も居らず、只々珍しい来客に対して指を咥えて見ており、多対一で闘えぬバルクスは、全身全霊を持って必死に己がすべき事を全うした。
数分の披露会が終わると、流石に疲弊したバルクスは、大粒の汗と共に片膝を着き理解した――――猿だと思って侮っていた事を、今更ながら後悔していたのだ。
『この鋼のバルクスに片膝を着かせるとは――――ただの猿共ではないな!?』
連続での《ポージング》に加え、沢山の猿達に慣れないバルクスは、いつの間にか筋肉が身震いし息も絶え絶えになる中、群の中から幹部の一角である〝岩猿〟が目の前に立ちはだかる。
彫刻をも凌駕し、岩その物と言える程の体を、勝利の雄叫びにも似た、歓喜の声を高らかに上げながら存分に見せつけてきた。
そう――――まるで、『筋肉は、こうあるべきだ!!』と言わんばかりの立派な肉付きと、日々の食事から得られる限られた栄養分だけで、筋肉自慢さえ見惚れるほどの素晴らしい肉体だ。
疲満身創痍で小刻みに震える足、無限に溢れでるかの様に流れ出る汗は、想像以上に身体全体を〝疲労〟と言う形で染み渡っており、バルクス自身、猿でなかったら友達になりたいとさえ思えてしまう程に美しかった。
――――だが、ここで負ける訳にはいかない……道場へ置いてきた仲間の熱い魂が、日々費やされる栄養素達が、否――――己自身がそれを許さなかった。
震える身体を〝武者震い〟に変換し、立ち上がると同時に目の前の岩猿に向け、会心かつ渾身の姿勢を放つ。
『食らえ無も無き猿よ……漢バルクス、執念の思いを乗せた魂の構えを――――〝我一番成〟!!』
顔はやや左斜めに落とし、右人差し指を天に向け勢い良く突き上げ、左手は後方に回す。只それだけであり、至ってシンプルでとても特殊な技法は感じられなかった。
だが、今のバルクスにはそれで充分であり、アイナ三ヶ条の危険種と出会ったら逃げる事、分からぬ事は指図待てを堂々と破ってしまったが、魔力を使わず己が身一つで対等に戦うことが果たせ、それだけで今の心境は満たされた。
この日幾多の偶然が重った事により、バルクスの上空だけが綺麗な円上に開け、優しく降り注ぐ陽の光は、一人の漢を称えるように辺りを照らした。




