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虚飾性アリス  作者: 鳴河千尋
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代行者

 広がる血の海。

暗いアスファルトを赤が侵略する。

きれいに真っ二つにされた男。

「復讐代行完了」

ネオンの明かりもない、路地裏で女性がぽつりと言った。


 暗闇でひと際目立つ明るい金髪、グレーのガウンコートに、白のタートルネック、そしてデニムといういで立ち。

返り血は不思議なことに、全く浴びていない。


「消去」

音もなく、最初から存在しなかったかのように、真っ二つの死体は消えた。

原初の無への回帰。

流転に逆らう動き。

「さて、帰ろうか」


 私には怒りを理解できない、憎しみも、妬みも、(そね)みも。

なにをそんなに怒っているんだろう。

どうしてそんなに人に嫉妬するんだろう。

そんなの体力の無駄遣いじゃないか。


 なのにみんな感情に振り回されて、本当にしたいこと、本質からかけ離れている。

快を追い求めることは正しいと思う。

でも、それの反対に位置する怒りをなぜ有する必要があるの?

負の感情をため込んだところで、どうなるっていうの?

復讐したからって、失った人やものは帰って来るの?


 失われたものはもう帰ってこない。

深く暗い井戸に投げ捨てられ、二度と引き上げられることはない。

そのことに慟哭し、悲嘆し、落涙することはわかる。

永遠に喪失したのだから。


 だからといって憎悪するのは無意味で無価値。

いったい彼らは、昇華という言葉を知らないのだろうか。


 私には到底理解できない。

生まれた時からずっと。

だからこんな復讐の代行をしている。


 どうして復讐をしたいのか。

復讐を果たして、当事者の心は晴れるのか。

そこに快楽はあるのか。

何回も、何十回も、こんなことを繰り返していれば、いずれ理解できるかもしれない。


 たとえ海溝で光を求めるような行為だと言われても、私は続けていく。

誰かの復讐心を借りて、借り物の憎悪で、他人を処することしかわからない。

私は空の器、復讐するマリオネット。


******


 まどろみの海からの浮上。

私は目を覚ました。

重くどろどろしたまどろみを振り払い、花柄の掛布団を上げる。


「まだねむいよ……」

寒そうに身体を丸めるねこうさぎ。

耳も尻尾も折り畳み、さながら球体みたいになっている。


 猫のスリッパを履き、白い球体を抱きかかえる。

「やだやだ!」

暴れるねこうさぎ。

私の腕から抜け出そうとする。


「朝ごはん食べよ? ね?」

耳の付け根をなでなでしてあげる。

白いふわふわの毛並みが、温もりとともに、じんわりと肌を通して伝わる。

「もきゅー」

目を細めて、ご満悦な様子。


 ねこうさぎを抱えて、いつもの部屋に行く。

扉を開くと、鼻腔をくすぐる、香ばしい焼けた食パンの匂い。

「おはよう」

セナさんがテーブルに朝食を用意しながら言った。

対角線上に等分された食パンに、トマトとレタスと目玉焼きを挟んだサンドイッチが、テーブルに並んでいる。


 ソファーには先に、レナさんが着席している。

彼女はスマホを触っている。

「最近、行方不明事件がこのあたりでまた頻発してるみたい」

「ふーん」

特に興味のなさそうな、気の抜けた返事。

3人分のナイフとフォークを持ってきたセナさんが言った。


「ねこうさちゃんもいる?」

ナイフとフォークをねこうさぎに見せる。

「手で食べるの」

サンドイッチを乗せたお皿を、床に置いた。

「いただきます!」


 ふにふにの肉球で、器用にサンドイッチを持ち、口に運んだ。

「おいしい!」

サンドイッチがどんどん小さくなっていく。

可食面積の加速度的減少。


「にゃーっ!」

けたたましいねこうさぎの声。

「静かに食べることもできないのか!」

レナさんの一喝。

「半熟の黄身が飛び出したの」

前足と口の周りを黄色くしたねこうさぎが、こちらを見ている。

今にも泣きだしそうな目で、視線を私たちに送る。


「あーあー、拭いてあげるね」

セナさんがキッチンから持ってきたフキンで、ねこうさぎの顔と口をごしごしと拭き始めた。

ねこうさぎは非常に不機嫌そうに、目を細めている。


「こうなるから、ナイフとフォークを勧められたのに、次からは気をつけな」

レナさんが、ナイフでサンドイッチを小さく切り分け、口に運んでいる。

口調の荒い彼女のイメージからしたら、意外な食べ方をしている。


「そういえば、さっき言ってた行方不明事件に、魔術師は関わってるの?」

「さあ? こっちでわかれば動けばいいし、本部の要請があれば、それからでもいいし」

数瞬考え込んだ後、セナさんは言った。

「それもそうだね」


******


 うちっぱなしのコンクリートのビルの一室。

不似合いな木製のテーブルに、同じく木製の椅子が2つ。

そこに男女が向かい合って座っている。


「依頼、ですか?」

薄い茶色の(まなこ)で相手を見つめる。

疑り深そうに、鋭い眼光を送る。

疑念の刃は、男に突き付けられた。


 視線の先には、グレーのロングコートをかけた椅子に腰かけた、スキンヘッドの壮年の男がいる。

眉間のしわは深く、口元を緩めておきながら、それでも何か恐ろしさを感じる。

着ているスーツからは、得体のしれない重圧を否が応でも、相手に与えている。



「そうです。どうしても報復したい人がいるのです」

テーブルに1枚の写真を置いた。

モロッコのフェズにあるブー・ジュルード門の前で、男女2人ずつ、計4人が映った写真。

「この女を始末して欲しい」


男は指をさした。

茶髪で毛先をカールさせた女性。

「名前は?」

「安達セナ。協会所属の魔術師だ。日本の支部にいる」


 訝しむような目つきで男をにらんだ。

「そこまで知っておきながらなぜ自分で処分しないのです? あなたも魔術師なのでは?」

「ええ、協会の代行官、クレイグ・ハックマン。英語のわかる野良の魔術師がいると聞いて、伊藤アイリ、貴女に依頼した」


 協会の所属していない魔術師を野良と呼ぶ。

大抵は協会と衝突して出て行った者や、一匹狼で組織に馴染まない者たちだ。


 代行官とは支部に所属せず、本部からの命令で、各地で命じられた任をこなす。

その存在意義は、支部の現地での専横を阻止するためで、支部と仕事が被って衝突することもある。


「協会の人間である以上、直接手を下せないということですね。なぜ殺したいのです?」

数瞬の間。

声の残響が鳴りやんだ。

「彼女を殺された。任務のためにな」

「女々しい男ね。いつまでも失われた存在に固執するなんて、執着の無駄遣いでしかないです」


 残酷な反論が、うすら寒い部屋にこだまする。

「器の分際で黙れ。知っているんだ、怒りや憎しみを理解できない。だから他人の復讐心を借りてこんなことをしている。他人を通してしか、怒ることもできない」

「そうですね。わかってる……。依頼は引き受けます」

「日本支部の場所を教えておく」

ハックマンはアイリに住所を伝えた。

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