喪失
別々の生活が始まって二カ月。毎日メールや電話を交わし、週末の会える日は会って、という日々が続いた。
なかなか会えないというのは、やはりこれまでと違って明らかに喪失感があった。その分、会えた時の楽しさも倍増なのだが、別れ際の悲しみもそれに比例するように大きなものだった。
それに加え、彼女は慣れない社会人生活、僕も大学三年になり、夏以降から徐々に就職活動が始まるという時期で、互いに将来を考えなくてはならない時期でもあった。
将来、夢、未来。
小さい頃の夢は、サッカー選手。ずっと憧れていて毎日のようにボールを蹴っていた。しかし、小、中学校ではサッカー部はなかった。その時点でサッカー選手にはなれないのだと子どもながらに悟った。
高校に入って、ギターを始めた。歌うのは好きだったから友達にアコースティックギターを借りて練習した。文化祭でバンドをやろうと言うことになったが、メンバーが集まらなかったために志半ばで解散した。バイトして自分のエレキギターまで買ったのに。
そういえば、何をやっても続かなかった。一生懸命何かに打ち込んでも、結局はなし崩し的に終わってしまった。
たぶん一番続いているのは、彼女のことだ。初めてできた彼女。一番大事な彼女。
けど、なんだろう。
働いて、一緒になって、家族になって、そんな幸せを、そんな未来を、僕は望んでいたのかな。
それが、僕の願っていた未来なのかな。
僕と一緒にいて、彼女は幸せなんだろうか。
ある日、大学の友達からバンドに誘われた。
ライブハウスでイベントをするから歌ってくれないか、とのことだった。
自分の歌を評価してくれたことは素直に嬉しかった。が、大学三年になって初めてバンドをやることに少し迷った。そのことを彼女に相談してみた。
「ふーん。やってみれば」
と素っ気ない反応だった。また途中でダメになるんだよ、という意味も含まれていたと思う。高校の時のことも彼女は良く知っている。僕がどれだけバンドに本気になっていたということも。
結局、彼女の反応を気にすることもなく、僕はバンド練習にのめり込んでいった。
講義が終わればスタジオで練習、その後、ファミレスでミーティングをして、夜中に帰る。そんな遅くやってきた青春みたいな日々を過ごし、月日は流れていった。
そのことで彼女ともめることもあった。彼女が働いている間に自分は遊んでるとか、遊ぶ予定を立てていたのにバンドを優先しているとか、そんな感じ。ライブが終わるまでの辛抱だからと言っても聞いてくれない。
自分だって友達と女子会だからって予定をずらすことがあるのに、と思いつつも怒れない。約束だから。彼女も、あれから嫌いだとは一言も言ってない。
その約束があるから、例えケンカをしても二人は大丈夫だと思えた。
十一月のライブ当日、彼女も友達と一緒に見に来てくれた。二百人規模の小さなライブハウスだが、イベントの盛り上がりは上々、初ライブにしては思いのほか好評だった。僕の出来はともかく、メンバーは経験者だったため、慣れたライブ運びだったようだ。
ライブ後、彼女の元へ真っ先に駆け寄る。小さい身長で頑張って背伸びをして見ようとしている姿はステージからもちゃんと見えていた。
「ライブ、どうだった?」
「まぁまぁ」
相変わらず素直には褒めてくれないみたいだ。
「そうですか」
「友達は良かったって言ってたよ」
「そういうのはだいたいお世辞だな」
「ふふ、まぁ、盛り上がってたし良かったじゃん」
「そうだね。安心したよ」
「ほんとに楽しそうだったね」
「うん。楽しかった」
「そう」
暗がりであまり良く見えていなかったが、彼女は微笑んでいた。
それを見て少しだけ安堵した。これまでのこと、許してくれたのかなとそう思った。
その後、彼女と友達はそのまま車で帰って行った。会社までの通勤に必要だからと親が就職祝いで買ってくれたらしい。事故を起こさないか心配だったが、毎日運転しているのでそれなりに上達したようだった。とはいえ、慣れてきた時期が一番危ない。なので、会社の行きと帰りには必ずメールを打つように言ってある。
もはや、僕にとってメールは生存確認ツールでもあるのだ。そのため、連絡が来ない時は胃が痛くなるくらい心配になる。
実に、過保護である。
そんな調子でライブの打ち上げに参加した。車で二時間もあれば地元に着く。空いていれば一時間半。時間を気にしつつ、携帯をちらちら、酒も飲まないから個人的には全然盛り上がらない打ち上げになった。
そんな中、対バンの先輩に声をかけられ、次にやるイベントにも出てくれないか?という話だった。メンバーも気を良くし、二つ返事で承諾した。正直戸惑ったが、またステージに立てるんだとワクワクしている自分がいた。
しばらくして、彼女からメールが届いた。無事に着いたようだった。
僕は打ち上げを抜けだし、彼女に電話をかけた。またイベントに誘われた喜びを報告しようと思った。
「もしもし」
「もしもし、運転お疲れ。無事でよかった」
「だから大丈夫だって。心配し過ぎ」
「そりゃ心配だよ。居眠り運転しそうだし」
「あー、確かに途中やばかったけどね」
「ほら」
「ばれてたか」
「何年一緒にいると思ってるんだよ。お見通しだよ」
「目、細いのに?」
「目は関係ない」
「ふふ」
なんかこういう会話、久しぶりだ。やっぱり楽しい。
「あ、それでさ、バンドの先輩に次のイベントにも出てくれって言われてさ、出ることになった」
「……え」
その瞬間、何かが違った。僕は何かを間違えた。
「え、って。いや、凄くない?結構評価してくれててさ」
「……知らない」
電話はそこで終了した。
寒空の下、薄暗い、車一台通れるくらいの細い道で、僕は呆然と立ち尽くす。
すぐそこの大通りでは車がエンジン音と共に行きかい、歩道を歩く人々は群れをなして肩を組んだりして騒いでいた。
もう一度、電話をかけ直す。
―――――出ない。
リダイヤル。
―――――出ない。
もう一度。
―――――『電話に出ることができません』というアナウンスが聞こえた。
全てを失ったような、そんな気がした。