04.慣れ
「で、理解できたか? 昨日のことは現実。そしてお前にその力を与えてやったのはこの俺。感謝して敬ってくれや」
ガクリとうなだれる泡照を見下ろし、出来の悪い生徒の補習に付き合う教師のように面倒そうな調子で男は続けた。
「……別に頼んでなんか……」
「ああ? 何か言ったか?」
凄まれて泡照は反射的に縮こまってしまう。
「いや、何でも……僕にこんな力を与えて、何が目的なんですか?」
「お掃除、をお願いしようと思ってな」
「お掃除?」
どんな恐ろしいことを言われるかと内心怯えつつ訊いてみれば、返ってきたのは掃除などという平和な回答。
この男は何を言い出しているのだろう。泡照は余計に混乱する。
「そ。まあ安心しな。そんな難しいことじゃあねえよ。その辺の奴ら片っ端から昨日みたいにぶっ殺してくれりゃいいのさ」
「な……!? そんなことできる訳ない!」
泡照は思わず立ち上がって叫んだ。
「あ~大丈夫大丈夫。心配すんなって。ぶっ殺す度にレベルが上がって、そのうち空飛んだりビーム撃てたりするようになるから簡単簡単」
「いや、そういう意味じゃなくて……!」
話が通じない全く価値観の異なる相手。泡照はこれまでとはまた異質な恐怖に立ちすくむ。
「んじゃ、俺はビールとかいうもんでも飲みながら見てるから、頑張ってくれや。お前は……"選ばれしもの"なんだからよ?」
適当に選んだだけということはおくびにも出さずに言い放つと、男はまるで瞬間移動でもしたかのような唐突さで姿を消した。
直後に部屋のドアを叩く音。
「ちょっと何騒いでるの泡照? もしかしてどこか痛んだりしてるのかい?」
「何でもない! 何でもないよ、母さん」
「そうかい? 具合が悪くなったら言うんだよ」
部屋から遠ざかる足音を確認しつつ、泡照はホッとため息をついた。
「そう。何でもないんだ……」
翌日夜。泡照は同じ場所の近くに立っていた。クラスメートの和灸利亜が連れ去られ……自分が、何か得体のしれない力で、チンピラを手にかけた……かもしれない場所。
彼はこの期に及んでまだ、自分が遭遇した出来事が夢か何かであると思いたがっていた。「実は何もなかった」と思わせてくれる証拠を、何でもいいから求めていた。
しかし、まだ現場検証が終わっていないのか周辺の道路には黄色い地に黒字で「KEEP OUT」と書かれたテープで遮られており、近くには警察官が立っていることもあって中には入ることができそうもない。その事自体が確実に「何かがあった」ことを示していることにも気づかず、中に入り込む裏道がないかとウロウロしながら、今日の学校での出来事を思い出していた。
和灸利亜は、何事もなかったかのように登校していた。何事もなかったかのように遅刻もせずに教室に現れ、何事もなかったかのように友人たちと談笑し、何事もなかったかのように授業を受けていた。
数日前と明らかに異なるのはただ一点。
泡照を見る目、のみ。
軽蔑、憎悪、氷のように冷たい、道ばたのゴミや石ころを見るような、などという言葉が生やさしく思えるような眼差し。そこに一片の存在価値も認めない眼差し。
ふとした拍子に彼女と目があった瞬間、泡照は首をすり抜けて食道を直接締めあげられたような感覚を覚えた。この感覚は、少なくとも恋とかそういうものではないことは間違いない。
これまで比較的真面目な生徒として通し、授業をさぼったことなど一度もなかった少年は、この日初めて、まだ午前の授業も終わっていない学校を、逃げるように後にした。
「よお、こんな所で会うなんて奇遇だな!」
そんな言葉と共に肩をたたかれ、泡照の回想は中断される。
大学生くらいの男。親しげに泡照の腕を掴んでいるが、全く知らない顔だった。
「よし、折角こうして久しぶりに会ったんだ。夕飯でも一緒に食おうぜ! こんな所で立ち話するのも何だしよ」
そう言いながらグイグイ泡照を引っ張っていく。
連れていかれた先は店などではなく、街灯も届かない路地裏の袋小路だった。泡照はいつの間にか四人に増えた男たちに取り囲まれていた。
最初の親しげな様子とはうってかわって、噛みつかんばかりの剣幕で胸ぐらを掴み、泡照を連れてきた男は問いつめてくる。
「てめえ、さっきからウロチョロと立ち入り禁止区域の中に入ろうとしていやがったよなあ?」
疑問系ではあるが、完全に確信している口調。
「俺たち、大~事な仲間を三人も殺ってくれやがった奴を探しているんだけどよお……お前、何か知っているんじゃねえのか?」
「さ、三人なんて! 殺したかもしれないのは一人だ……」
慌てて泡照は口をつぐんだ。しかし、もう遅い。
「一人だけ……ねえ」
男は泡照を突き飛ばしたかと思うと彼の鳩尾にかかとをめり込ませた。
「うげ……! が……あ……!」
泡照は苦痛にのたうちまわる。
「てめえが知ってること、全部吐いてもらおうか」
殺される。
恐怖に身をすくませながら、泡照はぎゅっと目を閉じた。
その瞬間、妙な光景が脳内に浮かび上がる。
その光景はあまりにも鮮やかだった。
あまりに鮮やかな赤、赤、赤。
人が倒れている。しかし、それは泡照ではない。
一人ではなく、四人。
泡照は自分が一人立っていることに気がついた。
ありふれた言い方をすれば、血の海、の上に立っていることに。
「あいつの言っていたことは嘘じゃなかった……」
レベルアップのファンファーレが聞こえた気がする。
その顔にひきつった笑みを浮かべつつ、泡照はユラリとその場を立ち去る。
どういうわけか、身につけている服も含めて返り血一つ付いていない。
「僕は、……俺は、"選ばれし者"になったんだ」
慣れ、というものは素晴らしい。と、泡照は思う。
"二回目"からは、最初の時に感じていた恐怖や混乱、罪悪感は、もう微塵も無くなっていた。
(続く)