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お茶くみレクチャー


 そんなことがあって、数日後。


 バアーン! と、恒例になったドアの開け方で、時渡社長がやって来た。

「いよおー、魔の13階の諸君! 今日も仕事に励んでいるかい~? 」

「はいはい。えーと、応接使うから、よろしくね」

 仕事の邪魔? にならないように、うちの社長がとっとと彼を応接室へと追いやる。

蔵木くらきさん、手が空いてたらでいいから、お願い」

 と、拝むようにして資料を手に社長が部屋へと消えた。

 応接室のドアが閉まる寸前、私は両手で大きく丸印を作って了解を示した。


「じゃあ、来客のお方に、おいしーいお茶を入れてくるわ」

 私は特に急ぎの仕事もないことだし、と、甚大に声をかけて、席をはずした。

「あいよー」

 手元の書類から顔も上げずに、軽く答える甚大。

 窓際にある簡易キッチンに向かいながら、ちょうど休憩したかったのよね、と、思いつつ、さて、何を入れようかな、と考える。今日は紅茶にしようかな。ありきたりだけど、ダージリンでいいか。

 などと考えてお湯を沸かしていると、なぜか遊井名田くんがやってきた。

「あれ? 遊井名田くん。どうしたの? 」

「あ、さきほど時渡社長がいらしたと受付から連絡が入ったので。俺が取り次いだんですけど」

「うん、今応接に入ったわよ。何か用事なら言おうか? 」

「ええと、そうではなくて」

 何だろう。いつもはっきりとものを言う遊井名田くんが、なぜか言いよどんでいる。

「13階では、来客にお茶をお出しすると以前から聞いてまして」

「ああ、今時は珍しいわよね。でも、私の趣味だし、しかも手が空いてるときだけね」

「そうなんですか。でも、12階の来客にお茶をだせないというのが、どうも…」

「?」

「少し、悔しいので。申し訳ありませんが、入れ方や出し方を教えてください」

「! 」


 わあお。

 悔しいって。

 遊井名田くんって、真面目でクールなイメージだったんだけど、中身はけっこう熱いのかしら? 私は心の中で、かーわいいー、などと思いながら、緩んでくる口元を必死で引き締めて答えた。

「わかったわ。じゃあ、今日は紅茶にするつもりだったから、それでいい? 」

「はい」


 私は、紅茶の入れ方を教えてもらったときのことを懐かしく思い出しながら、遊井名田くんにレクチャーを始める。

 約3分の後。

 温めたティカップ一式とティポット、シュガーやミルクをお盆にのせて言う。

「じゃあ、これを応接に持って行くから、ついてきて」

「俺が行っても失礼になりませんか? 」

「うーんと、時渡社長だから、快く練習台になってくれるわよ」

 さすがにそういう所は心得てるわね。私は、コンコンコンとノックをすると、「どうぞ」の声を聞いてから、「失礼します」とドアを開ける。


 ここの応接室は、ほとんど使わないくせに? ちゃんとサイドテーブルがあるのよね。だから、まずそこへお盆を置くと、遊井名田くんと2人で入ってきたことに怪訝そうな顔をする空社長に向かって言う。

「申し訳ありません、彼に来客時のお茶出しを教えようと思いまして。時渡社長は心の広い方ですので、失礼を承知でこういう形になりました」

 心の広い云々からは、時渡社長に向きなおって言う。すると、案の定、根が単純な社長は嬉しそうに言ってくれた。

「うんうん、いいよー。空ちゃんとこの社員は俺の部下も同然。社員教育はどんどんしてよねー」

「ありがとうございます」


 キッチリとお辞儀すると、さすがは遊井名田くん。彼もそつなく頭を下げた。

 そのあと、わざとらしく硬い口調で、

「紅茶は注いだあと、カップの底をふきんで拭いてソーサーにのせるの」

 とか、

「上座の方、今日なら時渡社長ね、からお出しするのよ。相手の右側後ろから、声をかけて。わかったらやってみて」

 とか、まるで研修のように遊井名田くんに教えていった。


 それにしても。

 遊井名田くんって、なんて言うのか動きが優雅なのよねー。やはり良いところのお坊ちゃまは違うのかしらね。

「失礼します」

 と、デラルドさんの肩越しに声をかけて、少しも危なげなくティカップをお出しする。

「ありがとうございます」

 デラルドさんの方もキッチリとお礼を述べたあと、まず時渡社長のティカップにお砂糖をふたつとミルクを入れてかき混ぜ、「どうぞ」と手で示す。

「ん。ありがと」

 と、時渡社長が返事する間に、今度は手塚社長のカップにお砂糖ひとつとミルクをたっぷり入れて、また手で示した。

「どうぞ」

「あれー、僕の好みまで知ってるの? デラルドくんはすごいねえ」

「恐縮です」

「あったりまえじゃないの、空ちゃんー。俺と空ちゃんの仲なんだよー」

 社長同士の仲はこの際関係ないんじゃない? と、心の中でツッコミを入れながら、私はまた来客に声をかけてから、遊井名田くんを伴って応接室を出た。



「ありがとうございました。とても勉強になりました」

 律儀に簡易キッチンまでついてきた遊井名田くんは、これまたキッチリとお辞儀してお礼を言う。

「えー、そんなたいしたことしてないわよ。先輩として当然」

「当然、ですか。それにしても、デラルドさんはやっぱり侮れないですね」

「どういうこと? 」

 少し考えるようにうつむいたあと遊井名田君が言う。

「有能だとは思っていましたけど、ビジネス以外でも気の回る人なんだ。これは見習わなければならないですね。あ、そう言えば」

 と、気がついたように顔を上げてこっちを見る。

「蔵木さんは朝と3時頃に、お茶を配るんですよね」

「ええ、朝はほとんど毎日だけど、3時は仕事が暇なときだけ。それに全員にじゃないわよ」

「それ、12階でも真似させてもらっていいですか? 」

「? 」

 一瞬意味がわからず、ホヘっとした顔で遊井名田くんを見つめてしまう。そんな私を笑うでもなく、遊井名田くんは真剣にまた聞いてくる。

「だめですかね」

「え、あ、いいわよ。って、それって私に許可を取るようなこと? 」

「はい、一応お伺いしておかないと、勝手に真似したと思われるのはしゃくですから」


 あらー。

 ここでも負けず嫌いが顔を覗かせる。

 私はまたまたにやけそうになる口元を引き締めて行った。

「わかったわ。だけどね、ボスや周りの人にも宣言しておいた方がいいわよ。自分で持ってくる人もいるし、仕事中はいらないって言う人もいるし」

「はい、そのあたりのことはわかっています」

「だったら大丈夫ね。頑張ってね」

 と、ここで話が終わったと思った私はその場を離れようとしたんだけど、遊井名田くんはなぜか動こうとしない。

「もう一つお願いがあるのですが」

「お願い? 」

「はい。来客時は12階でビル共同の給湯室を使いますが、朝と3時はここのキッチンを使わせて下さい」

 そう言ってまた軽く頭を下げる。

「えーと、なんでかな? 」

 彼の意図がわからないので聞いてみた。だって、簡易キッチンより、給湯室の方がきちんとした設備が整っているはず。すると遊井名田くんは少し言いよどんで、照れたように宙に目をやった。


 なになにー? と言い返そうとしたその時。

 ドオン! 

 と、誰かが後ろから覆い被さってきた。

「ぐぇ」

 私は以前にもこんなことがあったな、と思いつつ、それが誰だかわかってしまう。

「恭ったら~、知らないのー? はじめくんってね、最近、加福・末山コンビを大きく引き離す勢いなんだから。下克上よ、下克上! だから給湯室も行っちゃダメなの! 」

 やっぱり、思った通りの人物。甚大だ。

「ぐ、ぐるじいー」

「あら? ごめんなさーい」

 と、わざとらしく手を離す甚大に、文句のひとつも行ってやりたくなるが、今のセリフ、聞き捨てならないわよね。

「もう、甚ってば、ちょっとは手加減しなさいよ。でも、下克上って、なに? 」

「あら、知らないの? はじめくんもイイ男ファンクラブの一員だってこと」

「知ってるけど」

「彼ってイイ男の上に、今までにないクールなタイプでしょ、だからファンが増えるわ増えるわ。加福や末山なんて目じゃないの。もう、大変なのよお~」

「へえー」

 甚大が下克上と言った意味はわかったのだが。

「何でそれが給湯室と関係あるの? 」

 と不思議に思って聞くと、今度は遊井名田くんが困ったように言った。

「本当にたまに自分のお茶を入れに行くんですけど。俺が給湯室に行くと、あとからどんどん人がやって来て」

「え? 」

「それで、頼んでもいないのに、お手伝いされて、自分で好きなようにお茶を入れられなくなるんです」


 ははあー、そういうことか。

 遊井名田くんが給湯室に入ったと言う情報が伝わると、12階にある他社のきれいどころがわんさと押しかけるんだ。

 で、ここがアピールチャ~ンス! とばかり、かいがいしくお世話するという訳ね。たまにならいいけど、これが毎日となるとね。

「アハハ、そういうこと。それは大変、じゃあいいわよ、ここ使って」

 思わず笑ってしまってから、本人にとっては冗談じゃない、って感じよね、と、同じように今でもモテてらっしゃるうちの旦那様にも思いをはせて、快く了解した。

「ありがとうございます」

 珍しく嬉しそうに顔を輝かせた遊井名田くんは、そのあと「きゃー、はじめくんが笑ったー」とはしゃぐ甚大にハグされて、また珍しくアタフタしていたのだった。



 次の日、朝のお茶を入れるために、遊井名田くんが13階へとやって来た。

 でね。私が用意している、日本茶、珈琲、紅茶、最近はハーブティなんかもあるんだけれど、そこに並べられたあらゆる種類の飲み物を見て、目を丸くしている。

「…これって」

「朝の一杯よ、1日の始まりには好きな物をーってね」

「全員同じものじゃないんですか…」

「そんなに数が多くないからよ。始めたときは全部日本茶だったし。13階は個性的なのばっかりだから、なんだかこんなことになっちゃってて」

 ほう、と感心したように首を振る遊井名田くんに釘を刺しておく。

「だけど遊井名田くん。最初は全部同じものから始めなさい。それと、仕事に支障が出るようなら、きっぱりやめること」

「はい」

 いいわねー、素直なお返事。で、初日と言うこともあって、今日は私も手伝うことにした。けど、ここで入れるんじゃ持って行く間に冷めちゃうわよね。だからわざわざポットに入れて運ぶ事になる。そんな面倒から、つい言ってしまった。

「12階にも簡易キッチンがあればいいのにね」


 そうなのだ。

 私がお茶を配り始めた頃は、13階にある、仕事用の本格的な厨房を使わせてもらってたんだけど、コソコソって感じで遠慮しながら用意する姿を可哀想だと思って下さったのか、なんと、社長が簡易キッチンを設置するための企画書を上げてきたの。

 あのときはなんだったかな。

 あ! そうそう。

〔仕事に差し障りがなければ、巷で行われているコンテストに参加し、それなりの賞を獲得して、その賞金を、13階に簡易キッチンを作る資金として寄付してもらえないかな~〕

 なんて、長い名前の企画書。

 意味わからん! と他の社員に怒られてたっけ、ふふ。

 でも、おかげで簡易キッチンを作ってもらえたのよねー。世間には賞金の出るコンテストって山ほどあるのをその時知ったわ。

 あ、そうそう、那波も「恭ちゃんのためなら」って、たしかお料理コンテストに出場して、優勝してくれたんだった。あらためて感謝~。


 で、ふと、私も企画を出してみようと思いついたのだった。




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