特別
僕は下を向いて歩くのが癖だ。常にぼーっとしているから、色んなものを見落とす。
隣を歩く彼女が言う。
「今の人、芸能人の○○に似てない?」
「見てなかった」
「目が細いから?」
「うっさい。違うよ」
彼女は笑う。楽しそうに。
僕の目をからかう、お決まりのパターンだった。
下を向くのはそのせいだ。昔から、人と顔を見合わせることに抵抗を感じていた。
それでも、彼女はそんな僕の目を好きだと言ってくれた。
「パッチリ二重より、切れ長細目のほうがいい」
自分のコンプレックスを認めてもらえるのが、こんなにも嬉しい事だったとは思わなかった。
「女子はみんなパッチリ二重のイケメンが好きなんだと思ってた」
「普通はそうかもね。私はイケメン過ぎるのはなんかダメなんだ」
「……遠まわしに僕はイケメンじゃないと言われてる気がするんだけど」
「ふふっ、イケメンだよ。雰囲気だけ」
また、からかうように彼女は笑う。
そんな何でもない冗談を言える時間は、僕にとってとても幸福な時間だった。
高校一年の時、隣の席になった彼女と仲良くなった。
目のせいで人と関わる事に消極的だった僕は、部活の仲間以外にクラスで友達と呼べる人は少なかった。
それでも彼女は話しかけてくれた。付き合ったあとに何で話しかけてくれたのかと尋ねると、「なんか猫みたいで、かまいたくなった」ということらしい。
・・・×・・・×・・・
告白は自分からだった。高校二年の九月、三連休の初日に映画に誘った。電車で二時間の都会に出て、映画を見て、ご飯を食べて、買い物をして、自分でもうぬぼれてしまうくらいにいい雰囲気だった。
言わなくても、彼女にはわかっている気がした。僕の気持ちが。
反対に、彼女の気持ちも、僕にはわかっている気がした。
言うタイミングは何度かあった。映画を見た後、感動して鼻をすする彼女が、なんとも愛おしく、その勢いのまま言おうと思った。
でも、ダメだった。
覚悟が足りなかった。振られたらどうしようと、怖気づいたのだ。我ながら情けない男だった。
結局、大事なところで黙ってしまった僕は、その後のチャンスも何も言えないまま、帰りの電車に揺られていた。時折、二人の間には沈黙が流れた。一言二言話しては無言、また少し話をしては無言、の繰り返し。電車に揺られて一時間半、彼女の最寄り駅に到着した。
そこで僕も一緒に降りて次の電車を待つことにした。次の電車は一時間後。さすが田舎。普段なら不便極まりないのだが、この時ばかりはその猶予がありがたく感じた。
九月の後半ともなれば、もう夏も終わりだ。陽も短くなってきて、辺りはすっかり暗くなっている。
山を切り開いてレールを敷いたようにぽつんとある駅。ホームに一本しかない街灯の下には四人掛けのベンチがあり、二人でそこに座った。
ひぐらしの鳴く声がよく響いていた。駅に人の姿はなく、世界に二人だけみたいだと、さっき見た映画を思い出す。そんな台詞、恥ずかしくて言えるわけがない。
沈黙は続いた。嫌ではなかった。むしろ、心地いいとさえ感じていた。それと同時に、この幸福な時間がやがて終わるのだと実感し、寂しさが胸を締め付けた。
時計を見ると、次の電車まであと十分ほどになっていた。
迫りくる時間が僕を追い詰めた。もう、逃げ場はなかった。
言わない、という選択肢はもうない。どうしても、この幸福を手放したくなかった。
この時間を終わらせたくなかった。
今まで生きてきた中で、一番の勇気をだしたかもしれない。これで世界が終わったとしても、悔いはないと思えるくらいに。
「あの、ちょっと、言いたいことがあるんだけど、いいですか」
僕は俯いたまま、話かける。
左隣に座る彼女がこちらを向いたのがわかった。
「いいよ」
その声に反応し、僕は顔をあげる。面と向かって言わなきゃいけないと思った。
彼女の顔を見る。僕とは違って大きい目、風に揺れるショートヘアの髪。それだけ確認して、また目を逸らした。せっかく勇気を出したのにまたくじけた。勇気ってのはそんなに持続性があるものじゃないらしい。
「あー、その、なんというか、その……」
ここであるピンチに気付いた。そういえば告白の言葉、考えてなかった。
気の効いた告白とか、女子が喜ぶ告白の仕方とか、ロマンチックな演出とか、そういうのがあったほうがいいんじゃないかと、この期に及んで悩んでしまった。
恋愛映画なんて見たからか、二人きりという雰囲気に流されてか、どちらのせいでもあったかもしれない。
このままグダグダと言えないまま終わるシーンが浮かんだ。そして、昼間の後悔を思い出す。
―――――よかった。
僕の勇気は、まだ尽きてはいなかった。
深呼吸をして、穏やかに言う。
「……ずっと好きでした。付き合ってください」
彼女は照れくさそうに俯いて答える。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
ありきたりな言葉で、何の変哲もない駅のホームで、僕らは、お互いの特別になった。