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邪神封印記  作者: 零度
2/5

彼は如何にして少女の毒殺を諦めたか

 そもそも、誰かを封印して無力化するなどという都合のいいものは無い。

 耳の早いことで、予言の噂はもう国中に広まっていたが、彼らが言うような「銀の鎖で体を縛りつける」とか「祈祷によって清められた水をふりかける」とか、そんなもので済む話であれば誰も苦労などしないのだ。

 もしこれが、失敗した料理や割ってしまった花瓶などであれば、見えぬ場所に隠してそれ自体を無かったことにもできるであろうが、世界の終焉の根源を封じろと言われても、わかりましたやってみましょうと引き受ける者などいるはずもなく。

 ドレビスが途方に暮れていることは、小屋の中で彼の周りに散乱している銀の鎖や、水で濡れた床を見れば明らかであった。

 彼は、これまでもいろいろな面倒事を押し付けられて生きてきたが、今回の一件は極めて理不尽と言えた。


 ドレビスが魔術師と呼ばれるようになったのは、身に着けている年季の入ったローブのせいではない。

 彼はもともと学者を目指していた。そのために、本を読んで知識を得ることには努力を惜しまなかった。そのうち、本人の温厚な性格もあってか、彼の知識を頼って相談に来る人が増えていった。

 野菜が傷みやすくて困るとか、最近腰が痛いとか、異性に告白したいがどうすればいいかわからないとか。

 気付けば、どんな悩み事もたちまち解決してくれる魔術師のような男として、ドレビスの名は広く知られるようになっていた。

 人々にとっては、訳の分からない問題を、訳の分からない方法で解決すれば、それは魔術なのだ。そもそも、魔術とはそういったものだ。

 物事には必ず理由があり、理屈がある。それを訳も分からずに魔術などという呼び名でひとまとめにしてしまうから、訳の分からないことになる。

 ドレビスがいくら掌に力を込めても火は出ないし、物が浮いたりもしない。ただ、人より少しだけ物を知っているというだけの話であった。


 一方、ドレビスを当惑させているその少女はといえば、小屋の周りに生えている木をいくらか食ってしまったこと以外は、特にこれといった被害も出さずにおとなしくしている様子だった。

 だが、普通の少女ではないことは明らかだった。無論、角が生えた青白い少女などいるはずがないのだが、彼女が貪り食った木は本人の体積を遥かに上回っており、そのうえ腹が少しも膨れていない。食った物はどこに消えた。

 どうやら、食べ物を与えると、その自然破壊行為は少しの間だけ収まるらしい。さもなければ延々と木を食い続ける可能性もある。そのため、ドレビスの食事は少しだけ寂しいものになっていた。

 世界中のあらゆる木を食べ尽くす。かなりの迷惑行為には違いないが、それが予言に示された世界の終わりなのだろうか。なんだかぱっとしないものだ。


 春の陽気に当てられてか、床掃除で疲れてしまったのか、ドレビスが椅子に腰掛けてうとうとしていると、外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 ドレビスがドアを開けきる前に、訪問者のテリオンは勝手に喋りだした。

 「いやはや、大変なことになったものですなあ。私も力になれればと思いましてね、また歩いて来ましたよ」

 誰のせいで大変な目に遭っていると思っているのだ、などと口にするドレビスではない。例によって力のない返事を返すと、テリオンも急に小声になった。

 「これは極秘でお願いしますよ。これなんですがね、これ」

 その手には小瓶が一つ。中に紫色の液体が入っているのが見える。毒ですよ毒、とテリオンが言った。

 ドレビスは何かを察した様子で、ううん、と唸った。

 要するに、これで殺せということだろう。だったら最初から自分でやれという話になるのだが、彼らは本気で、この老人が邪神を時空の彼方かどこかに追放してくれるものだと信じていたらしい。

 罪の意識があるのか、普段は陽気なこの男も、今回は少しだけ元気がないように見えた。

 どうやら一人で歩いて来たらしいテリオンの、寂しげな後ろ姿を小屋の前で見送ると、老人はまた途方に暮れてしまった。


 仮にこの少女が本当に邪神とやらであったとしても、それを人間の都合で殺すことが果たして正しい選択なのだろうか。

 確かに、人間は害獣を駆除したり、家畜を屠殺したり、植物を刈り取って食ったりもする。ある意味、いたずらに命を奪う行為と言えるかもしれない。しかしそれも、他の生き物に比べて、ただ少しばかり贅沢を覚えてしまったというだけではないだろうか。

 だが、その対象が人の形をしているものなら、途端に罪の意識が生まれてしまう。いやいやそれこそが人間の罪深さだ、などと小難しいことをのたまっている場合ではない。下手をすれば殺人だ。

 ドレビスは椅子に腰掛け、テーブルにかじりついている少女をぼんやりと眺めていた。

 気がつけばもうすぐ日が暮れる時間だ。夕食には少し早いが、もたもたしているとまた山が荒らされてしまう。

 気だるそうに立ち上がったドレビスは、食材の積まれた棚に向かおうとして、ぴたりと足を止めた。そして、懐から小瓶を取り出した。中には、やはり毒としか思えない色をした液体が、老人の手の震えに合わせて小さく揺れていた。

 

 小屋の外に出たドレビスは、裏手に生えている木の前に立っていた。

 この小屋はもともと木に囲まれていたのだが、邪神の侵攻によって左右の木々は無残に食い荒らされてしまい、おかげで少しだけ日当たりがよくなった。

 このままでは、周囲をぐるりと伐採されてしまうだろう。見晴らしが良くなるのはいいのだが、一帯を荒れ地に変えられては困る。木は草と違って簡単に生えてくるものではないのだ。

 老人は木の表面を覗き込んだ。木の皮の割れ目から、細かい虫が無数に出入りしているのが見える。

 森に虫がいるのは当たり前なのだが、小さいものは小屋の中まで入り込んできたりするので、迷惑といえば迷惑な存在だ。少し殺したところで問題はあるまい。

 これも人のためだ、諦めてくれ。

 ドレビスは手にしている小瓶の蓋を慎重に開けると、木に向かって中身を振りかけた。瓶が空になると、老人は毒を吸い込まないよう、少し離れて木を眺めた。

 普段から本を読んでいるせいか、小さいものを見るのは得意だった。目を凝らすと、虫が死んでいるのがすぐにわかった。本物の毒薬なのだろう。老人は、空になった瓶を片手に小屋の中に戻っていった。

 

 木に住み着いた害虫を駆除するくらい、大した問題はなかろう。ましてや、ここは誰も寄り付かないような山奥だ。少し強めの毒を使ったところで、それをわざわざ口に入れるような真似をする者はいない。もしそんなことが起きたなら、それはただの事故だ。

 そう、事故なのだ。

 ドレビスは、テーブルの上に居座っている少女と目を合わさぬよう、後ろめたそうに下を向いたまま夕食を取り終え、そのまますぐに寝た。

 

 早朝。

 目が覚めたドレビスは、小屋の中を見渡した。

 誰もいない。

 終わったのだろうか。ドレビスは疲れきったような声で溜息をついた。

 仕方のないこととはいえ、一度も口をきかず、名前も知らないあの少女が、わけもわからず外で野垂れ死んでいるとなれば、良心の呵責もあるだろう。

 溜息ついでに、床に置いてある鉢植えに目を落とした。毎日欠かさず水をやっている、お気に入りの白い花が咲いている……はずだった。

 花は枯れていた。昨日までは、白い花びらを四方に伸ばすように元気に咲いていたのだが、すっかりしぼんでいて焼け焦げたような茶色に変わっている。

 嫌な予感がした。


 急いで外に出たドレビスは、真っ直ぐに小屋の裏手へ向かった。毒を撒いたあの場所だ。

 思惑通り、その木は食い尽くされ、根もとの部分だけが切り株のように残っている。

 そのすぐそばには、倒れた少女の姿が。

 恐る恐る近づこうとしたドレビスが、異変に気づいて固まった。

 草が枯れている。毒にやられたか。上を見る。木々を緑色に覆っているはずの葉が枯れて落ちている。

 周りを見渡す。

 ドレビスは絶句した。

 全部だ。見渡す限りの植物が、冬でも訪れたかのように枯れ果てている。

 一握りで森をまるごと枯らすような毒などあるものか。

 ドレビスが枯れ木のように手足を硬直させていると、少女がむくりと起き上がり、老人を見た。

 生きていた。非常にまずい。殺意を読まれたか。邪神の怒りに触れてしまえば、それすなわち世界の終わりだ。

 じっとドレビスを見据える邪神。身動きの取れぬ老人。

 人生最大の危機であった。

 そして。


 二人はそのまま日が暮れるまで見つめ合っていたが、腹が減ったので夕食を取るために小屋へと戻っていった。 

 その後、ドレビスが毒で殺虫を試みることは二度と無かった。

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