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六話

 アドリアーナ・アリストは、俺を見た瞬間にピシリと固まってしまった。どうやら俺は、容姿に拘らないと公言する彼女の許容量も越えた代物だったらしい。確かに俺も、亜人と不細工のダブルパンチによる気味の悪さは自分で認めないでもない。だがどうしようか、この状況。


 俺とアドリアーナ・アリストは、何故か見つめ合う。見たくないなら目をそらしてもいいのに(というか仕方ないことだ)、その美少女は俺をしっかりと見つめてくる。というか、戦場で出会った敵ばりに観察されているのを感じる。平時に俺を好き好んで見つめる奴なんてそうそういないからな。


 俺が困っていると、後ろの夫人が咳払いをした。アドリアーナ・アリストはそれにびくりと震え、再起動を果たす。


「ごごごめんなさい! どうじょおすわりになってくだちゃい」


 いや、大丈夫ですかお嬢様。噛んでも可愛くて困る。あまり俺みたいなのが見つめていると汚れそう、という意味で。


 ……正直、言葉に甘えて座ってしまいたい。それで、たとえ短時間でもこの美少女と話ができたらきっととてもいい思い出になるだろう。


 しかし、アドリアーナ・アリストがそれを望んでいるはずがない。お座りになってください、という言葉は、自分が俺を呼び出したという使命感から来るものだ。種族すらわざと黙っていた俺に対して、健気なことだ。現に、先ほどの発言からアドリアーナ・アリストは頭を抱えている。


 俺は決意した。不快な思いをさせるのが分かっているのに温情に甘えるほど、落ちぶれてはいない。……はずだ。


「いえ、お心遣いありがとうございます。俺はもうお暇させていただこうと思います。……見苦しくてすみませんでした」


 深々と頭を下げる。


 俺はこっそり唇を噛み締めると、玄関に向かおうとした。その背中に、焦ったような声がかかる。


「ちょ、ちょちょちょ、待ってください! お暇って言いました⁉︎ 少しくらいお話してくれてもいいじゃないですか!」


 足が止まった。


 ……なんだ、この発言は。やけに必死だ。まるで、話をしたがる美少女を俺が置いて帰ろうとしているようじゃないか。


「ぜ、ぜひゆっくりしていってもらえませんか、いや、いえあの、もちろんご予定があったりとかされるんでしたらその限りではないんですが、その場合はできれば日を変えて後日またとかいかがでしょうか」


 予定? そんなものあるわけがないだろう。今日の日程が確定してから、この日にだけは予定を入れないように死守したんだ。


 というか、今この少女はなんと言った。振り返ると、長ゼリフを息継ぎなしで言った直後だからか、少し顔を赤らめた美少女がいた。すごい破壊力だ。


「……後日また?」


 彼女がこの場をくぐり抜けて、せっかく俺を帰らせたとする。そうしたら、もう一度呼び出すと? ちょっとわけがわからない。


「え、えっと、はい。この後ご予定があるんでしたら、それでも全然」


「ああ、いや、予定はないんですけど……」


 答えると、彼女は両手を胸の前で組み、上目遣いで、はにかんで、言った。


「あら、でしたら是非ゆっくりしていってくださいな。私、色々とお話がしたいです」


 顔は真っ赤に、脳内は真っ白になった俺を責められる男はいないと思う。な、何か、何か言わなくては。なにか……。


「あ、うぅ……えっと……」


 これじゃ呻き声だろうが! 気持ち悪いだけだ。もう少しなんとかならないのか、俺は。


「ご予定はないんでしょう? なら、是非お座りになってください」


 意味のある言葉を発する前に、椅子を勧められた。


「は、はい……」


 もはや、礼を言うだけの頭も働いていなかった。彼女の言葉に操られる人形のように、椅子に座る。


「えっと、自己紹介が遅れてすみません。私は、アドリアーナ・アリストと申します」


 微笑む彼女が眩しい。


「あっと、俺は、えっと……ラーシュ・ヴィルムです」


 一言添えろよ俺! 騎士ですとか、何でもいいだろ! これじゃ次の会話が続かないだろうが。そんな俺にも、彼女は笑顔を崩さない。


「よろしくお願いしますね、ラーシュさん」


「はい、よろしくお願いしま……え⁉︎」


 なんだって。ひょっとすると耳がおかしくなったのかもしれない。壁越しの会話まで聞き取れる高性能な虎耳ではあるが、きっと変になったんだろう。もしくは間違えた? いや、間違えて男をファーストネームで呼ぶってお前。さすがにしないだろう。じゃあやっぱりおかしいのは俺か。ひょっとすると、願望が幻聴を聞かせたのかもしれない。病気か、まずいな。


 間抜けなパニックに陥る俺に、彼女はクスクス笑いながら追撃を仕掛けてきた。


「ラーシュさん、もしよければ私のことはアドリアーナとお呼びください」


「はぇ⁉︎」


 よろしくないだろぉぉぉ! いや俺的にはよろしいが、アドリアーナ・アリスト的には全くよろしくないだろう。よろしくないはずだ。


「……ダメですか?」


 アドリアーナ・アリストが悲しそうな顔をする。俺は条件反射的に首を横に振った。


「だ、ダメじゃないです! ……けど、えっと、俺なんかにそんな風に呼ばせるのは……」


「……ダメなんですか?」


 彼女はしゅんとして眉尻を下げる。


「ダメじゃないです!」


 ああくそ、また条件反射が。


「そうですか、ではアドリアーナとお呼びくださいね」


 にっこりと笑う彼女に、俺は固まるのだった。だっていいのかファーストネーム呼びとか。


 考えてみよう。例えば外で、俺が彼女をアドリアーナさんと呼んだとする。彼女が普通に答えれば何の問題もない。彼女の熱心な信者に聞かれたりしたら、彼女と別れてから暗い路地裏でちょっと闇討ちにあうかもしれないが、返り討ちにすればいいだけだ。何も問題はない。俺が幸せなだけだ。では、例えばだが、彼女が悲鳴をあげたとしたら。とりあえず騎士が呼ばれるだろう。俺は同僚や部下にひっ捕らえられるわけだ。彼女の容姿、豪商の娘という地位と俺の容姿、種族があいまって、俺はきっと犯罪者扱い。しかもおそらく性犯罪者扱い。これまで真っ当に生きてきたのに、名前を呼んだだけで性犯罪者扱い。同僚や部下に蔑みの視線を送られる。……大丈夫か、これ。


「ね、ラーシュさん。ラーシュさんはお幾つですか? 私より少し年上かと思うんですが」


 何とか取り繕った無表情の下で悩んでいると、ア、アドリアーナ、さん……から、質問された。


「え?」


 お幾つ。ってことは、年齢か。答えやすい質問はありがたい。つい笑みが浮かぶ。


「あ、はい、19歳です」


「4歳差なんですね。ラーシュさんは、何をしていらっしゃる方なんですか?」


「仕事ですか? 騎士団の獣人部隊の副隊長をしています。具体的には治安維持とか、要人警護とかですかね」


 なんとはなしにそう答えると、彼女は驚きの表情を浮かべる。


「えっと……、ひょっとして強いですか?」


 こ、答えにくいな。だがまあ、いいか。少なくとも弱いつもりはないからな。


「……ええ、まあ、戦闘能力に関して言えば強いですね」


「すごいですね! お仕事してるところとか、戦ってるとことか、ちょっと見てみたいなぁ」


 女性がそんなことに興味を持つなんて意外だった。少し嬉しい。


「え、えっと、一応、騎士団の訓練風景を見られるように一般に開放されている日も……」


 そこまで言ったところで、ハッと気付く。普通に考えて、今のは社交辞令だったんじゃないだろうか。彼女は美しい少女、しかも豪商の娘だ。荒事に興味があるとは思えない。ああ、やってしまった。言葉がしりすぼみになる。


「ああいや、汗臭いところなので来なくても、全然、」


「行きます」


「構わな、……へ?」


 即答だった。即答というか、俺の言葉に被せてきた。


「それって、ラーシュさんが訓練で剣を使ってるところとかも見れるんですよね?」


「は、はい」


 机に乗り出さんばかりの少女にたじろぐ、ガタイのいい男。つまり俺。情けない。


「是非行きます。むしろ次はいつですか」


「獣人部隊の公開日は明後日ですが……なんというか、多分お目汚しですよ? 人間部隊の方が容姿はまともなので、……腕は正直こちらの方が上ですが……、訓練が見たいなら人間部隊を見に行った方が」


 獣人は多くが筋肉質で、脂肪がつきにくいという特徴がある。また、それぞれが持つ獣の特徴がおぞましいとされることも多々ある。むさ苦しい獣人の男ばかりが汗にまみれて訓練に明け暮れる風景というのは、非常に不本意だが化け物の饗宴と言ってもいいくらいだ。少なくとも見ていて気持ちのいいものではない。年頃の人間の少女にとっては、特に。もともと公開日だって、人なんてろくに来やしないのだ。


「明後日ですね! 絶対行きます!」


 なのに、聞いちゃいねぇ。後悔しないといいんだが、マジで来たとしたら確実に後悔するだろうな……。

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