8
透子は正志の姿が見えなくなるまで立っていた。
離れの扉が開く。
「誰かいたのか?」
「ええ、昔の友達が。
遊びに来ていて迷ったみたい」
透子はトオイを見上げる。
「入りましょう。
冷えてきたわ」
透子はトオイの腕を引っ張り、離れの中へと入っていった。
透子が正志に会った日の夜、舞子は部屋を抜け出して、離れまでやって来ていた。
トオイに会うためだ。
約束などしていない。
でも確信していた。
きっと、彼は来る、と。
土を踏む音が聞こえた。
舞子は満面の笑みで振り返った。
「トオイ」
愛しい男の名前を呼んで。
トオイは不機嫌な顔をした。
「なぜ、ここに来た?」
「会いたかったの」
舞子はトオイに近づき、腕に触れようとした。
「触れるな!」
トオイは冷たく言った。
「俺に触れていいのは、アツキだけだ」
「私がアツキだわ!」
トオイは首を横に振った。
「違う」
もう帰れ、そう言ってトオイは離れの中に入ってしまった。
どうして?
アツキは私だわ。
舞子は納得できなかった。
苛立たしい気持ちで母屋に戻った。
「舞子」
急に声をかけられて舞子は驚いた。
「…父様?」
「こんな時間にどうしたのだい?」
「…何でもないわ」
舞子は父から目を逸らした。
「…体が冷えているだろう。おいで」
父は舞子を居間へ連れて行った。
そして座らせると、ホットミルクを持ってきた。
「これを飲んでから戻りなさい」
暖かさが喉から流れ込んで体中に広がった。
舞子は涙があふれた。
「どうして、どうして、トオイは私を拒絶するの?」
思わず舞子はつぶやいた。
「…離れにいる天人のことかい?」
舞子は溢れる涙を止めることが出来なかった。
顔を手で覆ったまま頷いた。
「彼は天人だよ、神だ」
「知っているわ。それでも私は…!」
舞子は顔を上げて叫んだ。
父はそんな舞子を優しく見た。
「酷い顔だ」
苦笑して舞子の涙を拭う。
「舞子、天人と人は一緒になることは出来ない。
彼と一緒になることが出来るのは、一人だけ。
天女の生まれ変わりだけだ」
「私がその天女だわ」
「…」
父は知っていた。
舞子が天女だと。
そして天人が選んだ天女はすでに離れにいることを。
「選ぶのは彼だ」
「違う。もう決まっているの。
産まれる前から」
舞子は首を横に振った。
小さな頃から声がした。
遠くで、呼ばれていた。
幼すぎて、分からなかった。
でも今は分かる。
出逢ったから、思い出したから。
私を呼んでいたのはトオイだ。
父は舞子の頭を撫でた。
そうすることしか出来なかった。
一体何を言うことができよう。
だから、ただ撫でた。
舞子は父の優しい手の感触で落ち着きを取り戻した。
「ありがとう、父様。もう戻ります」
舞子は父の顔を見て言った。
「…おやすみ」
「おやすみなさい」
父は舞子が居間を出て行くのを見ていた。
何も出来ないことをもどかしく感じながら。
離れに戻ったトオイはため息をついた。
「舞子が来ていたのね」
「…ああ」
「私にそっくりでしょう?
舞子は私の半身なの」
トオイは驚いた顔をした。
「アツキは二人いたのか?」
「そうよ。
私が死んだら、舞子の元へと行っていいわ。
でも、今は私の傍にいて」
あなたが選んだのは私だもの。
透子はトオイに寄り添い、抱きついた。
決して離れることがないように、強くしがみつく。
私だけのもの。
一緒にいるのは、私。
透子は優越感に浸っていた。
トオイに愛される自分。
そして愛されない舞子。
渡しはしない。
舞子には正志がいる。
これ以上何を望むのだ。
これからもずっと一緒にいるのは私なのだ。
透子はトオイを見上げた。
「私だけを愛してね。
ずっと、私だけを」




