四話
俺は酷く後悔していた。俺を見た美しい夫人が、一瞬顔を引きつらせて俺に待つように伝え、家の中に戻って行ったからだ。
そもそもの発端は、有名な豪商アリスト家の娘が十五歳の誕生日を迎えたことだった。
アドリアーナ・アリストは美少女として有名だ。俺も町で一度偶然見かけて以来、その姿は網膜に焼き付いて離れなかった。しかも彼女は、顔や体格ではなく能力や性格を重視するのだという。どこまで本音かは知らないが、本当だとしたらまさに女神だ、聖女だ、と専らの噂だった。
そんな美少女の十五歳の誕生日。町のほとんどの未婚男性が贈り物をしたんじゃないかと思う。まるで何かのイベントのようになっていたし、その贈り物イベントには大勢が参加していたために、非常に敷居が低くなっていた。つまり、元々は贈り物をするつもりがなかった者も、他の者につられて、一度きりのことだしあんな美少女なら貢ぐのも悪くないと言わんばかりに贈り物をしたのだ。そうなったら更に敷居が下がり、他の者も贈って、という連鎖が起きた。
それが起こっていなかったら、俺は贈り物なんてする勇気は出なかったと思う。だが、今更俺一人が贈ろうが贈らなかろうが変わらないだろうと思える程度には、彼女の誕生日は未婚男性の間で密かなイベントとなっていた。だから俺は、いつかの街角で一瞬だけ見かけた美しい彼女のために、贈り物をすることにした。
柄にもなく入った装飾品の店で見つけたのは、ネコ科の獣の意匠が入ったブローチだった。綺麗だと思った。ネコ科というのも良かった。醜い俺と違って、ブローチの中の獣は可愛らしいシルエットをしていたが。とても小さいそれは、他の贈り物に混ざって埋れてしまうだろう。そのサイズも逆にいいと思った。埋れてくれて構わないのだ。俺はそのブローチを買い、名前と連絡先だけを記して贈った。モテる連中はポエムを添えたりするらしいが、俺にそんな才能はないし、俺みたいなやつに愛を囁かれたって気持ち悪いだけだろう。
それから数日は、何もない日常が続いた。いつものように訓練に明け暮れる日々だ。俺は国の騎士団の中の、獣人部隊の副隊長をしている。剣の腕にだけは自信があった。実際、俺の親友でもある獣人部隊隊長とやりあったら、僅差で俺が勝つと踏んでいる。だが、俺は隊長になるべきではないし、なりたいとも思わない。隊長職は親友の方が向いている。
これは容姿の問題だ。俺の目はやけに存在感があり、鼻は嫌がらせのように高い。浅黒い肌に、虎獣人だから仕方ないのだが、無駄な贅肉のつかない体。なんというか、神も失敗するんだな、と吐き捨ててやりたい。獣人の中でもかなり残念な容姿だ。一方親友は、贅肉がつきにくいという獣人の定めにこそ逆らえていないが、細い目に低い鼻を持つ。俺なんかよりずっと恵まれた容姿だ。
隊長職につけば、人前に出ることも多くなる。ただ戦闘能力が高いだけでは務まらない。だから俺は、副隊長でいるのが一番いいのだ。俺には戦闘能力しかないのだから。
自分の腕も磨きつつ、部下もしごいてやる。たまに要人の護衛を行う。そんないつも通りの日々の中で、あのブローチはアドリアーナ・アリストに喜んでもらえただろうか、と、ふと思う時がある。すぐに頭を振って馬鹿げた考えを追い払うのだが。彼女の元にどれだけの贈り物が届いたと思っている。彼女自身が見てくれたかどうかすらも怪しい。……だが、彼女は男の能力や才能を重視するというじゃないか。こと戦闘だけに関して言えば、俺と互角以上に戦える者がこの国にどれだけいるだろうか。多く見積もっても、両手の指で数えられる程度だろう。……本当に、俺は馬鹿か。今後、どれだけの才能ある美男子たちが彼女にアプローチをしかけることか。夢物語の空想は虚しいだけだ。おとなしく諦めろ。
そんなことを考えながら、届いた手紙を何となくチェックして。アリスト家、という差出人の手紙に、俺はたっぷり一分ほどフリーズした。
現実に戻ってきた俺が慌てて開封すると、それはアドリアーナ・アリストの母からのものだった。娘が貴方の贈ったブローチを気に入った、是非とも我が家に招待したい、娘と話をしてやってほしい。そんな内容だった。短い文面を十回は見直したから間違いない。
へ、返事を書かなければ。もちろんOKだ。空いている日時を教えてください、とある。ええい、いつでもと書きたいが、獣人部隊副隊長としての仕事がある。次の休みはいつだ! 直近だと明日……って、そんな急な日付を書いたって仕方ないだろう。しかも明日休みがあるせいで、その次は一週間先だ。……嫌がらせか。仕方がないので、一週間先の日付を記す。念のため、その次の休みも。そこまで書き綴ったところで、ハッと我に返った。
俺は、アドリアーナ・アリストに直接会って、どうするつもりなんだ。この醜い容姿で。彼女は人の容姿のことを悪し様に言ったりはしないというが、だからこそ、もし嫌そうな顔をされたらショックなのではないだろうか。……いや、何を怯えている。直接の面識は全くない少女だぞ。嫌そうな顔なんて、され慣れている。むしろ、美少女を近くで見られて眼福とでも思えばいいのだ。
だとしたら、この手紙に、俺の種族を書くわけにはいかなくなった。会ってもらえなくなる可能性が高いからだ。幸い、アドリアーナ・アリストの母親からの手紙にも、種族に言及する記載は一切ない。書きぶりからして純粋な人間だと思い込んでいる節はあるが、まあ触れなくていいだろう。
……などと考えた一週間と少し前の自分を殴ってやりたい……!
俺は今、アリスト家の玄関の前で突っ立っている。いや、さすがに声もかけずにこんな不審者紛いなことをしているわけではない。待たされているのだ。
ガチガチになりながら時間ぴったりにやってきた俺は、アリスト家の呼び鈴を鳴らした。こういうのは時間から早くても遅くても良くないと聞いたことがあったからだ。
すぐに、とても美しい夫人が出てきた。アドリアーナ・アリストの母親らしい。その夫人は俺を見るとギョッとしたように目を見開いて、名前を確認してきた。ラーシュ・ヴィルムですと答えると、夫人は顔を引きつらせながら、申し訳ありませんが少々お待ちくださいませと早口に言って、ドアを閉めた。
俺はもう後悔の嵐である。種族くらい大人しく書いておくんだった。それで断られるならそれでも仕方なかったのだ。だって俺は、獣人の中でもかなり残念な容姿をしているから。これでは亜人と不細工の不意打ちダブルパンチである。やってしまった。
もう自主的に帰りたくなりながら、お引き取りくださいの宣告を待つ俺。情けない。耳がペタンと伏せられるのが分かった。
しかし、再びドアを開いて現れた夫人の対応は、俺の予想を遥かに超えるものだった。というか、夫人が出てきたことが驚きだ。護衛かなにかで雇われた男が出てきて、お引き取りくださいと言われるものかと。
「お客様を外で待たせるなど、私はどうかしておりました。申し訳ございません。どうぞ、中へお入りください。娘が待ちわびております」
ポカンと口を開けてしまった俺は悪くないと思う。
「え、えっと……いいんですか?」
「ええ。お入りください」
「お、お邪魔します……」
この展開は予想外だ。この展開は予想外だ!
というか、アドリアーナ・アリストに会ったらまず何を言うんだったか。やばい、シミュレーションが吹き飛んだ。誰か助けてくれ。
生きた心地がしなくなりながら歩いていると、すぐに部屋の前に着いてしまった。この中にアドリアーナ・アリストが待っているらしい。こんな時でも無意識に気配を読んでしまう。部屋の中心に一人、これがアドリアーナ・アリストだろう。あとは、部屋の隅に一人。こちらは護衛だろうか。
と、とにかくまずはノックだな。よく思い出した俺、偉いぞ。そっと二回、扉を叩く。
「どうぞ」
月並みな表現だが、鈴を転がしたような声だった。心臓がバクバク言っている。醜い姿を見られる前に踵を返してこの場を去りたい衝動に駆られるが、今更そんなことができるはずもない。俺はそっと扉を開いた。
そこにいたのは、信じられないような美少女だった。ふっくらとした、しかし太すぎない絶妙な身体に、優しげな細い目。低い鼻に大きな口。真っ白い綺麗な肌、背中までのばされた艶のある金髪。美しい、と純粋に思った。
そんな彼女は俺を見て、笑顔になりかけの半笑いの表情になった。そんな顔でも可愛いあたり、神の理不尽をひしひしと感じる。おそらく入ってくる男に対して礼をしようとしたのだろうが、それも中途半端な状態で固まっている。
「あ、う……」
彼女が呻いた。……申し訳なくていたたまれない。あまりに予想を超える醜さだったのだろう。さっさと帰ってやらなかったことを俺はまたも後悔しながら、部屋に一歩足を踏み入れた状態で動けなくなっていた。