その後【6】前編
どんなにアレな見た目のヒトが出てきても、笑顔で迎え入れる覚悟だった。少なくとも性別・女でさえあれば、どんなにアレな感じでも、兄にとっては唯一無二の得難い女性だ。たとえ兄以上に直視に堪えなかろうが何だろうが、受け入れる決意で俺たち家族は今日という日を迎えた。……の、だが。
――アウトォォォォォォォォ! これはアウトォォォ!
俺は、抱いていた懸念を正反対に振り切ってくれたその女性に、心の中で絶叫した。
始まりは一通の手紙だった。意外と達筆な兄の字で宛名が書かれた、飾り気もクソもない白い封筒。中身には、メモ用紙に殴り書いたような手紙がぺろっと一枚。時候の挨拶なんて入るわけもないその手紙の内容は、簡潔だった。
『とてつもなく可愛い年下の彼女ができた。人間だ。結婚も視野に入れている。一緒に帰省するからよろしく頼む』
そして帰省予定の期日と、署名。以上。そりゃ、こんなの、うちはパニックだ。
兄貴の名はラーシュ・ヴィルム。弟の俺が言うのもなんだが、悪魔の子どころか、悪魔のラスボスみたいな容姿の男である。
兄貴に彼女。しかも人間。よろしく頼むってなにをどこまで頼まれているんだろうか、うちの一家は虎獣人である。ついでに言うなら兄貴ほどではないにしてもそれなりに凶悪顔揃いである。
なあ兄貴、頼むってなに。盛大にもてなしてほしいのか、ほしいのは一応家族に顔見せしたって事実だけで、速やかに終えて彼女とやらが怯える前に帰りたいのか。手紙の文面からは、どちらとも取れる。
なんなら威圧しないように、俺は姿を隠していようか。それを要求されたとしても、俺は全く構わない。何故ならお互いさまだから。俺に彼女ができて、家族顔見せという地獄イベントをこなす時が来たとして、ぶっちゃけその場に兄貴だけは勘弁してくれと思う。兄貴は運悪く都合がつかなかったことにするだろう。だって、馬鹿正直に見せて、これと義理の兄妹はちょっと嫌だって引かれたら悲しいだろ。
兄貴の嫁候補お披露目帰省について、お袋と親父、そして俺の五回にも及ぶ家族会議が開催された。延長戦しまくりだ。結果決まったことは二つ。
一つ、俺と両親の三人、つまり家族全員で盛大にもてなすこと。兄貴の顔面に耐えられるなら俺たちが勢ぞろいしててもまあ大丈夫だろうし、不都合があるなら手紙に書かなかった兄貴が悪い。
そしてもう一つ、なにが出てきても笑顔で受け入れること。兄貴は手紙でとてつもなく可愛いとか言っているが、あの兄貴のお相手だ。惚れた弱み、恋は盲目ってやつの可能性は非常に高い。だが、それでも兄貴にとっては唯一の得難い女性。ならばたとえ兄貴と同じような顔をしていても、家族になる俺たちは笑顔で受け入れてみせよう。
という、ある種悲壮な覚悟を持って今日という日を迎えた俺たち一家。
「アドリアーナ・アリストと申します。ラーシュさんには大変お世話になっております」
…………いやあの。えっ。あれっ。
一時停止した脳がようやく動き出して、最初に思い浮かんだ言葉は「詐欺」だった。これやばい。やばいやつだ。美しすぎるこの女性の笑顔にコロッといって、ありとあらゆるものを貢ぐ兄貴の姿が容易に想像できる。しかも兄貴、それなりの高給取りかつ金がかかる趣味は持っていないはず。カモだ! ネギ付きだ! おいおいおいおい!
俺はどんな顔をしていたのか。なんとか挨拶を返したきり動けなくなった両親と弟に、兄貴はやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「犯罪に手を染めたわけではないぞ」
理解に少し時間を要した。そうか、これは……。世間一般からしたら、兄貴という悪の化身が美しい姫を無理やり手篭めにしてぐへへって感じに見える。そうにしか見えない。というか、一回そういう目で見たら、兄貴の人柄をちゃんと知っている俺にすらも目の前のこれがそういう状況に思えてきた。いけないいけない。
俺も兄貴の家族だ。兄貴のことは一応知っている。兄貴は、どんなに絶望的に女にもてなくて惨めでも犯罪行為に及ぶようなことは絶対に……、……いやおそらくというか、きっと、多分、しないだろうとは思いたい。
……ま、まあ、もし仮にだ。一時の勢いで何かしでかしちまうようなことがあり得るかどうかは置いておいてだ。少なくとも相手の女にその気持ちがないのに、家族に平然と紹介できるような精神構造をしてないのは確かだ。大丈夫、彼女はちゃんと同意の上でここに来てる。大丈夫。そう、大丈夫。
俺達には時間が必要だった。とりあえずお袋が、疲れたでしょうとか何とか言いながら、用意していた部屋に彼女を通す。兄貴も一緒に行ったようだ。
早速、一緒に残された親父とアイコンタクトだ。会話はせめて扉が閉まってからじゃないと、小声でも兄貴の高性能な耳が拾いやがるからな。
(なにあれ?)
(わからん)
(いやわからんじゃなくてなにあれ?)
(こっちが聞きたい)
親父の目は俺と同じで困惑しか映さない。使えねえ!
全く考えがまとまらないので視線を逸らし、一つ深呼吸をする。
改めて考えたら考えるほどマジでやばいぞ、これ。たとえば兄貴がむしり取るだけむしり取られてこっ酷く捨てられたとしても、彼女が上手に涙の一つも流してみせれば世間的には兄貴が悪者だ。だっておかしいもん顔面格差が。兄貴がなんらかの無理強いをしているとしか思えない状況が作られている。
あの美しすぎる女性が、そこまで……用が済んだあとの捨てやすさまで考えて兄貴を選び、せっせと貢がせているとしたら。だとしたら俺たちがなんとか兄貴の目を覚まさせて引き剥がしてやらないと、兄貴は破滅一直線だ。ぞっとする。あんなんでも一人しかいない大事な兄だ。
兄貴と彼女…アリスト嬢が到着したのは昼前だった。兄貴の雑な手紙に書いてあった通りなので、俺たち一家は予定通り歓迎会を兼ねた昼食の準備をする……という名目で、三人で狭い台所に篭った。実際行われているのは、歓迎会の準備三割、作戦会議七割である。アリスト嬢が準備を手伝おうとしていたが、そこは兄貴と二人で部屋にいてもらうことにした。
「……と、いうわけでさ。俺は正直あれはやばいから、兄貴の目をなんとか覚まさせないといけないと思うんだけど、親父とお袋はどう思う?」
俺が自分の考え……兄貴が財布扱いからの捨てられるという説を話すと、両親ともに渋い顔をしていた。まあそりゃそうだ。
先に口を開いたのはお袋だった。
「でも、騙されてるって確証もないわけだし……。母さん、アリストちゃんがラーシュを騙したり貢がせたりする意思だけで一緒にいるとは思えないのよね」
「なんで?」
「女の勘。あと、強いて言うならアリストちゃんの目かしら」
「……」
逆に俺には、騙したり貢がせたりする目的以外であの女神のような女性が兄貴のそばに寄るとは思えないんだけど。そういや二人、結構近付いてたけど拒否反応出ないんだな。若い女の子……しかもあんなに綺麗なら親が汚いものになんて近付けさせないだろうし、育ち良さそうだったし、兄貴があそこまで接近しても全く嫌な顔をしないというのはすごいと思う。……あ、汚いって言ってしまった。言葉のあやだ。
次に、黙考していた親父が口を開いた。
「ラーシュももう成人した、一人前の男だ。何もわからないような年ではない、ある程度わかってやっているんだろう。恋人のような関係を金で買っている気でいるとしたら、それに口を出すってのも野暮な話だろう?」
「それは、明らかに財布としか見られていなくても?」
「そうだ。取り返しのつかない借金をするほど愚かでもないだろうし、あれは身体能力にかけては紛うことなき天才だ。夢が終わったあと、金を稼ぎ直すことは不可能ではないはずだ。俺たちは来る時が来たら傷心のあいつを慰めてやれば、それでいいんじゃないか」
二人ともこのまま黙認するってことか。お袋はそもそも騙されてないってお花畑状態。親父はそれよりは現状が見えているが、不干渉を貫くつもりだ。
「そっか、二人の考えはわかった」
……俺は、それでいいとは思わない。それはきっと、俺の容姿も一般に受け入れられるようなものではないからだ。単純に顔面が絶望的な兄貴とは少し違うが、俺も兄貴と同じくらい女性、特に人間の女性には忌避される。だから兄貴を自分と重ねる。兄貴が食い物にされるのをみすみす見逃すわけにはいかない。
兄貴には悪いが、アリスト嬢には早いとこ我慢の限界を迎えてもらって、兄貴への寄生に耐えられなくさせよう。得られる蜜よりも不快感の方が勝つように仕向ければ、離れていくはずだ。
手始めに、歓迎会のテーブルを少し小さいものに替えた。物置で埃をかぶっていた予備をひっぱり出してきて、綺麗に洗う。腕力だけはあるので重労働でもなかった。そして、アリスト嬢と兄貴の椅子をわざと密着させてセットする。これで、兄貴とも俺たち家族ともより至近距離で座らざるを得まい。本来はこっちも気を使って、あまり俺たちを間近で見ずとも済むようにスペースにはゆとりを持っていたのだ。
そんな作業をする俺を、両親は止めることも手伝うこともしなかった。それはつまり、自分たちとは考え方が違うから協力はしないが、俺のすることを邪魔するつもりもないってことだ。
次に、昔のアルバムを持ち出す。これは、お袋が描いた兄貴と俺の子供の頃の絵がファイリングされているものだ。お袋は似顔絵の絵師として収入を得ていて、写実的な絵がものすごく上手い。そのお袋が俺たちの成長の記録を残そうと、節目節目に描いてくれた絵だ。上手い分、正直醜悪な仕上がりだが……事実だからしかたない。
昔の兄貴にもちろん興味ありますよね、みたいな感じで無理やり見せてやろう。気分の悪さを外面に出さず、どこまで楽しそうに振る舞えるか、見ものだ。なんか悲しくなってきたけど気のせいだ。くくく。
そして、それでもダメだったら……。俺は、今日アリスト嬢が来る前に丁寧に巻いた左手の包帯を見る。最悪の場合、これを解いて俺の左腕を見せつけてやろう。悲鳴をあげるか、そこまではいかなくとも、確実に眉をしかめるくらいのことはするはずだ。その嫌そうな顔を見れば、兄貴だって自分のしていることがどれだけ不毛か、少しは自覚してくれるはず。