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決断

 三日間、連絡はなかった。

 その間、僕に感情の浮き沈みはなかった。じめじめとした夏の不快な暑さも、店長の鬱陶しい愚痴も、テレビのお笑い番組も、どれも僕の感情を揺さぶることはなかった。


 あの日から本当に、感情を忘れてしまったみたいだった。


 ふと、机の上に置いてあるCDに目をやる。

 彼女が高校の頃から好きなバンドの最新アルバムだ。彼女の影響で僕も好きになったバンド。

 パソコンを開き、音楽をかける。最新曲ではなく、高校時代に彼女がいい曲だからと聞かせてくれた曲。


 ―――――フラッシュバックする。


 誰もいない教室。まだまだ沈む気配のない太陽。夏休み前の短縮授業。一緒に食べた弁当。部活が始まるまでのわずかな時間。

 まだ付き合う前の、あの時間―――――。


 それだけでもう、胸が締め付けられた。


 彼女がいるから、僕は感情を持てるのかもしれない。

 彼女がいないなら、僕は何もできないのかもしれない。


 本当に、僕はダメな奴だった。


 四日目の夜、彼女からメールが届いた。

 嬉しさ半分、怖さ半分だった。入学試験の合否を見るかのように、恐る恐るメールを開く。


 『連絡しないように我慢してたけど、やっぱり無理だった』


 その文面を見た時、僕は歓喜した。

 彼女はまだ僕を想ってくれている、と思った。

 返信画面で返事を打っていると、彼女から続けてメールが届いた。文字を打つのをやめ、メールを開く。


 『このまま終わるのは、なんか嫌だったから』


 ―――――?

 ……終わる?


 嫌な予感がした。が、捉え方によっては、まだ望みはある気がした。

 急いで返事を打つ。


『今、電話できる?』


 送信したあと、彼女が確認するまでのタイムラグがある。

 数秒か数十秒か、その時間がものすごく重く、長く感じた。

 携帯が鳴り、電話をとる。


「もしもし」

「………」


 彼女は無言のままだった。


「電話、大丈夫?」

「……うん」


 鼻をすする声。彼女はすでに泣いていた。

 僕は単刀直入に聞いた。


「あのさ……、終わるって、どういうこと?」


 優しく聞くつもりがうまく言えなかった。彼女を問い詰めるような、そんな言い方になってしまった。


「……連絡するのをやめてさ、色々考えたの」


 少しだけ、彼女の声は震えていた。


「私もね、あなたのやりたいことを応援してあげたいよ。昔から知っているから。今も一生懸命なのを見てるから。それがうまくいけばいいなって思うよ」


 彼女は鼻をすすりながら、振り絞るように話す。

 僕はただ、うん、と返事することしかできなかった。


「でもね、うまくいってもね、私は不安なの。そのまま何十年もうまくいくとは思えないの。そんなに現実は甘くないし、不安定な未来が怖い」

「……うん」

「だから、安定した仕事を探して、バンドもやめなくてもいいから趣味で続けてほしいと思ってたけど、あなたはやると決めたら一直線なのを知ってるから、それは無理なんだなって思った」

「………」

「今のままじゃ、あなたとはこの先も一緒に……なれない」


 電話の向こうで、携帯を放り出して、彼女が泣いているのがわかった。


 そんな選択を彼女にさせてしまった。自分のわがままで。

 自分だけ好きな事をやって、彼女の望みを叶えられないなんて。


 それでも、僕の出した答えも伝えなきゃいけないと思った。

 電話が少し静かになったのを見計らって、声をかける。


「もしもし」

「……うん」

「僕がバンドをやっている以上、君を幸せにはできないってことだよね」

「……うん」

「僕が安定した仕事につけば、一緒にいられるんだよね」

「……うん」

「そう……だよね」


 少し、言葉が詰まった。声が震える。


「……ごめん。まだ、バンドをやめるわけにはいかない。途中で投げ出すこともできないし、もう少し続けたいと思ってる。ムシのいい話かもしれないけど、バンドも頑張りたいし、君を幸せにしたいと思ってる」


 彼女はせきを切ったように言った。


「無理だよ。もう私たち二十五歳だよ。今はまだそれでいいかもしれないけど、二年後、三年後にはもういい大人だよ。結婚だってしたいし、その為に準備する期間だってあるんだよ。……もう待てないよ。不安な思いするのはもう嫌だよ」


 その言葉は痛いくらいに胸を締め付けた。


 鈍く、ゆっくりと、心臓を握られたように。


 結論は出ていたのだ。ずっと前から。バンドをやっている限り、彼女は幸せにはなれない。

 結局、自分のことばっかりだった。どちらも欲しいなんて、ムシが良すぎた。


 彼女は僕といると、不幸になるのかもしれない。

 僕が彼女の幸せを、奪っているのかもしれない。


 僕がいるから、彼女は辛くなる。

 僕がいなければ、彼女は楽になる、のだろうか。


「僕と一緒にいると、辛い?」

「………」


 彼女は答えない。


「僕がいなければ、楽?」

「……そういうわけじゃない」


 彼女は嗚咽まじりに声を出す。


「一緒に居たいから、こんなに辛いし悩むんだよ……」


 本当にバカだ、僕は。こんなに僕のことを想う人を悲しませるなんて。

 いつも僕は、大事なものを見落とす。一番近くにあるのに、何も見えていない。


 電話の奥で、彼女は泣く。僕の細い目にも、涙が溜まっていた。

 長い沈黙の後、決断する。


 こんなことは言いたくないけれど、僕にはこれしかなかった。


「もう、終わりにしようか」


 君を幸せにできるのは、僕じゃなかった。

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