15
舞子が結婚して十年の時が流れた。
舞子は幸せだった。
正志に愛され、二人の子供に恵まれた。
「幸せそうね」
千春が遊びに来ていた。
「ええ、幸せよ」
舞子は微笑んだ。
その顔を見て千春は安心した。
「よかった」
千春のホッとした表情を舞子は不思議に思った。
「千春も幸せでしょう?」
千春は子供が三人いる。
とても元気な男の子達だという。
「ええ、幸せだわ」
千春は柔らかく微笑んだ。
「母様」
上の子の優子だった。
優子は八つになったばかりだ。
「おかえりなさい。
今、おやつを持ってくるわね」
舞子は優子に向かって微笑んで、部屋を出た。
「こんにちは。
いらっしゃいませ。おば様」
「こんにちは、優子ちゃん。
遊びに行っていたの?」
はい、と優子は頷いた。
「ごめんね、正行が起きたみたいなの。
ミルクも作ってくるから、少し抱っこしててくれる?」
舞子が生まれたばかりの下の子を連れてきた。
「いいわよ」
抱きしめると柔らかいミルクの匂いがする。
「懐かしい匂いだわ」
千春の子供はもう乳離れもすんでいた。
優子が傍に寄ってくる。
そうして正行の頬を優しくつつく。
「弟、可愛い?」
「うん。可愛い」
優子は笑った。
本当に良かった。
結婚前、何があったのか千春は知らない。
でもこうして今、幸せな家庭を築いているのだから、いいのだ。
そう千春は思った。
台所に立った舞子は、お湯を沸かし始めた。
赤子のミルクを作るためと、優子に温かい紅茶をいれるためだ。
穏やかな日常に、舞子は幸せを感じていた。
ふと、後ろを振り返った。
そこには、
トオイがいた。
「迎えに来たよ」
トオイが言った。
舞子は思い出した。
忘れていたことを思い出した。
「行こう」
トオイが手を差し出す。
「…透子が死んだのね」
「ああ、だからお前がアツキだ」
透子が死んで十日ほどが過ぎた。
トオイはその間、考えていた。
舞子を迎えに行くかどうかを。
でも、結局は迎えに来てしまった。
舞子は瞳を閉じた。
浮かんでくるのは、楽しかった想い。
愛しい想い。
どうして忘れていたのだろう?
大切な想いを。
舞子の後ろで薬缶が音をたて始めた。
舞子はそっと火を止め、トオイの手に自分の手を添えた。
強く、トオイは舞子の手を握った。
「ずっと、一緒に」
トオイがそう言って舞子に微笑んだ。
そうだ、ずっと一緒にいると約束した。
舞子は微笑んだ。
やっと一緒になれる。
「行きましょう」
そうして二人はそっと台所を出て行った。
千春は戻ってこない舞子を不審に思い、台所へとやって来た。
「舞子?どうしたの?」
台所には誰もいなかった。
用意される途中のミルクと紅茶が置いてあった。
「舞子?」
そこにはもう人の温もりも残っていなかった。
それから、舞子が帰ってくることはなかった。
千春には訳が分からなかった。
なぜ、舞子はいなくなってしまったのか?
あんなに幸せだと言っていたのに。
ただ、正志は知っているようだった。
「いつかこんな日が来るとは思っていた」
寂しそうに正志は言った。
ただずっと先だと思っていた、と。
それから正志は一人で子供を育てたという。
再婚することなく、あの家で二人の子供を育てた。
そして、子供達に教えた。
離れに住む天女のことを。
「守っていくのだよ。
離れにはお前達の母様がいる」
そう言って昔話を語った。
むかし、むかし。
天女がこの地上に舞い降りた。
この家の人々は、この美しい天女を守った。
天女は天に帰ることが出来なかったから。
罪を犯した、と天女は言った。だから帰れないのだ、と。
罪は許されることはなく、永遠に続く。
あの花が咲いている限り。
永遠に消えることはない。
許されることはない、と。
今日も赤い天の花は、離れの周りに咲き誇っている。
枯れることなく。
風に揺れて。
咲いていた。




