十話
あれよあれよという間に、隊長さん対ラーシュさんの模擬戦が決まったらしい。流れがちょっとよくわからなかったんだけど。というか、ラーシュさんだけ殺気立ってて隊長さんは若干腰が引けてる気がするんだけど気のせいなのかな?
他の獣人さんたちは二人の戦いを見物する方向でいくみたいだ。結構広い距離をあけて二人を囲んで立っている。ちなみに私から囲みの中の二人が見えるのは、囲みが形成される時にラーシュさんがチラリとこちらを見たからだ。そこに来ようとしていた獣人さんが慌てて別の場所に移った結果、私の場所から二人がちょうど見えるようになっていた。
仕掛けたのはラーシュさんだった。木剣で隊長さんに斬りかかる。そう、刃がないとか関係なく、あれは『斬りかかる』だ。木剣だけど、当たったら命取られるんじゃないの? と、まともに認識できたのは、なんと初撃だけだった。私の動体視力が悪いのか。いや、悪いのは二人の速度だと思う。右に振り抜いたはずの木剣は、次の瞬間には何故か左に弾かれた後で、あれ、と瞬きをしている間に二人の立ち位置自体が入れ替わっている。おいおいおいおいマジですか。なんですかこれ。録画映像の早送りですか。
そうこうしているうちに、気付くと二人が離れていた。離れる時の動きすらもろくに見えなかったよ、あれー?
隊長さんは肩で息をしていて、ラーシュさんは楽しげに顔を歪めながら軽く息を弾ませていた。完全に悪役ですね見目麗しいラスボスです本当にありがとうございました。私は勇者よりも魔王派です。私に優しくしてくれること前提なら、ですけども。はい、どストライク。お兄さんかっこいいですね、ちょっと試しに私と付き合ってみませんか。
そんなことを考えているうちに、二人はもう一度ぶつかる。今度はすぐに決着がついた。
ラーシュさんが隊長さんの首に木剣を突きつけた状態で、二人は動きを止めていた。隊長さんの手から弾き飛ばされたらしい木剣が、カランカランと音を立てて転がる。
しばらく誰も動かなかった。隊長さんの荒い息と、ラーシュさんの軽く上がった息。その呼吸音だけが響く。
隊長さんの息が整ってきた頃、ラーシュさんは少し気まずそうな顔をしていた。それを見て、隊長さんが苦笑する。
「負けちゃったね」
「う……悪い」
「模擬戦で負けておいて謝られるとかちょっと屈辱なんだけど」
屈辱、と言いつつ、隊長さんは困ったような顔をしていた。
少しして、つつがなく訓練が再開された頃。
「うっわぁ……」
ようやく目の前で起きていた出来事に現実味を持てた私は、思わずため息のような声を漏らした。半端ない。マジで半端なかったよ、何あれ。
極力小声でゴルダさんに質問する。
「ゴルダさんゴルダさん、あのレベルの戦闘ってこの世界では……じゃなくてえっと、普通のことなんですか?」
「いや、そんなわけないです。獣人部隊の隊長と副隊長ということは、この国最高レベルの戦闘能力を誇りますよ、彼らは」
マジで。え、マジで。ラーシュさんそんな存在? でも確かにさっきのはなんていうか、人間兵器だったよね。目で追えない動きを実際にやってのけるとかどうなってるんだろう。
……うん、ちょうどいいな。これで本格的に惚れたことにしよう。その強さに惚れました的な感じでいこう。実際はほぼ一目惚れだけど、ラーシュさんの容姿に一目惚れするような要素は皆無らしいからね。
……皆無、かぁ。私はラーシュさんに目を向ける。最初は一対二で戦っていたはずの彼の訓練は、いつの間にか一対三に変わっていた。それでも全く危なげないのはどういうことだ。戦闘中だとさらに鋭くなる切れ長の目に、スッと通った鼻梁。薄い唇。引き締まった無駄のない体。一目惚れするような要素がぎゅっと凝縮されていると思うんだけど。
少しすると、訓練が中断された。一時間の昼食休憩らしい。一時間後にこの場所に再集合、それまでは各自自由だとか。アルフさんが説明していたけど、騎士の皆さんに伝えるというよりは多分、私に聞かせるために言ってくれたんだと思う。ありがとうございます。
解散、の言葉を聞いて、私はラーシュさんを見た。彼を含む獣人の皆さん四十数名も私を見つめていた。……いやいやいやいや。知ってるけどさ、美少女(笑)なのは。なんで誰一人として出て行かないの。なんでこっち見るの。なんで互いに牽制し合ってるっぽいの。まさかこの子豚と昼食食べたいとかそういう感じ? 違ったら自意識過剰で死ねるけど、合ってそうで怖いよ。
「はぁ。ちょっと、……?」
見かねたらしい隊長さんが何か言葉を発しようとして、止まった。ラーシュさんがこちらに歩いてきたからだ。
「あー、その、……アリスト、さん。よければ、もしよければなんですが、一緒に昼食でも、その……いかがですか?」
顔を真っ赤にして微妙に視線を逸らし、私の顔を直視しないようにしつつ誘ってくる大柄なワイルド系イケメン。ピコピコと忙しなく動く耳、ピンと固まってプルプル震えているしましま尻尾。正直に言おう、くっそ可愛い。悶えそう。脳内アルバムに激写だ激写。
「…………すみませんでした、妙なことを言って。忘れてください」
「え?」
しょぼんと項垂れるラーシュさん。三角耳はペタンと伏せられ、尻尾も力なく垂れる。
……ちょ、無視してない! 私無視してないよ! そんなつもりじゃなかったんだい! 悶えてただけなんだよ!
「ぜ、ぜひ行きましょう!」
「……え?」
信じられないものを見た、というような顔で私を見るラーシュさん。
「お勧めのお店とかあったら教えてください。らー……えーと、ヴィルムさん」
ラーシュさんが私のことをアリストさんって呼んだってことは、ラーシュさんって呼ぶべきじゃないよね。
「え? えっと、え? いいんですか?」
「はい、休みは一時間しかないんでしょう? 行きましょ?」
にっこりと微笑みかけると、ラーシュさんは口をパクパクさせてからこくり、と頷いた。
ラーシュさんの斜め後ろをついていく。護衛のゴルダさんは、私の後ろを少し離れてついてきてくれている。ラーシュさんは、彼の長い足なら普段はもっとずっと速く歩くんだろうに、私に合わせてかその歩みはとてもゆっくりだった。てかほんとに長い足をしていらっしゃいますね。
「えーっと、このあたりでお勧めの店は……ステーキ専門店か、揚げ物か、チキンか、あと……」
ラーシュさんはそこまで言って、気まずそうに口を噤んだ。
「……す、すみません。俺一人だと、そんなところにばかり行っているので……。えっと、洒落た店だと……」
ラーシュさんは眉根を寄せる。どうやら心当たりがないらしい。まあ、虎だもんね。お肉好きそうだよね。
「ふふ、私もお肉大好きですよ。お洒落じゃなくても構わないので、いつも行っているお店に連れて行ってもらえませんか」
思わず言ってしまったけど肉が好きな女子ってどうなの? まあいいか。食の好みが似てるっていいことだよね。
「えっと、じゃあ、その……今挙げた中ではステーキの店が一番お勧めで、多少甘味もあったと思うので、そこでも大丈夫ですか」
「はい」
にしても。にしても! そのゆらゆらしている尻尾は私を誘っているんですか? 身長差の関係ですっごいいい位置にあるんですけど、ちょっと触っちゃダメですか掴んじゃダメですか痛くしないから! い、いやダメだ落ち着け。ああっ、でもすごい魅惑的に揺れてますよラーシュさん。
猫じゃらしを見つめる猫のようにウズウズしながら尻尾を見ていると、ガッ、と。突然、その尻尾は乱暴に掴まれてしまった。他ならぬラーシュさん自身の手で。
「あー、すみません目障りですよね。抑えとくんで気にしないでください」
「へ? あ、そゆこと? いや、目障りなんかじゃないですよ⁉︎」
獣人の持つ、人間にない特徴は基本的に歓迎されない。おぞましいとかで。多分、私が尻尾を見つめていたのは、気持ち悪がってだと思われたんだろう。むしろその抑える役、私がやってあげたいくらいです。
「アリストさんは優しいんですね、ありがとうございます」
「……え」
今アリストさんって呼んだよね? たった一文字にこめてしまった、私の戸惑いと不機嫌を過敏に感じ取ったのか、ラーシュさんはどことなくぎこちない動作で振り返った。
「えっと……?」
「ラーシュさん」
「は、はい⁉︎」
「ラーシュさんって呼んでもいいですよね?」
ラーシュさんは、口をポカンとあけた。
「ダメでしたか?」
「いや、むしろ嬉し……ああその、……」
「なら、私のことはファミリーネームで呼ぶとか不公平ですよね」
「……えっと?」
「そう思いませんか?」
「……あー、思います? いや、えっと……はい、思います」
なんか気圧されて返事した感がすごく出てるけど、まあいいよね。私はにっこりと笑った。身長の関係で上目遣いである。
「ちゃんとアドリアーナって呼んでくださいね」
「なっ…………」
ラーシュさん絶句しちゃったけど、ちゃんと一昨日言ったよね? 絶対言ったよね。
せっかく美少女(笑)に生まれさせてもらったんだ。放っておくとラーシュさん、勝手に諦めちゃいそうな気がするから、こっちの好意が伝わるまでアタックする所存である。