ラケット
「普段は駅員、裏では石原組。それが私、木戸ディドロだ。」
あぁ、なんとなく思い出した気がする。
「さっきは負けたが、今度は本気でいくぞっ。」
ディドロは突然俺に背負い投げをかけた。俺はなすすべもなく投げれ、反対側の壁に打ち付けられる。
「そんなものか、岳。」
薄暗い夜の体育館にディドロの勝ち誇った声が響く。俺の胸ぐらを掴んでもう一度背負い投げをかける。その繰り返しが何度も行われる。意識が朦朧と。いつもの俺ならここでびびって降参しているだろう。しかし、今のおれは違うのだ。俺は生まれて初めて、負けられない理由に出会ったのだ。俺は立ち上がり、何か策はないか、辺りを見回した。あそこにあるのは。
紙が落ちている。間違いない、ユウちゃんさんにもらったメモだ。俺は前回り受身をとりつつメモを拾った。
ディドロは背負い投げをかける際、片方の足に体重が集中します。そこを、大外刈りです。大丈夫。
岳殿、いえ、岳くん。君の大外刈りは、もう一人前だ。
そこにあったのは、紛れもない、ユーキャンの通信教育で毎月送られてきていた、先生の字だった。
「先生……。」
俺はディドロに向かって行った。掴み合い、硬直状態が続いたが、ついにその時が来た。
「そこだっ。」
ディドロの体は宙に舞い上がり、放物線を描いた。ディドロは床に叩きつけられ、失神した。
「大外刈りの描く放物線は、栄光への架け橋だ。」
しかし、それはつかの間の喜びだった。体育館のコンクリートの壁に大きな穴があき、人影が見えた。
「お、おい。どうして。」
「…………あなる!」
俺のクラスメイト、俺の悪友、俺の親友。
「小太郎、なんでお前が。」
小太郎の目は、いつもの小太郎の目ではなかった。
「お前、メガネ変えた?」
「おぉ、よくわかったじゃん。あなる。」
小太郎はシャトルを取り出した。
「イクぞ。あなる。」
全く反応できなかった。小太郎の放ったシャトルは目にも止まらぬ速さで、俺の自慢のリーゼントを打ち抜いた。
「次は耳だ。あなる。」
どうしよう。もう俺にはなにもない。頼れるものは、なにも。空っぽの頭の中、空っぽの手のひら、空っぽのポケット、いや、ポケットは空じゃない。もうやけくそだ!
ピィーーーーーーーィィィィィィ!
音を聞きつけ、どこからともなく、ワニが走ってきた。尻尾がグリップのようになっている。あのとき、六時前。あのとき俺はこの場所でまゆこを見たんだ。かっこいいまゆこを、そして、かっこわるい俺を。今度は俺の番だ。
俺はワニを、いや、まゆこのラケットを構えた。