蟲の棲家
新しいアパートに引っ越して一週間が経った頃、山田は小さな違和感を覚え始めた。
それは台所の隅で最初に見つけた。黒い小さな点が動いている。ゴキブリの幼虫だろうか。殺虫スプレーをかけると、それは床に落ちて動かなくなった。
「古いアパートだから仕方ないか」
しかし、翌日にはまた別の場所で同じような虫を見つけた。今度は洗面所で。そして次は寝室で。
一匹、二匹なら我慢できるが、日を追うごとに数が増えていく。しかも、よく見るとその虫は普通のゴキブリとは違っていた。
体は黒く細長いが、足の数が多すぎる。普通の昆虫なら六本のはずなのに、十本以上ある。そして何より気味が悪いのは、その動き方だった。
虫たちは一列になって行進している。まるで目的地があるかのように、規則正しく同じ方向に向かって歩いている。
「変な虫だな…...」
山田はスマートフォンで写真を撮ろうとしたが、画面に映ると虫たちは普通のゴキブリに見えた。目を擦って再び肉眼で見ると、やはり足の多い異形の虫が這っている。
一週間後、虫の数は明らかに増えていた。台所、洗面所、寝室、リビング。家中のあらゆる場所で黒い行列を見かけるようになった。
殺虫剤を撒いても効果がない。業者を呼んでも、「特に異常は見当たりません」と言われるだけだった。業者の目には、やはり普通のゴキブリにしか見えていないようだった。
「俺がおかしいのか?」
山田は友人の高橋に相談した。
「ストレスじゃない?新しい環境で疲れてるんだよ」
しかし、その夜、決定的な出来事が起こった。
午前三時頃、何かに起こされて目を開けると、部屋の天井一面に虫たちがびっしりと張り付いていた。数百匹、いや数千匹はいるだろう。全て同じ方向を向いて、じっと山田を見下ろしている。
山田は息を止めて動かずにいた。虫たちも動かない。静寂の中で、かすかにカサカサという音だけが聞こえる。
やがて、虫たちが一斉に動き始めた。天井から壁へ、壁から床へ。全て同じ方向に向かって移動している。その先は...クローゼットだった。
山田は恐る恐るクローゼットを開けた。
中には、白骨化した死体が座っていた。
死体の口、鼻、耳の穴から、無数の虫が出入りしている。虫たちは死体を巣にしているのだ。
山田は悲鳴を上げて後ずさりした。しかし、虫たちは山田を襲うことはなかった。ただ、死体の周りを守るように円を描いて動き回っている。
翌朝、山田は警察に通報した。
「クローゼットに死体があります!」
しかし、警察が来てクローゼットを調べても、そこには古い服しかなかった。死体も虫も、跡形もなく消えていた。
「何かの見間違いでしょう」警官は首を振った。
山田は精神科を受診したが、医師からは「幻覚の可能性がある」と言われ、薬を処方された。
薬を飲み始めて三日後、虫は見えなくなった。山田は安堵した。
しかし、ある夜、薬を飲み忘れて眠ってしまった。
目を覚ますと、虫たちが戻っていた。今度は山田の体の上を這い回っている。口の中にも入り込んでくる。
「うわあああ!」
山田は必死に虫を払いのけようとしたが、虫たちは山田の体に潜り込んでいく。鼻から、耳から、口から。
そして山田は理解した。
虫たちは死体を巣にする習性がある。前の住人も同じ目に遭ったのだ。薬で見えなくなっただけで、虫たちはずっとそこにいた。山田を新しい巣にするために、体の中に卵を産み付けていたのだ。
翌朝、山田の隣人が異臭に気づいて大家に連絡した。部屋に入ると、山田がクローゼットの中で死んでいた。死因は不明だったが、体中に小さな穴が無数に開いていた。
一ヶ月後、新しい住人が入居した。
「古いアパートですが、家賃が安いですよ」大家は愛想よく説明した。
新しい住人は満足そうに部屋を見回した。そして台所の隅で、小さな黒い点が動いているのを見つけた。
「ああ、ゴキブリですね。後で殺虫剤買ってきます」
その夜、虫たちは新しい巣の準備を始めた。
そして今夜も、どこかのアパートで、住人が台所の隅の黒い点を見つけている。
「なんだ虫か……」
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