07.見解の相違
「た、助けてくれ! いいい命だけは! 頼む! お願いします!!」
「君たちはそう言う人たちに対して今までどんなことをしてきたかなあ?」
泡照はそう言いながら、既に戦意喪失し失禁すらしている男の側にしゃがみ込み右手の人差し指を握った。
周囲には物言わぬオブジェが二、三体転がっている。
「俺は、君たちと違って優しいからさ、条件付きで見逃してあげるよ」
「じ、条件?」
男の問いへの答え代わりに、泡照はその人差し指を無造作に引きちぎった。
「ぎゃあああああああああああああっ! ……あ、あああ」
「右手の指全部引っこ抜かれてもまだ泣かずにいられたら、見逃してあげる。ってもう泣いてるし。やっぱダメダメ」
振り上げた拳を、被せるように誰かが掴んだ。
「お楽しみ中邪魔して悪いんだが、その辺にしておけや小僧」
泡照が振り返ると、そこには昔の刑事ドラマによく出てきたトレンチコートに身を包んだ、30代前半くらいの細身の男が立っていた。
「だ、誰だ!?」
その台詞を待っていましたとばかりに、その男はニヤリと口元を歪めた。
「俺の名は灰江田。心ある人の通報により駆けつけた……そうだなあ、正義の味方ってことにしておこうか」
「……正義の味方?」
泡照はゆらりと立ち上がり、灰江田と対峙した。
「あんたは、コイツがどんなことをやってきた奴か知っているのか?」
「背伸びしたいお年頃なガキどもに麻薬を売りつけていた、とかだったような気がするな」
「知ってるんだ。なら、わかるだろ? コイツは"悪"だ。その"悪"をこらしめている、僕が! ……俺こそが、正義の味方だ」
「そっかあ。素のお前は自分のことを"僕"って言ってんのか。くっくっくっ、可愛いなあ、僕ちゃん」
「その"正義の味方"の邪魔をするアンタは、"正義の味方"なんかじゃあ、ない」
「どうでもいいことに拘るなあ。じゃあ、俺は一体何なんだ?」
「アンタも……悪だっ!」
泡照は叫びながら足下のアスファルトが抉れるほどに強く地面を蹴り、灰江田に向かって飛びかかった。既に何人もの不良やチンピラの顔を前衛芸術に変えてきているその右手を、相手の目元めがけて叩きつける。
「なあ、お前。アニメとか好きか?」
その声は、泡照の背後から聞こえた。
「くっ!」
慌てて振り返り、今度は腹を目がけて拳を繰り出す。その一撃は相手の体内で癇癪玉を爆発させたような衝撃を与え
「昔観ていたアニメで俺が好きだったキャラがさあ、こんな台詞を言うんだ」
……ることはなく、今度もまた空をきった。勢い余ってたたらを踏んだ足を灰江田に刈り取られ、泡照は無様に転倒した。
「『当たらなければ、どうということはない』」
言葉と同時に、灰江田は靴底に分厚い鉄板を仕込んだブーツで泡照の顔を踏みつけた。
「ぶべっ!?」
「やられた奴らの傷を見りゃあよ、てめえの喧嘩のやり方は丸わかりなんだよぉ。必ず最初は目か腹を狙う。そんなに相手と目を合わせるのが怖いか? 昔はもしかしていじめられッ子だったりするのか? え? 化け物じみた動きだったとしても、二択まで絞れりゃ後は目とか体勢で全部読めるんだよ。ばーか」
「五月蠅い五月蠅い五月蠅いっ! だったらあっ!!」
泡照は灰江田の足を力任せにはねのけると、どこでもいいから当たれと蹴りを放った。その蹴りは今度こそ灰江田の腕に向かって吸い込まれる。今度は、灰江田は微動だにしなかった。まるで空気がパンパンに詰まった大型トラックのタイヤのような堅さに、泡照は顔をしかめた。
「いくら力があっても、そんな腰も入っていない、やり慣れてもいない蹴りがよぉ」
まるで衝撃波のような威圧感が灰江田から放たれる。
「この俺にきくとでも思ってんのかあああああああああっ!!」
工事用のハンマーのような一撃で顎を打ち抜かれたことを泡照が理解したとき、その身体は頭から地面に突っ込んでいた。
謎の男により与えられた力で人間離れした領域に強化された肉体をもってしても、脳を激しく揺さぶられては無力だった。
灰江田は指一本動かせなくなっている泡照の胸ぐらを掴み更に二発、三発と容赦なく打ち据えた。
泡照の腕がだらりと力なく垂れ下がったところでようやく殴打をやめ、裁判官が起訴状を読み下すかのように無機質に、告げる。
「公務執行妨害6件、器物損壊56件、障害39件、殺人、128件。答えられるもんなら答えてみろ。これのどこに……"正義"がある?」
「う、あ…そんな、そこまでは殺してなんか……」
「ああん!? 見苦しい野郎だな。てめえ、この期に及んでまだそんな事を言いやが」
灰江田が台詞を最後まで言うことはなかった。
死角の物陰から瓦礫を大砲のように撃ち込まれ、その身体は紙屑の如く吹き飛ばされた。
展開に思考がついていかず、呆然としながら泡照は瓦礫が飛んできた方向に顔を向けた。
そこに立っていたのは。
「!?」
「こんにちは。土岐君」
憎しみや軽蔑を通り越し、存在そのものを否定するかのような、眼差し。
「和灸、なのか!?」
ほんの数日前、泡照の目の前でチンピラたちに連れ去られた、クラスメートの少女だった。
(続く)