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九話

 俺は苛立っていた。昨日の日中は訓練を多少厳しくしてやって、体を動かし続けることでなんとか乗り切った。しかし昨日の夜とかまともに眠れるはずがないだろう。今日の公開訓練にアドリアーナ・アリストが現れるかどうかで、例のあの出来事が夢だったのか現実だったのかが確定するのだ。いや、現実でも公開訓練に彼女が来ない可能性はあるが、その場合はもう夢だったと思った方がいいということだろう。


 と、いうわけで。寝不足である。俺の無駄に体力のある獣人の体には、昨日一日体を動かしまくった程度の疲労では限界は訪れない。つまり、疲れが強制的に眠りの世界へといざなってくれるようなこともなかった。眠れず、さらにすることもないとなれば、やはり考え事をしてしまう。


 ああくそ、現実だったとしたら、あの時なぜ俺は帰って速攻で眠ってしまったのだろうか。あそこですぐに眠らなければ、いくら夢のような現実だったとしても、本気で夢かどうかの判別がつかなくなるようなことはなかったはずだ。いや、今でもおそらく現実だっただろうと思ってはいるのだ。七割くらい。だが残り三割の、俺の作り出した壮大な妄想夢だったという可能性を捨てきれない。くっそ。






 何とか少しだけ眠って訓練場に来てからも苛立ちは収まらない。ぶつける先が自分以外にないことが、さらに苛立ちを募らせる。


 いつものように部下たちは一対一で訓練させて、俺とアルフだけ部下相手にそれぞれ一対ニで対応する。格上相手の連携を教え込むためだ。ちなみに俺は二人でこられても未だに無敗である。一対三にしたらどうなるだろうか。多分いけると思うんだが。今度やってみるか。


 ちなみに今日は俺の相手をする連中の回転が早い。すぐに別のペアがやってくる。何故なら、いつもよりもサクサクとのしてしまっているからだ。部下には悪いが、最低限の指導だけして後はストレス解消に使っている気がする。……まあ、格上にも勇敢に立ち向かえるようにする訓練と思えばこれもいいだろう。


 そんなことを繰り返していると。俺の耳に、聞き間違えようもない彼女の声が、かすかに……聞こえた。思考が一瞬停止する。


 なんか訓練用の木剣で肩を殴られたような気がしたが、気にならない。副隊長に一撃入った⁉︎ とかいう叫ぶような声が聞こえたので殴り飛ばしたら静かになった。うるっさいわ。俺は今耳を澄ましているんだ。あれ、なんか左腕が痺れてないか? ああ、肩に木剣くらったんだったか。まあいい。


 彼女のかすかな声には、まだ誰も気付いてないらしい。当然だ。俺の耳はこいつらの中でも最高性能に近いし、俺の頭の片隅には今日彼女が来るかもしれないという期待がずっとあった。そんな俺を持ってしても、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だ。訓練中に気付けというのは無茶である。先ほど殴り飛ばしたやつの相方からの攻撃をほぼ反射だけで防ぎながら、俺は呆然としていた。彼女は本当に来てくれた、のか?


 彼女の声が近付いてくる。心臓が暴れ始める。まさか、あれは、本当に?


 そして、その時は訪れた。あの麗しい彼女が、訓練場へと姿を現したのだ。さすがに気付いた部下たちが一斉に彼女を見た。おい、不躾に見てんじゃねーよ。そう思うが、喉が発声のし方を忘れてしまったようで、何も言葉にできない。一昨日よりも距離は遠いが、彼女はやはり美しく可愛らしかった。が、視線に驚いたらしく護衛の男のかげに隠れてしまう。……これは、あとで部下ども半殺しか?


 その場の空気を変えたのは、動けない俺ではなく隊長のアルフだった。


「はいはい、みんな何してるのかな。今日が訓練公開日なのは知ってるよね。今ので動きを止めたやつ、今日の訓練1.5倍にするから。ああ、全員か。僕と副隊長でみっちりしごいてあげよう」


 部下どもから不満の声が上がる。


「隊長、それは横暴だ!」


「そうだそうだ、動きを止めたのなんてほんの一瞬だろ!」


「つーか1.5倍はやばい、動けなくなる絶対動けなくなる。隊長考え直してくれ!」


 アルフはにっこりと笑った。


「そのほんの一瞬で、訓練を見にきた一般人の女の子を思い切り威圧したよね。縮こまっちゃってるのわかんないかな。口答えしたやつ二倍にしておく?」


 ……そうだな、威圧したな。しごいてやらないとな。


 静かになった訓練場に戸惑うように、彼女が護衛の背からそっと顔を出した。そして再び怯えたように隠れる。なんだあの動き可愛い。


 アルフが申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「あー……ごめんね、お嬢さん。訓練を見に来たってことでいいのかな?」


 護衛の男が頷く。やっぱりそうだよな⁉︎ 俺のために来てくれたってことでいいんだよな? ……いいのか? でもそうでなければ何のために?


「えっと、うちは女っ気がないからさ、お嬢さんみたいなすっごい美人さんが来てくれて、みんなびっくりして嬉しくなっちゃったんだよ。だからついつい見ちゃったんだ。とはいっても、ガタイのいい獣人の野郎ばっかり四十数人に一気に見られたらそりゃ怖いし気持ち悪いよね。驚かせてごめんね、許してください」


 アルフが頭を下げる。こういうところは尊敬する、が……。くそ、俺は何故全てアルフに任せきりにしている。力で解決できない問題があった時にはアルフが処理するのが一番うまくいくのは経験則から明らかだし、俺たちみたいのが余計なことをすれば事態は基本的にこじれるから、アルフに任せるのが部隊の暗黙の了解となってはいるんだが。今回くらいは、何か言えないのか俺は。


「え、ええっ⁉︎」


 彼女は驚いたように護衛の背から出てきた。


「あ、頭を上げてください。そんな、何をされたわけでもないんですし。私こそ隠れちゃってすみません?」


 いや、年頃の娘が、こんなおぞましい連中に一斉に見られたら、隠れてもおかしくないだろう。むしろ悲鳴を上げなかったことに感謝だ。……というか俺は何故ここに彼女を呼んだ⁉︎ こうなることは予想できたろうに。あの時は、起床直後よりも頭が回っていなかったからな……。


「あはは、優しいお嬢さんで良かったよ。僕は獣人部隊の隊長をしている、アルフ・メランデルです。失礼だけど……お嬢さんはひょっとして、アリスト家の娘さんかな?」


「あ、はい。アドリアーナ・アリストと申します」


 やはりアルフも、彼女の顔は知っていたようだ。


「お嬢さんみたいな綺麗な人が見学に来てくれるなんて嬉しいよ。きっと士気も上がるはずだ。訓練を2倍に増やしたって楽勝だと思うよ。是非のんびりしていってね」


「あ、ありがとうございます!」


 二人の会話は終わったらしい。アルフが部下たちを見回したので、彼女の視線もアルフからずれ……真っ直ぐに、こちらを見つめた。


「……っ!」


 情けなくもビクリとした俺に、彼女は少しだけ笑ったような気がした。馬鹿にするようなものではなく、もっと自然な笑顔である。思わず浮かべてしまった、というような。先ほどからバクバクいっている心臓が、しばらく全力疾走した直後のようになってきた。彼女から目を逸らすことができない。


「それじゃ再開しようか。1.5倍って騒ぐけどさ……」


 アルフが何か言っているが、内容は右から左に抜けていった。


「ラーシュ?」


 明確に名前を呼ばれて、俺はようやく我に返った。ニヤリとしたアルフが近付いてきて、三メートルくらいの距離で立ち止まる。


「一目惚れしちゃった? しっかりしてよ、もう。分を弁えなよ」


 ものすごく小声なのは、周りと彼女への配慮だろう。彼女の耳では、例え俺の位置にいたとしても聞き取れなかったはずだ。


 一見酷いことを言っているようだが、何もおかしなことではない。こいつは、俺が初対面の彼女に見惚れただけと思っているはずだ。俺の顔面が酷いのは事実だが、もし女の側が普通の見た目だったなら、何だかんだで優しいアルフはこんな言い方はしない。俺どころかアルフにとっても、彼女は高嶺の花どころか天上の花だ。要はこれは、俺の見た目が悪いためではなく、彼女の見た目が良すぎるために出た言葉なのだ。だからこいつはこんなことを冗談めかして言ったのだし、普段の俺だったらふざけて軽く悪態をついて終わっていた場面である。


 しかし、今日の俺にその度量はなかった。苛立ちと戸惑いに油を注がれた気分だ。そして、たとえ一昨日のことが現実だったとしても、恋愛感情云々はあり得ないのだと。当然の事実を指摘されて、激昂する子供のような。この時の俺は、そんな状態だったのだろう。


 顔が強張り、尻尾の毛が逆立つのがわかった。


 近くにいた部下が、ヒィ、と情けない声をあげて俺から距離を取る。


 俺はゆっくりと木剣を構え、アルフに向き直った。盛大に地雷を踏み抜いたことに気付いたらしいアルフが、顔を引きつらせている。


「なあアルフ。これは訓練だ、そうだろう? 直接体を動かすんじゃなくて、他者の戦いを見て学ぶこともあるとは思わないか。その戦いのレベルが高くて、両者の実力が伯仲しているほどいいよな」


 俺は口角を吊り上げる。強面系不細工のこの表情は、悪魔の笑みだとよく言われたものだ。アルフは冷や汗を流している。


「えーっと、ラーシュ? それってつまり……」


「たまには俺と模擬戦やろうじゃねーか、隊長さんヨォ」


 俺はアルフと一対一で戦ったことはほとんどない。やったとしても、互いに本気を出すってのはあり得なかった。何故なら、それをしてしまえば、おそらく俺が勝つからだ。


 部隊最強なのは、おそらく副隊長である。そんなことには部下たちも気付いているし、だからと言って俺とアルフの役職逆転はあり得ない。そんなことをしてもデメリットしかない。それも部下たちはわかっている。


 だから勝ってしまっても実害があるわけではないんだが、副隊長が隊長より強いことを証明したっていいことはないだろう。だから今まで、こいつとまともにやりあったことはない。理由も必要性もなかった。……だが、今回は。身を焦がす苛立ちとよくわからない感情に任せて、俺は凶暴に笑った。

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