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役立たずと婚約破棄されたので、森で最強の聖獣たちと「もふもふカフェ」をはじめました  作者: 九葉(くずは)


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第8話:愚か者たちの宴と、私の帰る場所

王都の空は、鉛を流したように淀んでいた。

かつて「水の都」と謳われた美しい景観は見る影もない。

街路樹は枯れ落ち、運河の水は藻が繁殖して緑色に濁っている。

風に乗って漂ってくるのは、花の香りではなく、腐敗臭と人々の不安な囁きだけだ。


私は王城のテラスから、眼下に広がる大広場を見下ろしていた。

そこには数千人の市民が集まっている。

彼らの目は虚ろで、救いを求めるように中央の祭壇を見つめていた。


「……愚かしい」


口から漏れたのは、軽蔑の言葉だった。

隣に控えていた騎士団長が、気まずそうに咳払いをする。


「殿下、そろそろお時間です。カイル殿下とミリア嬢による『聖なる雨乞いの儀式』が始まります」


「ああ、見届けよう。この国の終焉の序曲をな」


私は冷ややかに答えた。

カイルたちは本気で信じているのだ。

自分たちが主役の舞台を用意すれば、奇跡が起きると。

原因が「聖女レティシアの不在」にあることすら気づかずに、偽物の聖女に縋ろうとしている。


祭壇に、豪奢な衣装を身に纏った二人が現れた。

カイルは自信満々に手を振り、ミリアは純白のドレスで可憐さを演出している。

民衆から歓声が上がるが、それは期待というよりは悲鳴に近い懇願だった。

「水をくれ」「助けてくれ」という切実な願いだ。


ミリアが祭壇の中央に進み出る。

彼女の手には、王家の宝物庫から持ち出した最高級の魔石が握られていた。

あれ一つで、小国の国家予算が吹き飛ぶほどの国宝だ。

それを惜しげもなく使うとは、背水の陣のつもりなのだろう。


『大いなる水の精霊よ! わたくしの祈りに応え、この地に恵みの雨を!』


ミリアの声が、魔導拡声器を通して広場に響き渡る。

彼女は大袈裟な仕草で天を仰ぎ、魔石を掲げた。


私は目を細めて魔力の流れを視た。

……何もない。

彼女の体からは、微弱な魔力こそ出ているものの、精霊に干渉するような波動は一切感じられない。

ただ魔石のエネルギーを無駄に放出しているだけだ。

あれでは、精霊を呼ぶどころか、周囲のわずかな魔素すらも散らしてしまう。


数分が経過した。

空は相変わらず灰色のままだ。

雨粒の一つも落ちてこない。


『精霊よ! なぜ応えてくださらないの!? このわたくしが命じているのですよ!』


ミリアの祈りが、次第にヒステリックな叫びへと変わっていく。

彼女は焦ったように魔石を振り回し、さらには杖で祭壇を叩き始めた。

優雅な聖女の仮面が剥がれ落ちていく。


広場がざわめき始めた。

「どうしたんだ?」「雨は降らないのか?」「偽物なんじゃないか?」

不安はすぐに失望へ、そして怒りへと変わる。

石ころが一つ、祭壇に向かって投げ込まれた。

それを合図に、怒号が飛び交い始める。


「やめろ! 静まれ!」


カイルが慌てて前に出て、民衆を鎮めようとする。

だが、一度火がついた群衆心理は止まらない。

騎士たちが盾を構え、暴徒化しそうな市民を抑え込む。

神聖な儀式は、醜悪な茶番へと成り下がった。


「……ここまでだな」


私は踵を返した。

もう見る価値もない。

彼らは自ら証明してしまったのだ。

自分たちが無力であり、この国を救う資格がないことを。


「殿下、いかがなされますか? このままでは暴動に発展しかねません」


騎士団長が青ざめた顔で尋ねてくる。

私は冷徹に命じた。


「騎士団を動員し、広場を封鎖しろ。ただし、民衆に剣を向けるな。彼らは被害者だ。カイルとミリアを城内に避難させろ。これ以上、王家の恥を晒させるな」


「はっ! ……し、しかし、水不足の解決策は……?」


「私が手配する。隣国から給水船を手配済みだ。数時間後には港に着く。それまで耐えさせろ」


「隣国から……!? いつの間にそんな交渉を?」


団長が驚愕の表情を浮かべる。

私は答えなかった。

カイルたちが儀式の準備という名の衣装選びに現を抜かしている間に、私が裏で手を回しておいたのだ。

無能な弟を持つと、兄は苦労する。


私は足早に回廊を歩いた。

城内も酷い有様だった。

飾られた花は枯れ果て、メイドたちの表情は暗い。

廊下の隅には埃が溜まり、かつての清浄な空気は微塵もない。


「レティシア……」


無意識に彼女の名前を呟いていた。

この異変の原因は明白だ。

彼女がいなくなったからだ。

彼女こそが、この国を支える要石かなめいしであり、精霊に愛された真の聖女だったのだ。

彼女の周囲だけ花が咲き、動物が集まるあの現象。

あれこそが、彼女の持つ「愛される力」の正体だ。


カイルたちは、宝石を捨てて石ころを拾った。

その代償として、国そのものを失おうとしている。

自業自得だ。

同情の余地などない。


だが、民衆には罪がない。

私は執務室に入り、山積みになった書類に向かった。

給水の手配、食料庫の開放指示、衛生管理の徹底。

次々と決裁を下していく。

ペンを走らせる手が痛む。

頭が重い。

ここ数日、まともに眠っていない。

私の呪いのせいで、城内では動物の癒やしを得ることもできない。


限界だった。

心も体も、乾ききっている。


ふと、窓の外を見た。

東の空。

あの雲の向こうに、彼女がいる。

そう思っただけで、胸の奥に小さな灯火がともるような感覚があった。


「……帰ろう」


私はペンを置いた。

やるべきことはやった。

最低限の危機回避措置は講じた。

これ以上の尻拭いは、当事者であるカイルたちにさせればいい。


私は立ち上がり、転移の魔道具を手に取った。

側近に見つかれば「またですか!」と泣きつかれるだろうが、知ったことではない。

今の私に必要なのは、休息ではない。

浄化だ。


光が私を包み込む。

王城の淀んだ空気が、遠ざかっていく。


***


「おかえりなさい! アレクセイ様!」


転移の光が収まると、そこは別世界だった。

黄金色の夕日が差し込む、温かなログハウス。

空気は澄み渡り、花の香りと夕食の匂いが混ざり合っている。


そして目の前には、エプロン姿のレティシアがいた。

彼女は私の姿を見るなり、ぱっと顔を輝かせ、小走りで駆け寄ってきた。


「まあ、顔色が真っ青ですよ。お仕事、大変だったのですね」


彼女の白く柔らかな手が、私の頬に触れる。

その瞬間、全身に張り詰めていた緊張の糸が、音を立てて切れた。


「……レティシア」


私は彼女の名を呼び、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

彼女の腰に腕を回し、その腹部に顔を埋める。

不敬だと分かっている。

いきなりこんなことをすれば、嫌われるかもしれない。

だが、理性が欲望に勝てなかった。


「ア、アレクセイ様!?」


彼女は驚いた声を上げたが、私を突き飛ばすことはしなかった。

むしろ、優しく私の頭を撫でてくれた。


「よしよし。……辛かったんですね。もう大丈夫ですよ、ここは森の中ですから」


子供をあやすような声。

その優しさが、ひび割れた心に染み渡っていく。

私は彼女のドレスの布地を握りしめ、深呼吸をした。

彼女の匂い。

太陽と、草花と、ミルクのような甘い香り。

体中の毒素が抜けていくようだ。


「……すまない。少しだけ、こうしていてくれ」


「はい。気が済むまでどうぞ。ルルたちも心配して見ていますよ」


言われて気配を感じると、足元にはフェンリルのルルが、肩にはドラゴンのごんぞうが寄り添っていた。

普段なら私をからかうような彼らも、今日ばかりは静かに体を擦り付けてくる。

温かい。

ここには「拒絶」がない。

「受容」だけがある。


どれくらいの時間、そうしていただろうか。

私が顔を上げると、レティシアは心配そうに私を覗き込んでいた。


「少しは落ち着きましたか?」


「ああ……生き返った心地だ。君は私の命の泉だよ」


私は立ち上がり、彼女の手を取って口づけを落とした。

レティシアは耳まで赤くして俯く。


「ま、またそんな大袈裟なことを……。さあ、ご飯にしましょう。今日はアレクセイ様のために、新作を作ったんです」


「新作?」


「はい。森のキノコとハーブを使ったリゾットです。疲れが取れる薬草もこっそり入れておきました」


彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

その笑顔を見ているだけで、王都での鬱屈した気分が浄化されていく。

カイルやミリアの愚行など、どうでもよく思えてくる。

この笑顔を守れるなら、国の一つや二つ、くれてやってもいいとさえ思う。


テーブルに着くと、湯気の立つリゾットが運ばれてきた。

一口食べる。

濃厚なチーズの風味と、キノコの旨み、そして爽やかなハーブの香り。

完璧だ。

王城の晩餐会で出される料理が、残飯に見えるほどの美味。


「うまい……。本当に、君の料理は魔法のようだ」


「ふふ、アレクセイ様がおいしそうに食べてくれるのが、私にとって一番のスパイスです」


彼女は何気なく言うが、その言葉の一つ一つが私の胸を射抜いていく。

彼女は気づいていないのだろうか。

自分がどれほど無自覚に、男の心を狂わせているかということに。


食事を終え、ハーブティーを飲みながら、私はふと尋ねた。


「レティシア。君は……王都に戻りたいと思うことはあるか?」


核心を突く質問。

もし彼女が望むなら、私は手段を選ばずカイルを廃嫡し、彼女を正当な場所へ戻すだろう。

だが、私の本心はそれを拒んでいた。

戻ってほしくない。

ずっとここにいてほしい。

私だけの聖域でいてほしい。


レティシアはカップを両手で包み込み、ゆっくりと首を振った。


「いいえ。……正直に言えば、最初は少し寂しかったです。でも今は、ここが私の居場所だと思っています」


彼女は足元で眠るルルを見つめ、穏やかに続けた。


「動物たちは嘘をつきません。愛せば愛した分だけ、真っ直ぐに返してくれます。王都での私は、常に誰かの顔色を窺い、自分を殺して生きていました。でもここでは、私は『私』でいられます。……それに」


彼女は私を見て、少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「今はアレクセイ様も来てくださいますし。毎日が遠足みたいで、とても楽しいんです」


その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが決定的に定まった。


決めた。

彼女は返さない。

王都がどうなろうと、国が滅びようと、彼女をあの腐敗した場所には戻さない。

彼女はこの森で、私が守る。

もしカイルたちが彼女の力を求めて、この楽園に土足で踏み込んでくるようなら――。


「……そうか。君がそう言ってくれて安心した」


私は微笑んだが、内心では冷徹な計算を始めていた。

王都の崩壊は時間の問題だ。

いずれ必ず、カイルたちはレティシアの居場所にたどり着くだろう。

その時、彼らをどう「処理」するか。


物理的に排除するか。

社会的に抹殺するか。

あるいは、レティシアの威光を使って完全なる従僕に落とすか。


「アレクセイ様? なんだか怖いお顔をされていますよ?」


レティシアが不思議そうに首を傾げる。

私は慌てて表情を緩めた。


「いや、何でもない。……ただ、君との時間が幸せすぎて、明日が来るのが怖いだけだ」


「まあ、明日はまた来ますよ。アレクセイ様が来てくださるなら、私はいつでも歓迎します」


彼女の無垢な言葉が、私の黒い思考を白く塗り替えていく。

そうだ、まだ焦る必要はない。

今はただ、この温もりを享受しよう。


「ありがとう、レティシア。……そうだ、今度は君に、私のシロの手入れを手伝ってもらえないか? あいつも君に会いたがっていてね、厩舎で暴れているんだ」


「ええ、喜んで! シロちゃん、可愛いですよね」


私たちは他愛ない約束を交わした。

外の世界では嵐が吹き荒れているが、このログハウスの中だけは、春の陽だまりのように穏やかだった。


だが、私は知っている。

この平穏が、嵐の前の静けさであることを。

愚か者たちが破滅の淵に立ち、なりふり構わず救いを求めて手を伸ばしてくる日が、すぐそこまで迫っていることを。


その手がレティシアに触れようとした時、私がその腕を切り落とす準備は、既に整いつつあった。

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