《虹・カーテン・紙飛行機》
何一つ言葉を伝えきれなかった僕と最後まで言葉を伝えようとしていたわたしの話。
紙飛行機を飛ばす。
何度も何度も飛ばす。
全て、君宛のメッセージ。
窓辺のカーテン越しに深いため息をつく。
飛ばしても飛ばしても、紙飛行機は思うように飛ばない。
君の元へ飛んでほしいのに…
なんでだろうね。君はあんなに簡単に飛ばしてきたのにな。僕は、まだ、君みたいに飛ばすことすら出来ないみたいだ…
二階の窓からは、大きな月が見えて、暗い群青色の空によく映えていた。
すーっと心地良い風が吹いた。夏の風は、昼間より少しだけ冷たく感じられた。
想いを馳せるのは、一年前のこの部屋、この場所…
懐かしいあの声…
高校二年生の君が、まだ僕の隣にいた頃の懐かしい記憶…
「真生くん、まーおくん」
「何」
「横山真生くん!」
「…だから、何」
僕はほとんど無口で人見知りだった。話すことは最低限で、クラスでも浮いていた。そんな時に話しかけてくれたのが、隣の席の城島七海だった。
城島は僕なんかと正反対で、明るくて気さくで、いつも笑ってた。
「もっと笑わないと!そんなんだから、みんなに逃げられちゃうんだよ」
「…人が一番気にしていることを……」
「にっこり挨拶!これ基本だよ」
「……はい、はい」
城島は、毎日僕に説教でもするかのように、話しかけてきた。仕舞いには人が気にしていることを、ズバズバ言ってきた。
そんなある日…
城島が、隣のアパートに引っ越してきた。
席も隣でアパートも隣だなんて…
正直、嫌だった。
城島が夢の中にまで出てきて、説教し出すんじゃないかと思った。
しかも、丁度城島の部屋は僕の部屋と向かい側にあった。
窓もカーテンも締め切ればいいや、と思っていたが、真夏の暑さには耐えきれなかった。しばらくは耐えたが、こっちが熱中症にでもなりそうだと思い、仕方なく開けた。
城島が引っ越してきて、初めて窓を開けたその日……
夏の風に乗ってすーっと、窓から何かが入ってきた。部屋の隅に落ちたそれは黄色い紙飛行機だった。
僕は窓の外を見た。誰もいない…
時計を見ると夜の十二時をとっくに過ぎていた。こんな夜中に誰が…
向かい側のアパートの部屋を見ると明かりがついていて、窓が開いていた。カーテンが風に揺られて、ひらひらと動いていた。
城島が……??
黄色い紙飛行機を拾い、しばらく考える。
まさか、紙飛行機に盗聴器つけるとかそんなことないよな?
少し疑いつつも、紙飛行機を裏に返したり振ってみたりした。何も出てきそうにないので、あきらめて、紙飛行機を開いてみた。
すると、そこには、小さくてどこか癖のある城島の字で
゛こんばんは゛
と、一行だけ書かれていた。
どういう意味かわからず、取りあえず僕も机の上に転がっていたペンで
゛こんばんは゛
と、同じように書いた。
紙飛行機を折り直して、城島の部屋の中に向けて飛ばした。けれど、カーテンが邪魔をして、紙飛行機を冷たくあしらった。紙飛行機は跳ね返り、窓の外の柵に挟まった。
これじゃ、気づかないかもな…
深い溜め息。
けれど、部屋の中から白い手がすっと伸びてきて、柵に挟まった紙飛行機を取った。
ほっと、安堵の溜め息…
しばらくして、また、部屋に紙飛行機が飛んできた。
゛真生くんは、話すの苦手でしょ?こうすれば、たくさん話してくれると思ったんだ゛
城島は、僕を気遣ってくれたのだ。そのさり気ない優しさが、すごく嬉しかった。
それから、僕と城島はたくさんのことを話した。家族のことや、友達の話。本当にたくさんのことを話した。
けれども、やっぱり僕は自分の話をするのが苦手で、いつも城島の話を聞く側だった。
アパートに引っ越してきた理由は、城島の両親が離婚したためだった。今はお母さんと妹と3人暮らしなのだ、と僕に教えてくれた。
゛まぁ、仕方ないよ。元々、仲悪かったし゛
゛寂しくないのか゛
゛そりゃ、寂しいよ。でも、もう、私だって高校生だし、いつまでもそんなこと言ってらんないよ゛
゛そうだけどさ゛
゛真生くんは、優しいね。おやすみ゛
いつも通り、城島から最後の紙飛行機が送られる。
僕は、おやすみと書く代わりに、城島に手を振った。城島も、嬉しそうに手を振り返してくれた。
そして、お互い、窓を閉めた。
急に、城崎は、自分より大人だと感じた。
それは、学校では見せない城島の弱さを知ってしまったからかもしれない。
でも、城崎が、僕に紙飛行機を飛ばしたのは、やっぱり一人という寂しさからではないかと思ってしまう。
考えているうちに、もう一つ紙飛行機が部屋の中に落ちていることに気がついた。
なんだ…??
不思議に思って、拾い上げた。赤い折り紙で作られている紙飛行機…
紙飛行機を開く。そこには、小さな文字で何か書かれていた。
小さくて読めないな…
仕方なく机の上に置いてあった眼鏡を掛けて、目を凝らしてみた。
゛好きなんだけど゛
…………え??
なに…、どういうこと…
たった一言なのに、頭が混乱する。
嘘だ…
きっと、何かの間違いだ。
でも、もし、間違えではなかったら…。本当だったら…
もしかしたら、城島の紙飛行機じゃないかもしれないし…
そう思い込もうとしているのに、心臓だけは高鳴り、冷静ではいられなかった。
それに、城島の好きという言葉が、友達としてなのか、なんなのか、それすら分からなかった。
それほど、混乱していたのだ。
僕は、慌てふためいて、結局その夜は眠れなかった。
そして、それ以来、城島からの紙飛行機の手紙は一切届かなくなった。
多分、城島は僕からの返事を待っているのだろう。ずっと…
学校では、普通に接してくれているけれど、どこかぎくしゃくしている。
僕も、城島を今までのようには見れなくなってしまっていた。
そんな日が続いたある日…
夏も終わろうとしていた時期に、また、僕の部屋に紙飛行機が落ちていた。
オレンジ色の折り紙で折った紙飛行機だった。
緊張しながら、紙飛行機を開いていく。
゛ごめん。迷惑だった?゛
その字は、やっぱり城島の字だった。小さい文字が微かに震えているような気がした。
急に、申し訳ない気持ちが募って、自分でもどんな返事をすればいのか分からなくなってしまった。
続けて、もう一つ紙飛行機が部屋に入ってきた。
緑っぽい紙飛行機には、
゛ごめん。でも、好き゛
とだけ書かれていた。
僕は、なんとか返事を書かないといけないと思って、床に落ちていたペンを握り締めた。
今までにない程、たくさん考えて、言葉を探した。
でも、その言葉を捜し当てることが出来ない…
何を書けばいいんだ…??
どうすれば、城島に届くんだ??
伝えたい想いがたくさんあるのに、それを言葉にできないんだ。
胸に鈍い痛みを抱えながら、僕は、布団を頭からかぶる。
あぁ、また、城島の想いから逃げてしまった…
そして、翌日…
思いがけないことが起こった。
城島が死んだのだ。
……事故だった。
目の前には、横たわる城島がいて…
周りでは、たくさんの人が泣いて…
取り残された城島のお母さんが、涙ぐんでいる…
状況を理解出来ない城島の妹が、泣き出すお母さんを心配している…
なのに、自分は涙さえ出なくて…
城島が死んだという現実を、受け止められなかったんだ。
僕は、まだ、城島がどこかで生きているって信じたかったのだ。
指先が城島の手の甲に当たる。
城島の手は、冷たかった…
僕が想像していたのよりも、ずっと冷たくて、同時に胸の鈍い痛みが激痛に変わった。
だれか…嘘だと言ってくれ…
何でだよ…
まだ、城島に伝えてないのに…
何も伝えきれてないのに…
耳に届くのは、泣き声。
それしか届かない。
一瞬で目の前が真っ白になった。僕の世界から色が、失われたかのようだった。
そして、現在の僕…
無事に高校を卒業して、大学に通っている。どうしても、地元から離れなくなくて、近場の大学を選んだ。
この場所から離れてしまえば、城島を忘れそうになるからだ。
忘れてしまえば、楽なのかもしれない。苦しみも悲しみも、全部忘れたら、また、再出発できるかもしれない。
でも、やっぱり城島を忘れたくない。
失ってから気づく、大切なもの…
失ってからじゃ意味がないんだ。もう、遅いのだ。
でも、そうじゃないと僕は気づけなかった。
今もなお、想いを伝えられなかった後悔が募るばかりだ。
僕の中には、後悔しかない。
だから、こうして今日も、家の二階の窓から紙飛行機を飛ばす。
いつ届くかなんて分からない。
もしかしたら、永遠に届かないかもしれない。…それでもいいんだ。
いつか城島に届くって信じて、紙飛行機に思いを込める。
紙飛行機には、゛城島が好きだ゛という一言…
城島に、届け…
赤い紙飛行機が空高く飛んでいく。
気がつけば、月は沈み、朝日が昇っていた。太陽に向かって、赤い紙飛行機が飛んでいき、だんだんと見えなくなる。
輝かしい朝日が、冷たくなった体を暖めてくれる。
ぼんやりと太陽を眺めていると、カサッという何かが擦れるような音が聞こえた。
自然に後ろを振り向き、音の正体を確かめる。
………虹色の紙飛行機だった。
虹色…??どうして紙飛行機がここに…
その時、城島と過ごしたたくさんの思い出の中に、虹色の紙飛行機の存在があった。
それは、僕たちが紙飛行機での文通に慣れ始めた頃だった。
城島はいつも、いろんな色の折り紙で紙飛行機を折っていた。
゛一色単って、なんか寂しくない?゛
と、城島が言い出したのだ。
゛仕方ないだろ。折り紙って、そんなもんだよ゛
゛えー、寂しいよ゛
゛虹色なんてある訳ないよ゛
゛じゃあ、作ればいいじゃん゛
一瞬、何言ってるんだ?って感じだった。
僕は、紙飛行機に書かれている文章を読み終わらせる。その後、僕が顔を上げると向こうの窓で、にこにこと笑っている城島を見つけた。
その笑顔は、無邪気な子供だった。
右手に色鉛筆を何本か持って、左手に白い折り紙を持っていた。
直感で、何となく城島が考えていることが分かった。
多分、白い折り紙に色鉛筆で色を付けて、虹色にしようとしているのだ。
゛それって、虹色になるの?゛
゛なるに決まってるじゃん!六色でしょ?゛
゛…いや、七色じゃないの?゛
゛え、そうなの?゛
゛それぐらい小学生でも知ってる゛
その何気ないやり取りが、とても楽しくて、楽しくて…
こんなほのぼのとした普通で当たり前な毎日が、一瞬で終わるなんて知らずに。
ただ、僕たちは、笑っていたんだ。
゛それだけ虹色だなんて、なんか面白いな。なんか、特別な感じがする゛
゛じゃあ、特別なことを書くときだけにするね゛
゛特別なことって?゛
゛内緒!゛
いたずらっぽいあの笑顔が…
城島の笑顔が、本当に好きだった。
このまま時間が止まってしまえばいいのに、と思ってしまった。
あぁ、あの時の…
記憶が蘇り、視界が滲んでいることに気がついた。
顔が熱くて、鼻の奥がつんとした。
紙飛行機を震える手で拾い上げる。かさかさと、音を立てながら開いた。
夢でもいい…
お願いします…
どうか、どうか…
目に飛び込んできたのは、黒いボールペンの文字。僕が、好きだった城島の小さくて繊細な文字……
゛ありがとう。私、今でも真生くんが好き゛
「……………っ」
届くはずのない城島からの返事。
僕は、思わず床に膝を着く。
そして、思いっきり泣いた。
城島が死んだ日に泣けなかった分の涙が、今になって一気に溢れ出してきた。
ごめん、ごめん、ごめん…
もっと、早くに気がつくべきだった。
ごめん、城島…
僕は、虹色の紙飛行機を抱きしめて、泣いた。
泣いた後の世界は、いつもより瑞々しくて、鮮やかに感じられた。
そして、僕は思う。
城島は、きっと、僕を勇気づけるために紙飛行機をくれたのだと…
もう過去に捕らわれなくていいよ、という城島の最後のメッセージだったと思う。
だから、僕は、新しい一歩を踏み出さなければならない。
城島のためにも、僕のためにも……
朝日が暗い部屋に差し込む。
おもむろに泣き顔を上げ、窓の外を見上げる。
そこには、いるはずのない城島がいて、青い青い空の向こうで優しく微笑んでいた…
誤字・脱字があったら、教えてください。