2話『勇者の拾い物』
「……酷いボロ宿だな」
アルトのコートの懐から顔を出した俺――ノアは、視界に飛び込んできた光景に思わず鼻を鳴らした。
「はじまりの街」の裏路地に位置する宿屋『安らぎの微睡み(まどろみ)亭』。階段は歩くたびに悲鳴を上げ、廊下の隅には埃が踊っている。
「ハハっ、贅沢言うなよ。銀貨一枚で朝食付きなんだ。駆け出しの俺にはこれでも精一杯なんだからさ」
アルトは苦笑いしながら、部屋の鍵を開けた。
室内にあるのは、ギシギシ鳴りそうなベッドが一つと、ガタついた木机、それに小さなランプだけだ。
アルトは丁寧に、俺とアークを机の上に置いた。
雨に濡れたアークの表紙を、彼は自分の着替えの予備である布で優しく拭き始める。
『……ノア様。この男、拭き方が丁寧すぎます。まるで国宝でも扱うかのような手つきです。おかげでページに溜まっていた泥が綺麗に落ちましたが、気味が悪い』
アークが脳内で毒を吐く。
俺は自分の毛並みを整えながら、部屋を検分した。
「よし、次はお前だな」
アルトが俺を抱き上げようとする。俺は条件反射で爪を立てようとしたが、ふと前世で見た「白紙になったアーク」の姿が脳裏をよぎり、動きを止めた。
……今は、こいつに従うフリをするのが得策だ。
「にゃーん」
俺は喉を鳴らし、アルトの手を甘噛みした。
「はは、くすぐったいって! よしよし、お前も綺麗にしてやるからな」
ぬるま湯で湿らせた布が、俺の体を包み込む。
不覚にも、温かい。
俺は最強の魔神のプライドをかなぐり捨て、ただの拾い猫としてその温もりを受け入れた。
「……さて。お前ら、名前はどうするかな」
アルトが二人の前に座り込んだ。
「猫の方は『ノア』。……じいちゃんが言ってた、荒波を乗り越える古い王様の名前だ。で、こっちの本は……『アーク』。お前を守る船のような名前だ。どうだ? 気に入ったか?」
『……ノア、と、アーク。やはりこの男、この名を呼びましたね。因果の収束、あるいは……彼の「運命」を手繰り寄せる力が、無意識に働いているのかもしれません』
アークの解析が、アルトの異常性を捉え始めていた。
アルトは俺たちの返事を待たず、カバンから古びたパンを取り出して齧り始めた。
「俺さ、いつかこの世界を救う勇者になりたいんだ。でも、今は見ての通り、ボロ宿に泊まるのが精一杯の駆け出しでさ。……でも、今日お前らを見つけたとき、不思議と確信したんだ。俺の冒険は、ここから本当に始まるんだって」
アルトはパンを半分にちぎり、俺の前に差し出した。
「お前らも俺の仲間だ。一緒に世界を見に行こうぜ」
底抜けの善意。疑うことを知らない真っ直ぐな瞳。
俺は無言でパンを一口齧った。……ボソボソして不味い。
(……アーク。こいつのステータス、詳しく見せろ。こんな馬鹿が勇者だなんて、笑わせるなよ)
『……了解しました。現在のアルトの数値を、ノア様の視界にオーバーレイします』
【アルト:ステータス鑑定(アークによる解析)】
• 名前: アルト
• 種族: 人間
• レベル: 1
• スキル:
• [幸運:極]: 常に最高の結果を引き寄せる。
• [不屈の精神]: 精神的デバフを完全無効化。
• [無自覚の覇道]: 彼の行動はすべて「英雄」としての道を補強する。
• 保有資産: 銅貨12枚(極貧)
• アークの注釈: 「ステータス自体は平民並みですが、幸運値が振り切れています。彼が石を投げれば金鉱に当たり、彼が道を歩けば伝説の武器が落ちている……そんな理不尽な存在です。我々が利用するには、これ以上ない『神輿』と言えるでしょう」
「……ふん。面白いじゃないか」
俺はアルトの膝に飛び乗り、ゴロゴロと喉を鳴らした。
利用してやる。この底抜けの幸運も、この温かい手も、すべてを俺たちの進化の苗床にしてやる。
「お、気に入ってくれたか? よーし、明日はさっそくギルドに行って、初仕事だ!」
拳を握るアルト。
その影で、俺はアークと視線を交わした。
まずはこの貧乏生活からの脱却だ。
「(アーク、まずはあのギルド長を狙うぞ。こいつの運を餌に、この街の金を巻き上げる。……店を出す準備をしろ)」
『……御意、ノア様。明日が楽しみですね』
窓の外、雨はいつの間にか止み、月が妖しく光っていた。
【アークの記録帳】
• 個体名: ノア
• 種族: [虚無の残滓(擬態:黒猫)]
• レベル: 1
• 称号: [勇者の拾い物]
• 保有スキル:
• [捕食進化]
• [影の移動]
• アークの分析:勇者アルトとの正式な「契約(名付け)」により、因果律が固定されました。ノア様の魔力供給源として、アルトの幸運値が一部反映され始めています。……主殿、明日の朝食はもう少し豪華なものを期待できそうですよ。
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