バサースト編 プロローグ
「ん…ぅんん……」
赤、青、緑、色とりどりの宝石のように輝く水晶が散らばり、この世ではないどこかの淡い世界で、一人の少女が眠りから覚めようとしていた。
一面の白い大地に横たわる少女には、周りの水晶から反射した光が優しく降り注いでいる。
「姉上、起きてください。姉上」
少女の周りには誰もいない。だが確かに、優しげで、少し困ったような男性の声がどこからか響いた。
「んんぅ…もう食べられないよぅ」
「………」
むにゃむにゃと身じろぎしながら、少女は幸せな夢を見ているようだ。姿の見えない声の主が無言になり、彼が呆れているのを気配だけで感じさせる。
「姉上、夢は終わりです。目覚める時がきたのです。さあ、目をお開けになってください」
「…すぅ……すぅ…」
どんな言葉にも、少女は起きる気配が全くない。
「…困った姉ですね。伝説の始まりには相応しくありませんが、致し方ありません。あれを使いましょう」
一瞬の静寂。
ほんの微かに弾んだ男の低い声が、いたずら心を感じさせた。
「あ、あんなところに特大のマシュマロが(棒)」
「…ましゅまろ!?」
ガバッ! と、今までの安らかな眠りがまるで嘘だったかのように、少女は体を起こす。
「あれ…ここは…?ましゅまろは…?」
少女はキョロキョロと、未だ寝ぼけた様子で辺りを見回した。
「おはようございます、姉上。そして申し訳ありません、マシュマロは嘘です」
「ウソ!? ひどい!」
眠りから覚醒した少女は、男の言葉通り、辺りに目当ての物がないことを確認した。手にしてもいないのに「うぅ、ひどい、ひどすぎるよ」と喪失感に暮れている。
「姉上がいつまでも起きないのがいけないのです。私が何度起こしても、お腹がいっぱい、もう食べられない、ごちそうがいっぱいなどと寝言を言うばかりで、一向に起きる気配がなかったのですから」
と、言いつつも若干申し訳なさそうな声色。
「そっかぁ…もしかして、たくさん声かけてくれた?」
十回くらい? と軽い気持ちで、首を傾げながら問いかける少女。
「ええ、もちろんです。十回ではなく、正確には一万八千七百五十九回ですが」
「思ったより多いの! ごめんね!」
「なんのこれしき。俗に言う朝飯前、というやつです。まあ時間に換算すると、モーニングコール一回あたり、息継ぎなどのインターバルを含めて約七秒、朝食どころか次の日の夕食前、というところでしょう、フフフ」
完全に常軌を逸している男は、不毛な大記録を自慢気に話しつつ、怪しげに微笑む。
「あ! この笑い方はシラユキくんだ!」
「正解です姉上、よくできました。ですが、いかに姿が見えないとは言え、願わくば最初の一言で判断していただきたかったところです」
「そういえば、なんで姿が見えないのー? シラユキくんに会いたいな」
どうやら男はシラユキという名前のようで、少女の言い様からは、かつては姿が見える形で言葉を交わしていたことが伺える。
「姉上ように無限の生命力を持たない私の身では、こうして精神のみをこの場に持ってくることが限界だったのです。私もできることなら、姉上の姿を直接お目にかかりたかった」
「そうなの…」
「ですが、私の身体は失われたわけではありません。長い時を要しますが、この世界の力を借りて元に戻る算段もついています」
「良かったの! また一緒に美味しいもの食べに行こうね!」
「食べていたのは、九割九分九厘、姉上だけだったと記憶していますが…ここは愚弟として、もちろんです、と答えておきましょうか、フフフ」
ぐてい…おいしいの? と、なにやら考え込んでいた少女だったが、やがて、ハンバーグ定食のおしゃれな呼び方かも! などと言いながら、おおよそ見当違いの結論に達し、スッキリ顔。
「ところで、ここはどこかなー? わたし、なんでこんなところで寝てたの? あれ…全然覚えてないや、えへへ」
今更過ぎる質問を、照れ笑いを浮かべながら話す少女に「さすが姉上、抜け目ない」と、意味のわからない言葉をシラユキが呟く。どうやら、彼の方からは少女の姿が見えているらしい。
「ここにきた理由については覚えていなくて当然でしょう。あなたは現世から隔たれた、この精霊界に辿り着く直前から現在まで、数百年にも及ぶ眠りについていたのですから」
「ひゃくねん…すごいの」
「姉上といえど、世界に仇なす者達との戦いで力を使いすぎたのでしょう。長い時が経ちましたが、ご安心下さい。人は繁栄を続けています。姉上が守り抜いた希望が次代に受け継がれ、脈々と息づいています」
そう、姉上のおかげで、フフフ。と、またも怪しげにシラユキが笑う。
「だんだん思い出してきたの。…でも、わたしを起こしたっていうことは、何か悪いことがおこってるの?」
「断言はできません。しかし、光有るところに影有り。言い換えるならば、ある種族の希望は、裏を返せば別の種族の絶望でもあります。刈り取ったはずでしたが、私も気づかぬところに種があったようです」
「そっかぁ…それじゃあ、わたしはまた行くんだね?」
「姉上のお望みのままに」
「シラユキくんは…?」
「私としてももちろん同行させていただきたい。…ですが今の私では不可能です。私などを必要としていただける姉上のお気持ちは大変嬉しく思いますが」
シラユキの言葉に、少女は残念そうな表情。
「しかし私への気遣いは無用です。姉上が現世に戻り次第、私は眠りにつく事にしますので。私にとっては、姉上との再会は直ぐですよ」
「…それじゃあ、お言葉に甘えて、行ってくるの!」
「そう言って下さると信じていました。この世界と現世を繋ぐ道は、姉上のすぐ傍に間も無く生まれます。より深く精霊を理解し、研鑽を積んだ術師がいるのでしょう。姉上が通れる程の大きな道は、今の現世ではその術師が紡いだ道のみです。新しい旅が、良きものになることを祈っています」
いってきます! と元気な声を上げて、少女は白い大地にぽっかりと空いた穴に飛び込んだ。




