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役立たずと婚約破棄されたので、森で最強の聖獣たちと「もふもふカフェ」をはじめました  作者: 九葉(くずは)


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第4話:傷ついた騎士様

小鳥のさえずりが、朝の訪れを告げていた。

カーテンのない窓から、柔らかな陽光が差し込んでくる。


私は重いまぶたを持ち上げた。

視界に映ったのは、見慣れない木の天井だ。

一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなる。

王都の屋敷ではない。

冷たくて硬いベッドでもない。


「……あ、そうだった」


私は体を起こし、大きく伸びをした。

全身がふわりとした毛皮に包まれている。

ここは「帰らずの森」。

昨日、動物たちが建ててくれた私の新しい城だ。


「おはよう、ルル」


私の枕元には、巨大な銀色の狼が丸くなって眠っていた。

私が声をかけると、彼は片目を開け、けだるげに尻尾をパタンと床に打ち付けた。

朝の挨拶らしい。


「ごんぞうも、おはよう」


胸元で暖を取っていた小さなトカゲも、目をこすりながら顔を出した。

なんて幸せな目覚めだろう。

今まで生きてきた中で、一番清々しい朝だ。


私はベッド代わりの毛皮の山から這い出し、顔を洗うために外へ出ることにした。

ルルが当然のように後ろをついてくる。


扉を開けると、森の空気は冷たく澄み渡っていた。

朝露に濡れた草木が、宝石のように輝いている。

広場の中央にある湧き水へ向かうと、そこには既に先客がいた。


「あら、おはようございます」


数匹のリスたちが、湧き水で木の実を洗っていた。

彼らは私に気づくと、慌てて木の実を差し出してくれた。

朝食のお裾分けのようだ。


「ありがとう。……わあ、これ、クルミ?」


リスたちは嬉しそうに頷く。

私は冷たい水で顔を洗い、彼らから貰ったクルミを齧った。

香ばしい味が口に広がる。

こんなに穏やかな朝食は初めてだ。

実家では、食堂に行けばミリアが嫌味を言い、両親がため息をつくのが日課だったから。


「さて、今日は何をしようかしら」


当面の住処は確保できた。

食料も、森の仲間たちが運んでくれる果物でなんとかなりそうだ。

けれど、ずっと彼らに甘えているわけにもいかない。

私自身も、この森での生活基盤を整えなくては。


「ねえルル。この辺りに、薬草が生えている場所はあるかしら?」


私は一応、貴族令嬢として薬草学を修めている。

家ではミリアの影に隠れて目立たなかったが、怪我の手当てや簡単な薬の調合は得意だった。

もしもの時のために、薬や保存食を作っておきたい。


ルルは「任せろ」と言わんばかりに鼻を高く上げ、森の東側を示した。


「案内してくれるの? ありがとう!」


私はルルの豊かな毛並みに指を通し、彼に並んで歩き出した。

ごんぞうは私の肩に定位置を見つけたようで、そこで二度寝を始めている。


森の中は発見の連続だった。

王都の市場では金貨一枚もするような希少な薬草が、そこら中に雑草のように生えている。

傷薬になる「ヒールグラス」。

解熱効果のある「青い月草」。

魔力回復に効くと言われる幻のキノコまである。


「すごいわ……宝の山じゃない」


私は夢中で薬草を採取した。

スカートの裾を持ち上げ、泥んこになって草を抜く。

こんな姿、王都の貴族たちが見たら卒倒するだろう。

「汚らわしい」と罵られるかもしれない。

でも、ここでは誰も私を笑わない。

森の動物たちが、興味深そうに私の作業を覗き込んでくるだけだ。


しばらく採取を続けていた時だった。

先頭を歩いていたルルが、不意に足を止めた。


「グルルゥ……」


喉の奥で低く唸る。

背中の毛が逆立ち、あからさまな警戒色を見せている。

さっきまでの穏やかな空気が一変した。


「ルル? どうしたの?」


私は採取した薬草をハンカチに包みながら、彼の視線の先を見た。

そこは森の結界付近と呼ばれる、外の世界との境界線に近い場所だ。

鬱蒼とした茂みが続いている。


ルルだけではない。

肩に乗っていたごんぞうも、カッと目を見開き、小さな口から火の粉を漏らしている。

周囲にいたリスや小鳥たちも、一斉に木の上へと避難し始めた。


何かがいる。

それも、彼らにとって好ましくない何かが。


「……もしかして、追っ手?」


カイル殿下が騎士団を差し向けたのだろうか。

私は緊張で息を飲んだ。

逃げるべきか、隠れるべきか。

だが、ルルの様子がおかしい。

敵意というよりは、何かを忌避しているような、嫌悪感を露わにしている。


風に乗って、微かに鉄の匂いが漂ってきた。

これは、血の匂いだ。


「誰か、怪我をしているの?」


私はとっさに駆け出した。

ルルが慌てて私の服を噛んで止めようとする。

「行くな」と言っているようだ。


「大丈夫よルル。もし敵なら、貴方が守ってくれるでしょう?」


私は彼を信じて微笑んだ。

ルルは不満そうに鼻を鳴らしたが、渋々といった様子で私の横についてくれた。


茂みをかき分ける。

鉄の匂いが強くなる。

そして、古い大樹の根元に、それはあった。


「――っ!」


息を呑む。

そこに倒れていたのは、一人の男性だった。


年齢は私より少し上だろうか。

泥と血に塗れているが、その衣服は上質な騎士服に見える。

銀色の長い髪が顔にかかり、表情は見えない。

ただ、その体からは夥しい量の血が流れていた。


腹部を何か鋭利なもので切り裂かれたようだ。

さらに不気味なのは、彼の周囲の草花が、まるで毒でも浴びたかのように枯れていることだった。


「ひどい……」


私は駆け寄ろうとした。

だが、ルルが私の前に立ちはだかった。


「ガァッ!」


鋭く吠える。

「近づくな、危険だ」と全身で訴えている。

ごんぞうも私の髪を引っ張り、その場から離れようと必死だ。


「待って、みんな。彼は死にそうなのよ!」


動物たちの反応は異常だった。

単なる人間への警戒心ではない。

まるで、彼という存在そのものが、生理的に受け付けない汚物であるかのような拒絶反応だ。


「どいて、ルル。見捨てるわけにはいかないわ」


私はルルの体を押し退け、男性の元へ走った。

ルルは悲しげな声を上げたが、私を力ずくで止めることはしなかった。


男性のそばに膝をつく。

近くで見ると、傷は深刻だった。

出血多量で顔色は紙のように白い。

呼吸も浅く、今にも止まりそうだ。


「しっかりして! 聞こえますか!」


彼の肩を揺するが、反応はない。

私は震える手で、彼の腹部の傷を確認した。

三本の深い爪痕。

熊か、あるいはもっと凶暴な魔獣にやられたのだろうか。


「とにかく血を止めないと」


私はさっき採取したばかりのヒールグラスを取り出した。

石ですり潰す時間はない。

口に含んで噛み砕き、ペースト状にする。

行儀が悪いなんて言っていられない。


彼の服を少し裂き、傷口に直接薬草を塗り込んだ。

さらにハンカチで強く圧迫する。


「う……っ」


男性が苦痛に呻いた。

意識はないようだが、痛みは感じているらしい。


「ごめんなさい、痛いですよね。でも我慢して」


私は必死に止血を続けた。

不思議なことが起きた。

私が彼に触れている間、周囲の枯れた草花が少しだけ色を取り戻したように見えたのだ。

気のせいだろうか。


出血が少し落ち着いてきた。

だが、このままここに放置すれば、夜の冷気で確実に命を落とす。

家まで運ばなければ。


「ルル、お願い。彼を運ぶのを手伝って」


私は振り返り、相棒に助けを求めた。

しかし、ルルは数メートル離れた場所から、嫌悪感を隠そうともせずに男性を睨みつけている。

まるで「そんな穢れたものに触りたくない」と言わんばかりだ。


「ルル! お願いよ!」


私は強い口調で言った。

「彼は私が助けると決めたの。貴方が手伝ってくれないなら、私一人で引きずってでも連れて帰るわ」


私がそう宣言して彼の腕を持ち上げようとすると、ルルは観念したようにため息をついた(ように見えた)。

彼はゆっくりと近づいてくると、嫌そうに顔をしかめながらも、男性の襟首を咥えた。

ごんぞうも渋々といった様子で、男性の足元に風の魔法をかけ、体を浮き上がらせてくれた。


「ありがとう、みんな。優しいのね」


私は彼らを褒めたが、動物たちの表情は晴れない。

彼らは明らかに、この男性を「敵」以上に「異物」として認識している。

なぜだろう。

ただの怪我人なのに。


***


ログハウスまでの道のりは長く感じられた。

ルルは男性を咥えて運んでいるが、その歩みは普段より遅い。

時折、男性の体から黒い靄のようなものが立ち上るのが見えたが、私が背中をさするとそれは消えた。


ようやく家にたどり着いた頃には、太陽は真上に昇っていた。

私たちは男性を毛皮のベッドに寝かせた。


「ふぅ……なんとか運べたわね」


私は額の汗を拭った。

改めて男性の顔を見る。

泥や血を拭い取ると、驚くほど整った顔立ちが現れた。

長く伸びた銀色の睫毛。

通った鼻筋。

薄い唇。

王都の貴族たちの中にも、これほどの美貌を持つ者はそういないだろう。


けれど、その顔には深い苦悶の色が張り付いている。

彼はうわ言のように何かを呟き続けていた。


「……るな……こないで……くれ……」


拒絶の言葉。

誰に言っているのだろう。

自分を襲った魔獣にか。

それとも、助けようとしている私にか。


「大丈夫ですよ。ここは安全です」


私は湧き水で濡らした布で、彼の額を冷やした。

その瞬間、彼の眉間の皺が少しだけ緩んだ。


不思議なことに、私が彼の側に座っていると、ルルたちは部屋の隅に固まって近づこうとしない。

いつもなら、我先にと私の膝を取り合うのに。


「ルル? こっちに来ないの?」


「グルゥ……」


ルルは困ったように首を傾げ、男性をチラリと見てから、首を横に振った。

まるで「そいつがいるから無理だ」と言っているようだ。


(やっぱり、この人は何か悪いことをしたのかしら?)


密猟者かもしれない。

あるいは、森を焼き払おうとした罪人か。

動物たちがここまで嫌うには理由があるはずだ。


けれど、目の前で弱りきっている彼を見捨てることはできなかった。

どんな人間であれ、怪我が治るまでは面倒を見よう。

もし彼が本当に悪人だと分かったら、その時はルルに追い出してもらえばいい。


私は再び男性に向き直り、彼の手を握った。

氷のように冷たい。


「……あったかい……」


彼は微かにそう漏らし、私の手を弱々しく握り返してきた。

その手は震えていて、何かに怯えている迷子の子供のように感じられた。


(悪い人には見えないけれど……)


私は複雑な思いを抱えながら、彼の手を両手で包み込んだ。

私の体温が彼に移るにつれて、彼の呼吸が少しずつ穏やかになっていく。


この時の私はまだ知らなかった。

この男性が、帝国最強にして、最も孤独な皇太子であることを。

そして、彼が抱える「呪い」が、この森の平穏を、そして私の運命を大きく変えることになるということを。


私はただ、目の前の命を繋ぎ止めることに必死だった。

窓の外では、ルル以外の動物たちが、遠巻きに家を取り囲んで不安そうにざわめいているのが聞こえた。

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