十三話
ステーキ専門のそれなりに高い店に、アドリアーナ嬢を連れて入る。護衛は同じ店で、別々で食べさせるとか。もう少し俺という生き物を警戒するべきだと本気で思う。こんな見た目だ、恋愛対象として見られているかはよくわからないが、俺だって成人した男なんだぞ。藪をつついて蛇を出す趣味はないので、言わないがな。
店に入って速攻で、店員がやらかしてくれた。
「いらっしゃいま…………い、いら、いらっしゃいませー。えっと、お一人様ですか? あ、申し訳ございませんご一緒ですね。お二人様で。はい、こちらの席へどうぞ」
並んでいる姿がつりあわないのは分かっている。俺も彼女も、真逆の意味で街ゆく人に二度見されかねない容姿なのも分かっている。援助交際でもあり得ないだろうってくらいにつりあわないのも分かっている。
だが、今。店に、明らかに、二人一緒に入ってきただろうが! 思い切り睨みたくなったが、それで店員に怯えられてしまうとアドリアーナ嬢に引かれそうで自重した。
案内されたのは、二人がけの席だった。アドリアーナ嬢と向き合って座る。何やらこちらを見てくるので、視線のやり場に非常に困った。
適当に注文を済ますと、アドリアーナ嬢が話しかけてきた。
「いいお店ですね、ラーシュさん。ありがとうございます」
「いえ、そんな」
「それでですね、ラーシュさん」
彼女は俺の目を見つめる。俺はどことなく居住まいを正した。
「私実は、まだ一度もラーシュさんに正しく呼んでもらってないんですよ」
「正しく? ……あっ」
俺は彼女を、数回だけ呼んだことがある。『アリストさん』と。正しく、というのは、つまり。彼女が二回ほど言ってきた、あれだろう。ファーストネームである。
彼女は無言でにこにこしている。謎の圧力を感じた。よ、呼んでいいのか? 悲鳴をあげられたりしたら俺は多分犯罪者になるんじゃないか?
「あ、えっ……と」
「はい」
「あ、アドリアーナ、さん……?」
「はいっ」
花が咲き誇るような笑顔だった。だ、だが言わなくては。
「えっと、アドリアーナさん。でもですね、女性ならいいんですが、この呼び名を不特定多数の男に使わせるのは、対外的にあまり……」
「あ、それは大丈夫です。私のことをアドリアーナと呼ぶ男性は、ラーシュさんだけなので。お父さんや兄さんには愛称のリアで呼ばれていますけどね」
「ああ、そうなんですか。ならだいじょ……」
う、ぶ? 大丈夫? は?
俺だけ? って、俺だけ?
「ラーシュさーん? お料理来ましたよ」
「え⁉︎ あ、はい」
目の前で手の平をひらひらされて、ハッとする。いつの間にか料理が運ばれてきていた。つまり、店員が近付いてくる気配も声も料理の匂いも拾わなかったのか、俺の五感は。大丈夫か今の俺。
「いただきます」
「……い、いただきます」
彼女が美味しそうに食べているのに少し安心しつつ、自分も食べる。気の利いた会話など俺に期待できるはずもなく、互いに無言だった。
自分の分をほとんど平らげた頃、彼女の食べるペースがかなり落ちていることに気付く。
「……食べ切れますか?」
「えっ?」
「いえ、食べるペースが落ちているようだったので、ひょっとして多かったのかな、と。あ、急かしているわけではないのでゆっくり食べてもらっても全然」
「実は、少し多かったみたいで……。時間もあんまりないのに、すみません」
「よければ、俺が多い分をもらいましょうか?」
俺は、特に何も考えずにそう言っていた。俺はまだ食べられるのだから、彼女が持て余すようなら俺が食べればいい。それくらいしか考えていなかった。
「えーっと、実は既にお腹いっぱいで。食べかけで申し訳ないんですけど、それでも良ければ……」
「そんなの別に気にしないですよ。いただきます」
俺は自分の皿を脇にどけて、彼女の皿を受け取る。大した量は残っていないのだが、彼女からしたら十分に持て余すような量なのだろう。味は……まあ、さっきまで食べていた自分のものと同じだから特筆することはない。いつも通り美味い、とだけ。
それから何口か食べたあたりで何気なく彼女を見て、俺はギョッとした。彼女は……アドリアーナさんは、真っ赤だったのだ。口元に手を当てて、困ったように少し俯いている。正直めちゃくちゃ可愛かった。……いや、何を考えている俺。具合が悪いのかもしれないだろ。
「あ、アドリアーナさん? どうしたんですか?」
「いいいいや違います、私違いますエロいとかそんな全然思ってないし」
「はい?」
早口でごにょごにょと何やら言っているがよくわからない。アドリアーナさんはブンブンと首を振る。なんだこの可愛い生き物。何を主張しているんだろうか……。
少し考えてハッとした。右手に持つフォーク。これ、誰のだ? さっきまで俺が使っていたフォークが机の上にあることを確認。ああ、そういうことだな。うん。
「えっとですね、これはわざとではなくてですね、あー……騎士団なんて荒っぽい男所帯にいると回し食いとか気にならないというかなんというか気付かなかったといいますか」
騎士団では色々雑なので、人のフォークとか気にするやつなんていない。……が、そんなことが言い訳になるはずもない。気休めにすらもならない。
「……すみません」
「い、いえ、そんな気にしないで……」
それでも健気に許してくれようとした彼女は、ふと我に返ったかのように言葉を切った。……や、やっぱりまずいか? そりゃまずいよな。刑の宣告を受ける罪人の気持ちが少し分かった。
そんな俺に、彼女は笑った。俺しか見ていないのが申し訳なくなるような、万人を惹きつける笑顔だった。そして、その顔で、言うのだ。
「やっぱりダメです。許さないです」
「え」
血の気が引いた。
「なので!」
纏まらない頭で弁明のような何かを口にしようとした俺を、彼女は遮る。
「罰として、今度のラーシュさんのお休みは一日、私がもらおうと思います。具体的にはお買い物とかお食事とかですかね。ちゃーんと予定を空けておいてくださいね?」
「はい?」
罰。お休みを一日貰う。お買い物やお食事。予定を空けておいて。
えっと、買い物や食事をするから、次の俺の休日を一日空けておけと。それで許してやる、ということだろうか? 彼女は今日も護衛をつけていたし、可愛過ぎるからよからぬことに巻き込まれる可能性もあるのだろう。だが、護衛をつけて邪魔じゃないかと言われたら、当然邪魔だろう。確かに、今日いるゴルダとかいう護衛の実力では、陰ながら守るには力不足の感はある。そこで俺か。俺なら、有事の際以外は彼女の視界に入らないように護衛することも……難しいが、不可能ではないだろう。なるほど、そういうことか。
「えーっと、つまり俺は、買い物するアドリアーナさんを隠れながら護衛すればいいんですね?」
「はい⁉︎」
顔を引きつらせるアドリアーナさんに、俺は首を傾げる。
「あれ?」
次の瞬間、アドリアーナさんは爆弾を投下してきた。
「非常に分かりやすいデートの誘いのつもりだったんですけど⁉︎」
「でーと……?」
でーと。それは、男女が二人きりで楽しくショッピングやら食事やらをする、あれか? あれなのか? 護衛じゃなくて?
彼女はにっこりと微笑んだ。
「ラーシュさん。次のお休み、いつですか?」
俺は息を呑んだ。
追記。
彼女に翻弄されすぎてちょっとわけがわからなくなっていた俺だったが、何とか伝票だけは死守した。危なかった。彼女、自分の分は自分で出すとか言い出したのだ。それは男として許せない。しかも昼食に誘ったのは俺の方なのだから。速攻で伝票をかっさらった自分の反射神経を褒めてやりたいと思う。