彼は如何にして平穏な晩年を諦めたか
山奥にぽつんと建っている小屋の中で、老人が鉢植えの白い花に水をやっている。
彼の名はドレビス。魔術師であり、生まれついての苦労人である。
水をやり終えた老魔術師が、丸い鉢に咲いた可愛らしい花を眺めていると、ドアを叩く音がした。
開けてみると、外には数名の男が立っていた。皆、いかつい兜を窮屈そうに被っている。
手前に立っている初老の男が、兜を脱ぎながら
「いやあ、こんな山の中に住んでるといろいろ大変でしょう」
と言って汗を拭った。ドレビスが胡乱な返事をすると、彼は思い出したように名乗った。
「私はテリオンと言います。お願いしたいことがあって、頑張って歩いてきました」
テリオンは国を守る騎士団の長である。そして、陽気な男であった。
ドレビスは彼らを中に招き入れようとしたが、テリオンは笑ってそれを断り、部下と共に小屋の前に立ったまま、訪問の旨を語り出した。
予言があったという。
この国では古くから、予言によって様々な災厄を未然に防いできた。
防いできたといっても、害虫の大量発生から作物を守れだとか、川が氾濫するから避難しろだとか、その程度のことである。
この国は平和であった。平和だからこそ、人々は心のどこかで大きな事件を期待して、予言者の言葉に耳を傾けた。
だが、今回ばかりは事情が違った。そのため、このことはまず国王にのみ書面で伝えられた。
予言者直筆の手紙には、小さな文字でこう書かれていた。
もうじき黒い虹が架かります。その下に邪神が現れ、世界は終りを迎えるでしょう。
幸い、その不気味な虹はすぐに消えたため、市民の中で気づいた者はほとんどいなかった。
だが、事態を重く見た国王はテリオン騎士団長を呼ぶと、少数の部下を引き連れて虹が出た森へと向かうよう命じた。
念のため彼らにも予言の内容は知らされていたが、テリオンはほとんど信じていなかったそうだ。
そして、命じられるままに森へと駆けつけたテリオンと三名の部下は、とりあえず森の中を散策することにした。
そもそも彼らはその黒い虹とやらを見ていないので、どの辺りを探せばいいのかもわからなかった。だから、もし盗賊でも見つけたら捕らえてそのまま帰ればいい、というくらいの気持ちだったという。
「予言者のばあちゃんも、歳だからなあ」
などと呟きながらテリオンが歩いていると、なにやら奥からガサガサという大きな音が聞こえてきた。
熊でも出たかと思い、音のする方へ近づいてみたところ、「それ」がいたらしい。
少女だった。歳は六歳くらいだろうか。身に着けている服はボロボロで、そこから覗く青白い肌は人間のものではなかった。さらに、額からはヤギのようにねじれた角が二本、頭頂部へ向かって伸びていた。
少女の近くには木が何本も倒れていた。その理由はすぐにわかった。
木を食っていたのだ。その少女が。それも凄まじい勢いで。バリバリバリバリと。自然環境の危機を感じてしまうほどの速さだったという。
部下は今にも逃げ出しそうな様子であったが、テリオンは懐からパンを取り出すと、臆することなく少女に近づいて差し出した。そして。
「連れてきたのですが」
テリオンの後ろから少女が顔を出した。
「城の者らに聞いてみたところ、ドレビスさんは魔術師であられるとか」
魔術師は気の抜けた相槌を打つのが精一杯といったところだ。テリオンは構わず続ける。
「そこで、この娘の封印をお願いしたいのです」
山奥にぽつんと建っている小屋の中で、老人が椅子に座りながら、うなだれている。
老人は溜息を一つ漏らし、おもむろに顔を上げた。
視線の先には、少女があぐらをかくようにして、床にぺたりと座っている。
ドレビスは少女を一瞥すると、ひときわ大きな溜息をついて、またがっくりとうなだれた。
少しだけ続きます。書くのがかなり遅い




