十一話
部下たちは、俺とアルフから距離を取る。正しい選択だな。アドリアーナ嬢の視界を遮る位置にも来そうだったのでチラリと目を向けると、慌てて人垣が割れた。
アルフは、俺が止まらないのを理解したのだろう。渋々といった様子ながらも、木剣を構えた。
「……いくぞ」
小声で告げ、姿勢を低くして斬りかかる。
普段部下を相手にしている時とは比べものにならないような速度で剣を振るうが、アルフはやはり対応してくる。何合か打ち合って思ったが、実力的には俺の方が上だ。もちろん、ある程度以上実力が伯仲していればあとは時の運が絡んでくるわけではあるが。まあ、ここで負けるという選択肢だけはない。
剣技については、実力は同程度。だが、パワーとスピード、それからおそらくスタミナも、俺の方が少しずつ勝っている。
それを確認して、俺は一旦距離を取った。アルフは大分疲弊しているようで、追って距離を詰めてはこなかった。肩で息をしている。いつもどこか手加減をしている俺は、本気で力を振るえる楽しさに打ち震えた。
アルフの息が整ってきた頃を見計らって、俺はもう一度仕掛けた。あまり長引かせても仕方ないので、今度は決着をつけるつもりで。
終わらせるのはそう難しくなかった。一瞬の隙をついてアルフの木剣を弾き、その首に俺の木剣を突きつける。アルフの木剣が転がっていった。
しばらく誰も動かなかった。アルフの荒い息と、周りで息を呑む部下たちの呼吸音がやけに響く。俺の高揚は、さっきまでが嘘のように急激に萎んだ。やらかしたかもしれない。アルフに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。八当たりばかりしている気がする。
情けない顔をしているであろう俺に、アルフは苦笑した。俺は木剣を下ろす。
「負けちゃったね」
「う……悪い」
「模擬戦で負けておいて謝られるとかちょっと屈辱なんだけど」
「…………」
アルフは困ったような顔をする。
今度、詫びに少し仕事を肩代わりしてやろう。裏方仕事を。俺は心に決めた。
完全に息を整えたアルフは、木剣を手に立ち上がった。
「さてと、休憩は終わりだよ。総員、訓練に戻って」
アルフと俺の模擬戦が結構な衝撃だったらしく、部下たちはどこかぼんやりとしている。発破をかけておくか。
「お前ら、訓練1.5倍なんだろう。規定時間までに終わらなかったら、俺がつきっきりで鍛えてやる。サービス残業だ」
その瞬間、部下たちが非常にいい動きを見せ始めた。これでよし。
アドリアーナ嬢が気になるが……、俺も気合を入れなくては。俺は部下に向き直った。
しばらくすると、昼食休憩の時間になった。
解散、の言葉にアドリアーナ嬢を見る。周りの部下どもも見ているようだが、それをどうにかしている余裕はない。訓練しているときよりもずっと存在を主張する心臓を宥めつつ、覚悟を決めた。不細工だろうがなんだろうが、俺も男だ。やってやる。当たって砕けたなら砕けただ。
「はぁ。ちょっと、……?」
アルフが何か言おうとしていたが、俺がアドリアーナ嬢に近付くのを見てか言葉を止めた。
「あー、その、……アリスト、さん。よければ、もしよければなんですが、一緒に昼食でも、その……いかがですか?」
背後からざわめきが聞こえてくる。小声だが聞こえないと思ってんのかてめーら。俺の聴力舐めてんじゃねーぞ。
くそ、やばい恥ずかしい。やばい死ぬ。これは死ぬ。死にそうだ。早く答えてくれ。ノーならノーで仕方ないから、早いとこバッサリ切ってくれ。
正面からアドリアーナ嬢の視線を感じる。上から下まで、しっかり見られているのがわかる。やめてくれ。醜男なのは自分でしっかり分かってるからそんなに見なくてもいいだろう。
答えないアドリアーナ嬢に、俺は耐え切れなくなった。
「…………すみませんでした、妙なことを言って。忘れてください」
「え?」
アドリアーナ嬢は不思議そうに聞き返してくる。それから、慌てたような顔になった。
「ぜ、ぜひ行きましょう!」
「……え?」
思わず真正面から彼女を見つめてしまった。
「お勧めのお店とかあったら教えてください。らー……えーと、ヴィルムさん」
今『らー』って言ったよな。言ったよな? その後に来る予定だったのは『しゅ』か? そうなのか?
というか、昼食いいのか? 俺とで?
「え? えっと、え? いいんですか?」
「はい、休みは一時間しかないんでしょう? 行きましょ?」
にっこりと微笑んだ彼女に、何かを言おうとしたが言葉にならなかった。俺は情けなく口をパクパクさせてから、頷いた。
ざわついていた背後の連中は静まり返っている。チラッと確認すると、どいつもこいつもバカみたいに口をあんぐりとあけていた。だよな。俺もお前らの立場だったらそうなるだろうよ。
俺の半歩後ろを、アドリアーナ・アリストがついてくる。彼女の護衛は、その更に後ろを少し離れてついてきていた。彼女がそうするように頼んだからだ。いやまあ確かに、外的危機からは俺一人でしっかり守れる自信はあるが、その護衛は俺から貴女を守ることが一番の仕事だと思いますよ。なのに離していいのか。もちろん思っただけであって、こんなことをわざわざ言うつもりはないが。
にしても、歩調が速いといけないと思って最初は相当ゆっくりにしたのに、どうやらこれでちょうどいいようだ。予想よりもかなりゆっくりから始めてよかった。少しずつ速めて調整するつもりだったのだ。だが、この速さではあまり遠くには行けないな。時間も限られていることだし。
「えーっと、このあたりでお勧めの店は……ステーキ専門店か、揚げ物か、チキンか、あと……」
そこまで言って、俺は口を噤んだ。女に勧める店じゃないだろう。
「……す、すみません。俺一人だと、そんなところにばかり行っているので……。えっと、洒落た店だと……」
俺は眉根を寄せる。洒落た店、というのが俺の脳内検索に一件も引っかからない。普段入らないからな。荒くれどもがうじゃうじゃいるような酒場なんかの方がよほど詳しい。……話にならない。冷や汗が滲んできた。どうしたものか。
「ふふ、私もお肉大好きですよ。お洒落じゃなくても構わないので、いつも行っているお店に連れて行ってもらえませんか」
アドリアーナ嬢には申し訳ないが、正直救われた気分だった。高速で頭を回転させる。この辺りの店で、まず治安が悪い所は却下。俺一人ならどこでもズカズカ入るが、今は論外だ。で、女性なら甘味とか好きだろうから、それを考えると……。
「えっと、じゃあ、その……今挙げた中ではステーキの店が一番お勧めで、多少甘味もあったと思うので、そこでも大丈夫ですか」
「はい」
それからなんとなく会話が途切れる。
俺はすぐ、違和感を覚えた。尻尾が、アドリアーナ嬢に見られている。俺は勘が非常に鋭い。他者から向けられる視線にも敏感なのである。戦闘漬けな俺の本能は尻尾が狙われているぞ、回避しろ、と告げてくるが、んなわけないだろう。アドリアーナ嬢は、おそらく獣人の尻尾を珍しがって……いや、変にオブラートに包んでも仕方ない。獣人の尻尾を気持ち悪がって、見ているのだろう。
俺は自分の尻尾を捕まえた。思わず少し強めに握ってしまって痛かったが、そんな情けないことはおくびにも出さない。
「あー、すみません目障りですよね。抑えとくんで気にしないでください」
「へ? あ、そゆこと? いや、目障りなんかじゃないですよ⁉︎」
焦ったような言葉に、顔がほころんだ。
「アリストさんは優しいんですね、ありがとうございます」
「……え」
しかし彼女の返事……のようなもの、からは、不機嫌が滲み出ていた。……俺は何かやらかしたか? 見た目で不快になられたとかならともかく、このタイミングで……というのは、心当たりがないんだが。俺はおそるおそるアドリアーナ嬢を振り返った。
「えっと……?」
「ラーシュさん」
ラーシュさん⁉︎ さっきはヴィルム呼びだったから、それでいくのかと……。
「は、はい⁉︎」
「ラーシュさんって呼んでもいいですよね?」
は?
「ダメでしたか?」
「いや、むしろ嬉し……ああその、……」
「なら、私のことはファミリーネームで呼ぶとか不公平ですよね」
「……えっと?」
「そう思いませんか?」
「……あー、思います? いや、えっと……はい、思います」
いや思わない? これ、思わないんじゃないか? よくわからない。
「ちゃんとアドリアーナって呼んでくださいね」
はにかむ彼女に、俺はまたも真っ白になった。振り回されてばっかりじゃないか? いや、彼女に振り回す気はないのか。俺が勝手に振り回されているだけだ。……情けない。一昨日から何度思ったかしれないが、またそう思った。