その後【2】
アドリアーナ・アリスト。この町において、彼女は非常に有名だ。豪商の娘であり、ほぼ完璧と言えるほどに整った容姿を持つが、それを鼻にかけない性格をしている。なおかつ、先日成人したばかりの結婚適齢期。これで話題にならない方がおかしい。
そんな彼女には、現在とある噂が立っている。醜い獣人の護衛を雇ったらしい、というものだ。それだけなら、わざわざ獣人を選ぶというところに多少の違和感は覚えるが、別におかしなことではない。だが、その獣人が男で、若く、なおかつ指輪をしていない、つまり未婚であるというなら話は別である。
目撃証言曰く、護衛と二人で食事をしていた。曰く、二人で服飾系の店に入っていった。曰く、買い物をして護衛を荷物持ちに使っていた。
ひょっとしてそれ、護衛じゃなくて恋人なんじゃないかと聞く者もいたが、目撃者たちの多くは首を横に振る。あれはない、と。
だが、俺はまさかの本気で恋人なのではないかと思っている。実際に件の護衛らしき男性とアドリアーナ・アリストの二人と会話をしたため、こんなことを思うのだ。
先日、俺は偶然立ち寄った広場で、何やら人を待っているらしいアドリアーナ・アリストを見かけた。ダメ元でナンパしてみるが、やはり答えはノー。つれない返事しか返ってこない。これでも顔には自信があるんだが、やはりアドリアーナ・アリストのレベルではないから仕方ないかと思いつつも、連絡先くらいは手に入れられないかと食い下がっている時に現れた彼女の待ち人こそが、件の護衛と噂される男だと思うのだ。特徴が一致している。確かにあれは、同じ男として思わず気の毒になるレベルだった。
だが、待ち合わせで女を待たせるってのはあり得ない。男なら20分前には待ってろと言いたい。そんな思いもあって、俺はその男ではなく俺と遊ぼうと、アドリアーナ・アリストを誘った。その時、彼女の口からはっきりと、付き合っていると聞いたのだ。状況だけを見れば、俺から逃れるために護衛を恋人と偽ったとも思える。だが、あれは。アドリアーナ・アリストの、あの目は違う。本気であの獣人を慕っているようだった。だから俺は不覚にも、呆然と二人を見送ってしまったのだった。
とまあ、なんでこんなことを長々と回想したかというと、いるからだ。目の前に、その二人が。
「……アドリアーナ、さっきから何やってるんだ」
「気にしないで、ラーシュ」
「…………」
しかも二人はタメ口、ファーストネームの敬称なしという恐ろしい事態。
今俺は、今日オープンする洋菓子屋の前で並んでいる。開店記念に、限定二百個だけ特別な菓子の詰め合わせが販売されるのだ。そのため、開店前から並んでいるのである。こういうものはチェックしておくと、女性と話す時の話題になるから便利なのだ。
そして件の二人は俺の目の前、本当に目の前に並んでいる。というか一つ前だ。アドリアーナ・アリストは目立たないようにかツバの広い帽子を深く被っているが、関係不明の獣人が無駄に目立っているし、この間話したので声も覚えている。後ろ姿的にも、明らかにあの二人である。
「……いやだから、気になるんだが。アドリアーナ」
「えー、だって開店まで暇だしさ? なんていうか、揺れてるの見ると誘惑されちゃうんだよね」
獣人の男の尻尾を、アドリアーナ・アリストがつつく。尻尾が嫌そうに逃げて、男が非難するようにアドリアーナ・アリストを見る。アドリアーナ・アリストはにこにこと笑うだけ。ほとぼりが冷めた頃に、再び尻尾をつつく。尻尾が逃げて、以下エンドレス。
この二人、俺の目の前に並びながらこれを続けてくれていやがる。ちょっとわけがわからない。別にうるさいわけでもなく、具体的に迷惑をかけられたわけでもないんだが、非常にやめてほしい。というか、なんだこのペア。なんでこの二人が果てしなく仲良さげなんだ。
目を疑うと慣用句では言うが、本気で自分の目を疑うことって少ないと思うんだ。そんな超希少な体験をさせてくれた彼らに礼を言うべきだろうか。うん、絶対に嫌だ。
「あー……」
アドリアーナ・アリストが残念そうな声を出す。見ると、獣人が自分の尻尾を掴んで動きを止めていた。
「なんで捕まえちゃうの……」
「つつかれるから以外の理由があるとでも⁉︎」
「大人しくつつかれててよ」
「理不尽だなおい」
というかこの構図明らかに、アドリアーナ・アリストが獣人の尻尾を触りたがってるよな。何故。普通に気持ち悪いと思うんだが。少なくともわざわざ触りたがるものではないと思うんだが!
「うー……」
ワキワキとしながら手を伸ばすアドリアーナ・アリスト。その手から尻尾を守る醜い獣人。
……ああ、夢かな。ちょっと悪夢入ってるな。だってこんなにも頬が引きつる。
というかこれ、いつまで続くんだ? 開店までずっとこんな調子なのか? つらいぞ。
うんざりしていると、獣人がなにげなくこちらを見た。ばっちり目が合う。
「「……あ」」
「ん?」
アドリアーナ・アリストもつられて後ろを向く。
「あー、えーっと、どーも。いつかの広場以来デスネ」
まだ若干引きつっている気がする表情筋を駆使して笑顔を浮かべ、挨拶した。ナンパしただけの仲だが、二人は俺のことをしっかり覚えていたらしい。アドリアーナ・アリストが赤くなった。
「ど、どうも……。あの! ……今の、見てました?」
「尻尾を狙ってた件のこと?」
そりゃこんだけ目の前でやられたらな。
「うわぁぁ……」
アドリアーナ・アリストが頭を抱える。そんな姿は、もう異常なんじゃないかってくらい可愛らしい。隣の獣人も顔を赤くして彼女からそっと視線を外していた。気持ちはわかる。
「いやー、仲良さそうだね、ハイ。何よりデス」
主に獣人の方を向いて、獣人に対して言った。棒読みだ、わざとである。
軽く目を見開いた獣人は、片頬だけをつりあげてニヤリと笑った。いや、ちょ、リアルに寒気がしたんですけれども本当すみません勘弁してください。あんまり顔の事とか言いたくないんですけども、貴方のその表情はそれだけで犯罪臭がしますので許してください。
俺は引いた。申し訳ないが、ガチで引いた。思わず目をそらし、獣人の代わりにアドリアーナ・アリストを視界に収めると、彼女は隣の獣人を見つめていた。とけた瞳で。
……ん? もう一度見る。やはり、嫌悪するどころかうっとりとしているように見える。
……あれ?
「ああ、おかげさまで。アドリアーナとは、仲良くさせてもらっている」
獣人がよくわからないことを言ってくる。アドリアーナという、羨ましすぎる呼び名を使って。幸せそうに目を細める獣人を、どことなくトロンとした瞳で見つめるアドリアーナ・アリスト。
……ダメだ、そろそろ笑顔を保てなくなってきた。引きつる表情筋を御しきれない。
「や、やっぱり二人、付き合ってんの……?」
やべ、少し声が震えた。
答えたのは獣人の方だった。
「ああ、付き合ってる」
アドリアーナ・アリストに目を向けると、それに気付いた彼女は満面の笑みで頷いた。
俺は真面目な顔で、再び獣人に向き直る。
「あのですね」
真剣すぎて、思わず敬語である。
「はい?」
「こんなこと言いたくないんですが、もし精神操作系の魔法を使ったなら、それは犯罪です」
「ぶっ」
アドリアーナ・アリストが吹き出した。獣人は固まっている。
「実はそれ、お母さんにも同じことを心配されました」
アドリアーナ・アリストはケラケラと笑う。あー、やばいな。やばいくらい可愛い。めちゃくちゃ欲しい。
「大丈夫ですよ、そんなの使われてないです。というか、そんな魔法おとぎ話の中の存在じゃないですか」
「……なら、いいんだけど……。弱み握られたりしてない?」
「ふふ、大丈夫です。私自身の意思ですよ。ありがとうございます」
ようやく再起動を果たしたらしい獣人が、頭痛を堪えるように額に手を当てた。
「普通なら、失礼だと怒るところなんだろうけどな……。その懸念がもっとものことな気もするのが辛いところだ」
「あー、いや、失礼なこと言ってすいません」
そう言いつつも、ついジロジロと獣人を見てしまう。……マジかよ。
その時、獣人の耳がピクリと動いて、店の方へ顔を向けた。俺にはなにも変わりないように見えるが、獣人には違ったらしい。
「……どうやら、扉を開けようとしているみたいだな。時間か?」
そう言われて時計を見ると、開店一分前だった。オイオイ、獣人は聴覚が鋭いとは聞くがここまでなのかよ。まだ開いてないんだぞ。扉の向こうで何かしている音を聞き分けたってことか。
店がオープンし、二人は俺に会釈してから前に向き直った。限定の菓子詰め合わせをしっかり入手しつつ、俺はこのあとの予定を考える。
誰か暇なやつはいるだろうか。……この特大の話のネタを、誰でもいいから、どうか愚痴と共に聞いてほしい。
念のため。
本編でアドリアーナがナンパされた際、ラーシュは待ち合わせ時間の三十分以上前に来ています。
しかしアドリアーナは勝手に待ち合わせ一時間前に来ていたため、彼女が待つことになっただけです。