そんな時もあるさ。
父さんは仰向けになった。さっきまでのその人とは別人のような顔だ。でも、なんだか、かすかな思い出の父さんに近い顔かもしれない。
「父、さん。」
「岳……。久しぶりだな。」
この人は、自分自身にも言ったんだ。と、そう思った。
「岳、父さん、いつの間にか間違ってたみたいだな。」
俺はホットコーヒーを鼻から飲んだようになった。
「父さん、なんで精神実験なんか。自分を殺してまで。」
父さんのこめかみに線ができる。
「人の精神を壊すことなんか必要か?」
父さんが起き上がる。
「それは違うんだ。岳。」
父さんは正座のような格好になる。
「父さんが求めていたのは、人の正気を保つ方法だ。そのために、逆に精神を壊す実験をした。」
月明かりが父さんを照らす。
「拷問のようなことを続けていては、人間は正気を失ってしまう。それでは意味がない。」
父さんは夜空を見上げる。
「母さんの仇だ。」
母さん……?
「お前の母さんは、まぁお前も知っていることだが、お前が幼いころに強姦殺人された。」
父さんの目がこちらを向く。
「父さん、犯人が許せなかった。柊エージェントを金で雇い、犯人を捜し出した。お前を巻き込んではいけないと思い、結果、お前を捨てるようなことになってしまったことは、済まなかった。」
父さんが頭をさげる。
「今も。」
頭を下げたまま、低いトーンで話し出す。
「今も犯人が石原病院の地下にいる。もっとも、やつの体はもう使い物にならない。串刺しにしたり、切り刻んだり、熱したり、冷凍したり……。脳以外は死んでいる。でも、あそこは病院だ。人工の装置でやつはまだ生きている。もちろん、精神も
保っている。何年も何年も、十年以上、苦しみ続けて、やつは生きている。」
父さんが顔を上げる。
「今もだ。」
後ろでディドロが吐いたのがわかった。ナナジョが耳を塞いでいるのもわかった。
「でも、もういい。」
父さんが立ち上がり、手をさしだす。
「あいつは楽にしてやってくれ。父さん、岳にまた会えてよかった。」
塩沢さんが踏み出す。
「本当にいいんですね。」
父さんがうなずく。塩沢さんが手錠を取り出す。え、塩沢さんって警察だったの。
父さんはパトカーに乗って旅に出た。俺は何気なくポケットに手を入れる。……笛?そうだ。俺のやるべきことは終わっていない。
「まゆこさん。」
まゆこが振り向く。正確にいえば、その場の全員が振り向いた。
「いや、まゆこ。」
まゆこの頬が赤くなる。夕方、道で吐き出してしまった心臓が、俺のもとへ帰ってきた。
「まゆこ、俺と、俺とつ……。」
「ごめんなさい。」
え。ゴメンナサイ?
「小太郎さんと、一緒になるわ。」
小太郎がまゆこを抱きしめる。
「あなる。」
そして小太郎が俺のもとへ。
「そんな時もあるさ。あなる。」




