堕天するほどの価値はある?
ディストピア×おにロリ小説です!
淡い山吹色の陽光が差し込む青空は、不気味なくらい透き通っていた。
鼠色の布切れを纏った、痩せこけた金髪の少女。六芒星の腕章。琥珀色の瞳は濁り、両手首にはキツく縄が食い込んでいた。殴られたアザ、虚ろな表情。僕をじっと見つめ、口をもごもごと動かしている。
風が木の葉を鳴らす静寂の中、心臓の鼓動だけが生々しく響く。恐る恐る眉間に狙いをつける。握りしめた拳銃のグリップが汗ばんだ。
「撃て!」
こまねいている僕に、上官の野太い叱咤が耳に入る。体は驚くほどに従順だった。
引き金を人差し指で押し込み、銃声が鳴る。鈍い反動が腕に伝わり、少女は糸が切れたように地面へと倒れた。
灰色の砂利を染める、赤い血溜まり。目を逸らすことができなかった。手の震えが止まらず、僕は嘔吐した。
12歳のあの日、僕は初めて人を殺した。
□ □ □
昼間の太陽は燦々と輝き、活気に満ち溢れた石造りの古都を照らす。伝統的な建築様式で揃えられた景観は、傲慢な民族の誇示だ。
クラクションが鳴る。国民車が通り過ぎ、大通りの石畳を歩く。僕は自分の腰丈くらいの身長の、少女の手を優しく握っていた。
「今日は散歩日和ね! ずっとお家に居たから退屈だったの」
「ああ、そうだね……でも、子ども一人で外出るのは危ないから」
レースが編み込まれた、緑色のワンピースが風に揺れる。艷やかな金糸が秋の稲穂のように棚引く。
歩くたびに赤いエナメルの光沢が反射した。お気に入りの靴のかかとを鳴らし、機嫌良さそうに背筋を伸ばす彼女。
「心配なんだ~~ふふっ、だから一緒じゃなきゃ嫌なのね?」
「妹離れが出来なくて困ったね」
「ずっと一緒だって言ってくれたのは、お兄ちゃんの方なのに」
仕事が忙しくて、休日以外はあまり彼女にかまってあげることが出来ない。ここ数ヶ月、不穏分子の活動が過激化し、対応に追われていた。ニュースにはポジティブなプロパガンダだけが並ぶ。大衆は何も知らない。
「この世界は堕天するほどの価値はある?」
「人間の生活は悪くないわ。お腹は減るし、眠いし、一緒に笑える」
薔薇の蕾のような口から、ためらいもなく言い切った。人間の生活を初々しく嗜む彼女は好奇心の塊だ。
僕は人の行き交う姿を眺めては、平穏であることの有り難さを噛みしめる。果物を売る行商、靴磨きの少年。バス停で会話をする老婦人。警官が腰に警棒を挿して巡回している。
「僕の本性を知っていても、それでもなお世界は綺麗に見える?」
「お兄ちゃんは私を信じてくれた。それだけで十分」
彼女の言葉には芯がある。幼く小さな指先が絡まる。体は華奢な子供だが、仕草は大人びている。
空に浮かぶ白い雲の流れ、蒼穹の奥に何があるのかと僕は目を細めた。星はまだ眠りについている。
「天国ってどんなところなんだろうね」
「分かんない。行ったことがないから」
元天使なのに天国を知らない。でも、彼女は嘘をつかないことを知っている。堕天して光輪も羽もないが。
僕は小さく笑うと、腕時計を見た。演説会まで時間はある。官公庁の屋上に突き立てられた国旗がパタパタと翻る。
「せっかくだし、ちょっとなにか食べようか」
「じゃあ、アイスクリームがいいな」
天真爛漫に振る舞う彼女は、あまりにも無垢だった。鳶色のどんぐり眼を輝かせ、僕の手を強く引っ張って駆け出した。
彼女の背中を眺める。あの日、僕が初めて殺した、あの子の姿と重なってしまう。それは、僕自身の矛盾のようだ。
□ □ □
昼間の公園は賑やかだ。親子連れや犬の散歩、噴水の前で鳥が身繕いをしている。青い芝生は整えられ、ボール遊びをする子供がはしゃいでいた。橋の下を小さな川が流れる。水面は藻が張っていて、柳の木が枝垂れて影を作る。
「人間の食べ物の中では、甘いものが一番美味しいわ!」
川が一望出来る緑青色のベンチに座る。バニラアイスを口に含み、彼女は頬を赤らめた。隣で僕は紙コップに入ったエスプレッソを口に含む。木漏れ日を浴びながら、今日一日の穏やかさを苦味と共に味わう。
「お兄ちゃんさ、また怖いことしたでしょ?」
小さな鼻を鳴らしながら、彼女はアイスクリームを舐めとる。
「分かるよ。顔にそう書いてある……なんてね」
「顔に出るようだったら、僕は君に会うまでに死んでるよ」
背もたれに腰かけ、僕はぐいっとコーヒーを喉に流し込む。一応、同業者がいないか辺りを見渡した。路傍でアコーディオンから軽快な軍歌が流れる。
「お口に髭が出来てる」
袖で口の周りについたコーヒーの跡を拭いとる。彼女はそんな僕を、子供をあやすように問いかけた。
「私はずっと人間を見てきた。だから、お兄ちゃんがやろうとしてること、理解はしてるんだよ?」
「人を殺しちゃダメって、君は言わないのかい?」
「だって、堕天使だもの。それに、天使は何も言えない。世界を動かすのは、あなた達人間だから」
彼女はコーンを噛み割ると、先っぽまで丁寧に食べ切った。膝にこぼれたカスを払う。彼女は足をバタつかせながら僕の顔を覗いた。
「けどね、歴史を見てきたから思うの。たとえ成功したとしても、必ずしも理想通りにはいかないわ。むしろ悪化することだってあるのよ」
「不都合なことから目を逸らすことは出来たよ。でも、僕は出来なかっただけだ」
あの日流れた血の色は、僕の体にあるものと一緒だった。それまでずっと、僕は社会に疑問すら抱かなかった。
僕の膝に彼女の手が置かれる。心地よい暖かさ。生きてる人間の温もり。
「人間が苦悩する姿をなん度も見てきた。でもね、話したいと思ったのは、お兄ちゃんが最初で最後だったの」
「永遠の命を捨てて、定命を選んだ意味が僕には分からない。君は将来必ず死ぬんだ」
死んだ後のことは誰にも分からない。それは本能的に恐ろしいことだ。僕はわざと突き放すように言葉を選んだ。
だが、彼女は意にも介せず、その整った小顔を傾げて平然と言い退けた。
「仕方ないじゃない。それが恋をするってことなのだから」
子供とは思えない艶かしい仕草で、僕の左膝に体重を乗せてきた。首に手を回し、愛おしそうに顎を撫でさする。蕩けた彼女は顔を近づけて、ニヤッと八重歯をチラつかせた。まるで獲物にとどめを刺す狼のように。
「大人になるまで待てないんだけど……ねえ、ねえ」
「待たせて悪いとは思ってる。でも、もう少し我慢してくれ」
「嫌よ。だって、お兄ちゃん。私が大人になるまで生きてる保証なんてないんでしょ?」
本当によく人を観察しているなと、僕は頭を抱える。だからこそ、彼女の丸まった背中をギュッと抱き寄せて言った。
「ずっと一緒にいるって約束しただろ? 僕は違える気はないよ」
「……嘘つき」
彼女の匂いはとても優しかった。人形のように精緻な少女は眉を顰めて、僕の頬をつねった。
□ □ □
演説会場に使われた広場には、すでに大勢の人だかりが出来ていた。辺り一面に国旗と党旗が掲揚され、スピーカーから勇ましい党歌が流れる。カメラを携えた者、リポーターがマイク片手に会場の熱気を語り、アンテナを乗せた中継車が並ぶ。
僕たちは比較的前列の席に座る。彼女は澄ました顔をして、大人しい子供を演じていた。
「みんな、彼のことが大好きなのね」
彼女は手に持ったチラシをまじまじと眺めていた。この国を統べる総統閣下のご尊顔が描かれている。
開幕のアナウンスが流れる。客席は静まり返る。壇上の横に待機していた吹奏楽団が一斉に国歌を奏で始めた。
僕たちは立ち上がり、ポケットから小さな国旗を掲げ、壇上に登る総統を歓迎する。
「偉大なる民族よ、団結せよ!」
この国を象徴する言葉。なん度もなん度も連呼し、敬礼をしながら声を張り上げる。斉唱は強烈な一体感を感じさせ、周囲の人間は目をぎらつかせながら高揚していた。横目で彼女を見る。周りと同じように振る舞ってはいるが、その視線はとても静かだ。
「我が国は気高き血と偉大なる土によって培われた、世界最高の優等民族である。勤勉で、勇敢で、情に深い。素晴らしい!」
総統の演説が始まった。堰を切ったように、国民を褒め称えるのは定番の常套句だ。
周りの人間は神を崇拝するように総統の話に耳を傾けていた。僕も同じようにマイクに囲まれた独裁者を眺める。
距離にして約3000メートル。着弾までに6秒ほどかかると聞いている。狙撃の成功率はおおよそ半々と言ったところ。いやもっと低いだろう。
どのタイミングかは分からない。狙撃手次第。もし、失敗したら……
僕は殉教者になれるだろうか。
その時、歴史は動いた。
「我が国の富を奪っていった劣等種を間引き、今では失業率は0%を記録し――――」
乾いた破裂音が響いた。次の瞬間、総統の体が崩れ落ちた。
周囲の人間は唖然として身動き一つ取れなかった。慌てて親衛隊の人間が肉壁を作り、総統の元へと集まる。
「総統が狙撃されたぞ!!」
観客は唐突な出来事に混乱し、慌てて逃げ出す者や、立ち止まって絶叫する者、総統へと雪崩れ込む者もいた。
僕は隠し持っていた拳銃の重みを感じ、強い安堵で身体中の緊張が解けていた。深く呼吸をする。もしも暗殺が失敗していれば、僕はこの拳銃で総統に襲いかかる手筈だったからだ。他の同志たちと共に。
僕は無意識に彼女を探し求めた。彼女は青ざめることもなく、ただ僕の心に問いを投げかけた。
「これが、お兄ちゃんが見たかった景色なの?」
僕は肯定も否定もしなかった。
だが、身体中が震えて、冷や汗がどっと溢れた。もし、狙撃が外れていたら、僕は殉教者になれたのか?
隣にいる彼女がギュッと僕の袖を弱々しく握る。潤んだ鳶色の瞳で、彼女は視線を合わせる。僕が殺したあの子の姿がよぎる。
あの日のように、僕は引き金を引くことが出来たのだろうか? 命令ではなく、正義の傀儡として。僕はただ、贖罪がしたかっただけだ。
「約束、ちゃんと守って……」
「……ああ」
混沌から目が覚める。彼女の体を抱き寄せる。肩を合わせて、お互いの心臓の音が分かるくらい抱き合った。心の底に染み渡る体温に、僕は自然と涙を溶かした。
「この先、どう転ぶか分からない……社会は大きく変わるんでしょうね」
「なあ、本当に堕天するほどの価値はあったか? 僕なんかに恋をして、本当に良かったのか?」
臆病な僕は彼女にそう呟く。彼女は屈託のない笑顔で返した。
「だって、それが運命だから。そう信じてるわ」
鳴り止まない悲鳴と怒声の中、周りの人間たちは時代の変化に怯え、逃げ惑いたい気持ちに駆られている。
愛くるしい彼女を力強く抱きしめ、時代の波音に耳を澄ませた。唸るようなサイレン、群衆の嘆き、軍靴の鳴る音。不協和音が暗黒の未来を奏でる。
初めて人を殺してからずっと、僕はこの少女に導かれてきたのだと思う。僕はもう、正義に殉じることは出来ない。だが、それでいい。彼女が堕天を選んだ理由が、今ならわかる気がした。
閃光のハサウェイとベルリン・天使の詩って映画がイメージ元です。




